親藩は、なんかの弾みで将軍になっちゃう家だから、親藩同士でしか養子を取れない。 | えいいちのはなしANNEX

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会津も越前も、何かのはずみで将軍になっちゃう可能性があるんです。だから親藩なんです。
現に、今の徳川宗家は会津からの養子です。「越前、会津は将軍を輩出できた家ではない」は、正確ではありません。直接はなくても、巡り巡って、という可能性はあるから「親藩」なんです。
家康の男系子孫である、という血統を守っているのが「親藩」です。いわば親藩は「血統のプール」です。
親藩であるというのは、他の親藩の養子に行く資格がある、ってことです。親藩以外から養子を取ったら、その資格を喪失してしまいます。
尾張の分家である高須家に水戸の血統から養子が入る、さらにその息子が会津や一橋に養子にいく、ということが普通に起こるわけです。
確かに、将軍の跡継ぎに(直接)なれるのは尾張、紀州、御三卿まで、とされてます。だけど、養子、養子で巡り巡って水戸、会津、越前の血統が徳川宗家を継ぐ、将軍になる、てことはあるんです。てゆうか実際ありました。
どんな連枝でも、越前の分家の分家の家からでも、子孫が巡りめぐって将軍になる可能性はある、それが(それだけが)親藩である存在意義である以上、親藩以外から養子をとることは絶対にできません。