帰蝶=濃姫は、本能寺の変のとき、どうしてたのか問題、再録。 | えいいちのはなしANNEX

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今回の「麒麟がくる」では、帰蝶の存在感がやたらにデカイ。主人公の明智光秀と親戚(従兄弟)だという設定(史実かどうかは、微妙)なので当然でしょうが。去年末の「例の騒動(別に?)」を含めて、今年の歴史オタク界は、ちょっとした帰蝶ブームです。

しかし、「濃姫」の影が極端に薄い時代というのがありました。ほんの十年ほど前まで。

 三十年ほど前のNHK大河ドラマ「国盗り物語」(信長は高橋英樹)では、帰蝶=濃姫(松坂慶子)は信長の生涯ただ一人の愛妻でした。本能寺にも一緒にいて、薙刀で明智軍と戦って死んでいます。たくさんいたはずの側室は、影も形もでてきません

原作者の司馬遼太郎先生は、戦後民主主義者であり猛烈な愛妻家でもありましたから、一夫一妻制の信奉者です。史実はどうあれ英雄・信長に側室だの愛人だのメカケだのがいることは許せなかったのでしょう。

ですから、斉藤道三の娘を唯一の愛妻と定め、道三は娘婿の信長に美濃を譲るという遺言を書いて死んだ、ということで小説「国盗り物語」の第一部と第二部をつなげました。

いわば「司馬先生の独自のポリシー」が、この設定には大きく反映しています。

大河ドラマと司馬遼太郎のコンビネーションの威力は、強烈ですから、しばらくはこの濃姫像が国民的スタンダードでした。

ところが、十数年前の「信長 キング・オブ・ジパング」(信長=緒方直人)では、濃姫(菊池桃子)と信長との関係は終始微妙となる一方、「しの」という側室(高木美保)が登場してきます。

さらに「秀吉」(竹中直人主演)では、信長の「事実上の正室」として、生駒家の後家・吉乃(斉藤慶子)の存在がものすごく大きく描かれるようになります。

このあいだに何があったのか。「前野家文書」という新発見資料に注目が集まった時期です。

新発見といっても、伊勢湾台風のときに浸水した愛知県のある旧家の土蔵を整理していたら、文書が出てきた、これが前野家文書、またの名を「武功夜話」ですが、これを詳しく読んでいくと、吉乃という女性が信長の事実上の正妻であったということが「判明」したのです。

歴史好きは色めき立ちました。これで、信長にまつわる大きな謎が解明されるからです。

正妻のはずの濃姫が、美濃攻めあたりから以降まったく資料に出てこないのは何故か。実は信長と濃姫は政略結婚以上の関係ではなかった、愛情などなかった、と推測してもかまわん、ということになりました。司馬先生はなんか間違えてたね、ということになってしまいました。

しかし、この「前野家文書」、そんなに手離しで信用していいのか、という反省が、最近では主流になっています。

その理由は、この文書が「面白すぎる」からです。

信長は事実上の正妻である吉乃の住む生駒屋敷に頻繁に滞在し、秀吉ら家臣とともにさまざまな戦略を練ったりしており、その様子が「実際に聞いたこと」として、つぶさに描かれています。

あまりに面白いと、最初は熱狂しますが、そのうち「本当か?」ということにもなります。要は、吉乃と生駒家にとって、あまりに都合がいいのです。

この前野家文書、リアルタイムのものではなく、かなり後世、江戸時代に書かれたものであることは、実は最初からわかっていました。であれば、書いた者に都合よく相当の脚色がされているに違いない、と考えるべきですし、信長と秀吉が作戦について語りあっている様子などは全部「創作である」と考えたほうが妥当です。吉乃が信長の「事実上の正妻」というのも、かなり怪しくなります。

現在、前野家文書は、学術的にはほとんど「偽書」扱いされています。つまり、現状では、信忠と信雄を産んだ吉乃という女性が「いた」ということ以上は何もわからないのです。

そこで、NHKも反省したらしく、「軍師官兵衛」では内田有紀の濃姫が華々しく復活し、本能寺で信長と一緒に死ぬ、という松坂慶子パターンを踏襲しました。やっぱ、司馬遼太郎先生が正しい、ということになったわけです(ちなみに「信長協奏曲」の人物設定はほとんど「国盗り物語」の引き写しです)。

でも実は、濃姫だって、「分からなさ」は、吉乃とどっこいです。

濃姫については、信長のところに嫁に来た以外は、確たる記録が、何もありません。

 「濃姫」という名前がその後、一向に記録にでてこないので「早くに病死した」「美濃攻めの前に実家に帰された」という説もありますが、いつまでも「濃姫」じゃないだろう、別の名前で呼ばれていた可能性もあるだろ、ってことで、結局「いつまで信長の正妻として生きていたか」も、分からないのが実情です。

 本能寺で信長と一緒に戦って死んだ、というのも(大河ドラマなんかだとたいていそうなってますが)、後世の物語作家の想像に過ぎません。本能寺の直後に安土城から脱出した女性に「安土殿」という名前があり、いかにも正室っつぽい呼び名なので、これが濃姫のことだという説もあります。

つまり、信長が死んだ後まで生きていて、どっかで余生を送ってたかも知れないのですが、そのとき何とよばれていたかも分かりませんから、確認しようもありません。

濃姫は、史実的には全然わからない、幻の女性です。

だから、ドラマや漫画の濃姫は、登場する物語ごとに、ぜんぜん性格も違えば、設定も違うのです。「信長のシェフ」の斉藤由貴と、「信長協奏曲」の柴咲コオと「麒麟がくる」の川口春奈は、ぜんぜん別の人物像です。そういえば漫画原作の「信長協奏曲」って実はまだ完結してないんですよ、だから漫画の濃姫が本能寺のときどうしてるのかは、まだわかりません。それにの漫画原作の濃姫は淑やかで可憐な、柴咲とは正反対の性格だったりするんですよね。

要は、想像は自由、ってことです。

まあ、我々は歴史学者ではなく、史料も存在しないのだから、好きに想像をふくらませて一向に構わない。本能寺で勇ましく薙刀で戦って華麗に散る濃姫がお好きなら、それでいいし、安土城を健気に守る濃姫がお好きなら、それでもいい。いちいち史料によって証明する義務はありません。

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