「麒麟がくる」で怪優・染谷将太が織田信長である理由を、再録。この信長は少年が怪物に成長するのだ。 | えいいちのはなしANNEX

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「麒麟がくる、は、どうして染谷とかいうボクの知らない俳優に、織田信長をやらせているのか?」って言う人がいるんだ。

え、染谷将太を知らない?
あの日中合作超大作「空海」で主役を張った染谷将太を、知らない!
いま、あちこちのドラマや映画で怪演している染谷将太を、知らない人がいるんですね。
なかなか、驚きです。

若手の中ではいまやナンバーワン俳優といっていいでしょう、但し、ものすごく芝居にクセがある。普通のいいひととかは、あんまり、やりません。
なので、ゴールデンタイムの恋愛ドラマなんかには、あんまり出てきませんので、まあ、知らない人は知らないか。

麒麟の主人公は明智光秀です。

信長は(国盗り物語の頃はよく分からず同年代に描かれてましたが)実は光秀よりだいぶ年下であることが最近では明らかになってます。

だから、光秀と初めて出会うシーンではまだ「少年」といっていい年です。

それが、ドラマの進行でどんどん成長し、最後には、光秀が「殺してでも止めなければ」と考えざるを得ないほどの怪物となっていなければなりません。
怪物の信長だけなら、真田丸のときの吉田鋼太郎も、直虎の海老蔵もいいでしょう。

しかし、少年が怪物に成長する過程を一年かけて描くなら、これはもう、(長谷川より年下の)若手の中から、それ(怪演)が出来る役者を選ばなきゃならない。
そんな奴がいるのか?
いたんですよ、染谷将太が。

まだ「染谷将太は丸すぎて信長に見えない」とか、「明智光秀と織田信長のキャスティングがむしろ逆じゃないか」とか、顔の形だけで文句をいうひとは跡を立ちませんね。いまだに。
そりゃ、ビジュアル的にも長谷川信長、染谷光秀、のほうが、昔ながらのイメージには合っている。
しかしね、ドラマのキャスティングは、「光秀っぽいか」「信長っぽいか」じゃなくて「主人公っぽいか」「ライバルっぽいか」で決まるんですよ。当たり前でしょ、ドラマなんだから。
歴史マニアのイメージする信長や光秀に近いかなんて、どうでもいい。それより、大河の主人公らしい素直な俳優かどうか、それともエキセントリックな脇役のときに異彩を放つ俳優かどうか、が重要です。

大河の主人公らしい、ってことは、つまり「凡人っぽい」ってことです。
大河ドラマってなんで一年間やるかってえと、主人公が春夏秋冬で成長するからです。
だから主人公は最初のうちは凡人でヘタレでなければなりません。失敗を重ねていかなければなりません。
いっぽう、ポイントになる脇役は「でてきたときから異能!」で、視聴者に強烈な印象を与える役者がいい。
主人公はそれじゃ駄目です。老若男女が感情移入できないと。
だから、大河の主人公は、下手に芝居が上手すぎるヤツはつきません。
NHKは歴史マニアのために番組つくってるんじゃないんで。

私は今、歴史の話ではなく、ドラマの話をしております、御承知おきください。
主人公のときと、脇役のときでは、配役ポリシーが全然違うという話をしております。
大河の主人公は、視聴者が共感できる常識人じゃなきゃダメ。そして「永遠のライバル」的な重要な脇役ほど、主人公とカブる常識的なキャラじゃあダメ、ってことです。

ここまで染谷将太が演じてきた役で印象に残ったものを並べてみると。
「バクマン」の新妻エイジ、「空海」、「なつぞら」の宮崎駿(をモデルにした奴)。「初恋」のトンでもなヤクザ。
つまり、「異常なほど天才、とんでもない自信家」って役ばっかりを当ててきた男です。
バクマンの大根仁は「日本に染谷将太がいて良かった」とまで言ってます。
染谷は上手いとか下手とかではなく、オンリーワンなんです。異能者をやってる時だけ異彩を発揮するんです。
だから、今後も「連ドラの主役」は、染谷には回ってこないでしょう。余程カルトなドラマや映画でないと、主役はできない役者です。

大河の主人公は視聴者が感情移入できる常識人でなければいけません。だから、主人公のときの信長は普通に英雄です。

しかし、脇というか、「主人公のライバル」のときは、サイコパスの面が強調されます。

最近の大河でも、信長役は吉田鋼太郎、海老蔵、どっかイッちゃってる奴として登場します。いまさら渡哲也のコピーみたいな奴を出されても、視聴者は誰もワクワクしません。
染谷は、「主人公の永遠のライバル」として絶妙なキャスティングです。従来イメージの信長っぽいかなんて、どーでもいい。

光秀だって、脇役のときは悪役にも切れ者にも陰謀家にも可哀想な中間管理職にも描かれてきました。
信長も光秀も、主人公のときと、そうでない時の描かれ方は、まったく違います。今回は、長谷川が光秀、染谷が信長で正解です。
しかし確かに染谷将太は、丸い。チョンマゲにして月代(さかやき)を剃ると、髪型で誤魔化せないだけに、いかにも丸い。
しかし、主人公の明智光秀(長谷川博己)は月代を剃ってない。斉藤高政(伊藤英明)も剃ってなかった。てことは、どうしても剃らなきゃいけない、ということでもないはずだ。
つまり、染谷の信長は、敢えて「丸い」ということを隠してない、ということにならないか? 「奇妙なビジュアル」は、意図的だ、ってことだ。

あ、ところで。この映画を「空海」と言ってるのは実は日本人だけで。
正しい原題は「妖猫伝」、染谷は主人公というより、いわば狂言まわしです。
予告編や宣伝から見れば、空海と楊貴妃が「対決」する(恋でもする?)映画だと思うでしょ? どうしたって。
それで見に行って、肩透かしを食ったと思ってる日本人は多かった。なんか、空海、後半、何やってたんだろうね、て感じじゃないすか? 阿倍仲麻呂のほうがよっぽど楊貴妃にからんで活躍?してるしね。

 

 


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