「親藩」とは、将軍の親戚が藩主の家である、というのは間違い。 | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

江戸時代の大名は、親藩、譜代、外様の区別があります、って話を最近しばしば書いてますが。

改めて確認しますが、将軍家の親戚の藩を親藩という、というふんわりした言い方は、間違いです。

親藩は「家康の男系子孫」のみです。

徳川家の親戚といっても、将軍の娘が嫁にいった先は親藩にはなりません。その家が外様なら、生まれた子供が将軍の孫でも、外様です。

また、将軍の息子が養子に行ったら、行った先が譜代なら譜代、外様なら外様になります。

また、外様大名(たとえば薩摩)が将軍家に嫁を出して、その嫁が生んだ子が将軍になっても、親藩にはなりません。

つまり、母方のおじさんは、親戚ですけど、親藩にはならない、ってことです。

「徳川家の親戚が親藩」ってことでいいです、とは残念ですけど、いえません。

親藩というのは「将軍を継ぐ可能性がほんのちょっとでもある」という家です。

だから、親藩は親藩からしか養子を取れません。

また、親藩は幕府の職には就けません。

あなたもスタンプをGETしよう