聖徳太子の「冠位十二階」って、実は「革命」と言ってもいいくらいドラスティックな政策だよ。 | えいいちのはなしANNEX

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聖徳太子の業績として有名な「冠位十二階」ですけど。

これって、どの程度実効制があったのかどうか?


そもそも大和朝廷というのは、豪族たちの連合体であって、天皇は国民?を直接管理していない。
国家の仕事は、氏族単位で仕事を請け負う制度になってます。つまり「朝廷」に参加するのは氏上(その氏族の首長)だけであり、氏に所属する人員は氏上の命令で動く、つまり天皇・朝廷とは直接繋がっていなかったのです。


現代でいえば、A社、B社、C社・・・が政府から仕事を発注される。それそれの社内でそれぞれの社員がそれぞれの仕事をする。だからA社の部長とB社の課長のどちらが偉いかとか、序列をつける意味はそもそもないんです。
それを聖徳太子(?)がドラスティックな改革を試み、「A社もB社もC社も社員は全員、今日から公務員になりまーす、これからは社長(氏上)の命令でなく、政府(天皇)の命令で働いてくださーい」ということにしたってことです。
つまり、これが「中央集権制」ってことです。こんなん、普通は戦争でも経なければ実現しえない、とんでもない革命です。

だから、ホントにこんな事がやれたんだろうか、しかも「聖徳太子」サマの鶴の一声で? って疑問は、当然出るわけです。

さらに言えば、ホントにいたのか聖徳太子って? って話にもなる、わけです。

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