大和朝廷が出来た時点で「弥生時代→大和時代」と昔は習った。いま古墳時代と飛鳥時代に分かれてたけど | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

「ヤマト朝廷は3世紀始めには成立していたらしい、ということは、弥生時代からヤマト朝廷があった、ってことか?」

それは違います。

ヤマト朝廷と呼ばれるものがいつできたか、ってのにはいろんな説がありますけど、ヤマト朝廷が出来た瞬間に「弥生時代」は終了して「古墳時代」が始まる、というのが言葉の定義です。時代が先にあってあとから出来事が起こるわけじゃなく、出来事が起きた時点を後世の歴史学者が区切って「何々時代」という名前をつけるんですから。


「鎌倉幕府は鎌倉時代以前から存在していたのですか?」って聞かれたら、どう答えますか? 話の順序を考えてください。鎌倉幕府ができた時点からを鎌倉時代と呼ぶ。歴史学者と文部科学省が相談して、そういうふうに教科書に書くことに決めたんです。

昔の教科書には「古墳時代」というのはなくて「大和時代」と呼んでいました、この大和時代を、古墳時代と飛鳥時代に分けることに、ある時期変わったんですが(なんで、っていう話をすると長くなるので、とりあえず、そういうもんだというふうに思っていてください)。


つまり、弥生時代には大和朝廷はありません。仮に原型っていうか祖先っていうかがいたとしても、それは大和朝廷とは言われません。

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