「麒麟がくる」なぜ明智十兵衛と木下藤吉郎が並んで筒井順慶に逢いにきたのか? の「ドラマ的な理由」 | えいいちのはなしANNEX

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「麒麟がくる」、明智十兵衛光秀と木下(羽柴)藤吉郎秀吉が、鉄砲の買い付けに一緒に堺に来てたけど。

このとき、藤吉郎って、小谷城の浅井を攻めるので忙しかったんじゃあないの? 堺にくるヒマがあるの?

まあ、史実はたぶんそうなんだろうけど、ドラマ的には、このシーンには、光秀といっしょに秀吉がいなきゃあいけなかったんでしょう。
このドラマが最終回までに描こうとしている「大テーマ」は、明智光秀はなぜ本能寺の変を起こしたのか、です(そう断言してもいいと思います)ので、すべてのシーンは、それに向けての伏線になっています。

つまり、何らかの意味で「明智の本能寺の動機」の解明に関係ある事柄はドラマでやるけど、関係ない話は端折られている、ってことです。

信長や秀吉の事績を全部やっていてはとても一年で終わらないので、「光秀と関係あること」のみをやる。ちょうどいいエピソードがなければ創作も辞さず。


と、いうことで、この堺のシーンには、ぜひとも光秀と一緒に秀吉にいてほしい、という作者の意図を汲み取ってあげたほうがいい(ドラマが楽しい)と思います。
つまり、光秀と秀吉のキャラクターの違いを描くと同時に、この時点での力関係、外交交渉能力の差、誰と誰がウマが合って誰はソリが合わない、みたいな人間関係を視聴者に理解して欲しい、っていうことです。
堺のシーンの重要人物は「筒井順慶」です。筒井は武将兼僧侶で、茶の湯の席に出てくる教養人であり、従って交渉には現時点の秀吉の出る幕はなく、光秀の独壇場になりました。外交交渉ってのは、利害の調整だけでなく、お互いの腹の底の探り合いであり、最後は「こいつを信用できるか」っていう人間関係の勝負になります。


筒井は、本心では織田の傘下に入りたかった。そうすれば松永久秀に攻撃されずに済む、落ち目の三好と繋がっているより余程いい。しかし自分から降参するようなのはプライドが許さない、安売りしたくない。そのために、織田が欲しがりそうな鉄砲二百挺をまず確保し、今井にお茶の席をセットしてもらい、しぶるフリして自分を高く売り、最後は「明智さんを信用します」ってテイで鉄砲をゆづって織田の保護下に入れてもらう約束を取り付けた。これ、相手が(当時の)秀吉のような、力押しの粗暴な交渉人が相手だったら、たぶん成立してません、決裂するでしょう。
筒井は、藤吉郎ではなく、十兵衛にベットしたわけです。この時点では。
明らかに、明智のほうが、この時点では「上」です。

それが、本能寺の直前までには、いつのまにか逆転するんですよ! 光秀と秀吉の力量が。それが本能寺の変が起こる理由の、重大な一つであることは間違いありません。だから、このシーンがあるんです。
同時に、この堺のシーンでは光秀に乗った筒井は、本能寺のあとの山崎では、秀吉のほうを選ぶことになるんです。いわゆる洞が峠。何故?
秀吉がこれから急成長するからです。光秀を追い越すんです。何故、どうやって?
今年の大河ドラマは、それを描くから「麒麟がくる」なんです。
だから、秀吉は、筒井順慶の初登場シーンにこそ、かならず光秀と並んでなければならないんです。これがドラマの要請ってもんです。史実なんか後回しです。

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