大名の参勤交代や、妻子の江戸人質は、江戸幕府による理不尽な圧政なのか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

参勤というのは「参って、勤める」ですね。

どこに参るのかっていうと、江戸です。何を勤めるかというと、将軍様の護衛です

大名は、基本は自分の領地にお城を建てて住んで、領国の統治の仕事をしているわけですけど。それと同時に、定期的に人数をつれて江戸に参上して、将軍様の護衛を勤める、って仕事もしなきゃあいけない。

とはいえ、大名が我先にと勝手に江戸に集まっちゃっては、地方の統治がおそろかになるし、江戸が混んでも困る。なので、大名ごとに当番を決めて、半分ずつ交代で江戸に詰めるようにしましょう。これが「参勤交代」ということです。

だから、「領地と江戸の間を往復することを参勤交代という」という答えは、半分しかあってません。人生の半分は江戸で将軍のために勤務する、ということまで含めて「参勤」であり、全国の大名が交代でやるから「参勤交代」なんです。


家臣とその家族を城下町に集めて住まわせる、というのは、織田信長だって豊臣秀吉だって、いや、気の効いた戦国大名はみんなやっていたことです。

これは統治効率の問題が主ですが、当然、人質の意味もありました。

たとえば、桶狭間のあと、松平元康が三河で自立したせいで、駿府にいた妻子(瀬名と竹千代、のちの築山殿と信康)が、怒った今川氏真に殺されかけた話は、大河ドラマなんかでもよくやるので御承知と思います(おんな城主直虎では菜々緒が殺されかけましたよね)。

関ヶ原のときの「細川ガラシャ事件」なんてのもありますよね、豊臣政権も、大名の家族や家臣を大坂に住まわせていたでしょ。これ、人質ですね。

家臣を城下町に住まわせるのは、武家の主従関係として普通のことです。決して横暴でも無茶でもありません。

江戸幕府のシステムは、それを大きくしただけのことで、なにも徳川がいきなり始めたわけではありません。

幕府が日本の統一政権であるなら、日本中の大名は将軍の家臣なのだから、主君の城下町(つまり江戸)に家族と、一定の兵士を住まわせるのは、当然といえます。

しかし、それだけだと日本各地の統治が疎かになるので、幕府としては「大名本人は、江戸に居っぱなしでは駄目だ、定期的に領地に帰れ」ということになります。


江戸幕府が265年も長続きした理由は、

・封建制度の大原則に忠実に、大名の領地支配を完全に任せ、幕府は介入しないという「地方分権」を徹底したこと

・参勤交代制度の整備により、大名に「将軍の藩屏」と「領地の経営」という二つの任務を強く意識させたこと

・各領地の経営は外様大名に、日本全体の政策については譜代大名に、という「完全分業制」を確立したこと。

こんなところが考えられます。


江戸時代の「幕藩体制」というのは、ひとことでいえば地方分権です。


え、うそ、と言われるでしょう。江戸幕府というのは、大名たちを強大な軍事力で抑圧して搾取していた悪の独裁国家でしょ、と思い込んでいる人が世の中にはまだまだ沢山いるらしいです。

実態は、かなり違います。

国全体のことは幕府がやる。地方の統治は藩(大名)がやる。責任分担はきっちり分ける。これが「幕藩体制」です。


藩、つまり大名というのは、いわば半独立国の王様みたいなもので、自分の領地は独占的に支配することができたんです。

藩内の政策について幕府は口出ししてきませんし、幕府は大名の領内から税は取れません。

各大名は、自分の工夫で自分の領地を豊かにする責任があります。だから、地域ごとの文化が花開いたんです。

そのかわり、大名は日本全体の政治には一切、口を出さなくてよろしい。国のことは幕府がやるから。


ただし、いざ将軍の命令がかかったときには、自前で人数を揃えて馳せ参じなければいけません。それが武士の主従関係です。

いざ、というのはつまり、大坂の陣とか島原の乱みたいな戦争ですけど、そればかりとは限りません。

戦争のないときには、江戸城の普請であったり、東照宮の造営であったり、木曽川の治水工事であったりを命ぜられることがあります。


これらはみんな「軍役に準じるもの」なんです。だから戦争のときに兵隊を引き連れていくのと同じく、大名行列の費用も、江戸の屋敷に家族や家臣を住まわせる経費も、普請を命ぜられた際の人件費も資材費も、全部その大名もち、というより、最初に幕府から預かった領地の収入に「込み込み」で含まれている、これが封建制度の常識です。

何十万石も貰っておいて、ここで金を使わないでどこで使うんだ、ってことです。

「目をつけた大名に、無駄な参勤交代とか、まったく関係ない土地の工事とかを押し付けて、経済的に疲弊させる、幕府ってなんて悪どい組織だ」と思う人がいますが、それは、違います。ときどき非合理に見えても、こういう仕組みでできてる国なんです。これが幕藩体制です。


参勤交代を「経費を使わせることで、大名の力をそぐためです」てのは、かなり一方的でひねくれた見方です。

室町幕府は「守護在京制」、守護は京都に住むことを義務つけていました。

守護という職は、将軍から任命される期限つきのものである、というタテマエを維持したかったからですが、有力な家はいくつもの国の守護を兼任しているのが普通だから、というのもあります。

守護たちは京都で幕府の政争に明け暮れ、任国の統治は国許の「守護代」に管理を任せきり。そうなれば、やがて守護代が領国で勢力を張ってしまうのは自明です。守護の家が相続争いとかで京都で内輪モメしているすきに、領国はみんな守護代たちに乗っ取られてしまいました。これが「戦国時代」というヤツです。


江戸幕府は、このテツを踏んではいかんのです。再び世が乱れないようにするためには、大名はちゃんと国許に住んで、しっかり領国経営をさせなければいけません。

しかしその一方で、大名が国にいっぱなしで「独立王国」化したら、これまた困るのです。大名たちには常に将軍の側に座らせて、幕府のおかげで国を貰っているのだということを忘れないようにさせる必要があります。

この「大名に、どうしても必要な二つのこと」を忘れないようにさせるには、どうしたらいいでしょう。

「参勤交代」は、こういう必然性から生まれた制度です。日本をちゃんと平和なままで維持するために、どうしても必要な制度です。


参勤交代は一種の「軍事行軍演習」でもあります。だから大名の泊まる宿を「本陣」と呼びます。いざというときは全国の大名が兵隊を率いて将軍のもとに馳せ参じることができる、という国民向けのデモンストレーションでもあるわけです。

だから、行列の人数も石高で決まっているんです。大名一人でのんびり江戸にくれば経費かかんなくていいじゃん、なんて訳にはいかない。ちゃんと人数を率いて期日どおりにやってくる、というのが必要なんです。これが出来ない大名は、「いざというとき」に戦力にならない、武家失格です。

つまり参勤交代は決して「意味のない儀式」ではない、ここに金を惜しんではいかんのです。武家ならば、常識でしょう。


もちろん、「理屈の上ではそうでも、やっぱり、タダでさえ藩財政が苦しいのに、参勤交代だの、家族や大勢の藩士の江戸在住だの、お手伝い普請だの、とにかく迷惑以外の何物でもない」というのは、ほとんどの場合、事実です。大名たちに出費を強いて幕府は左団扇でウハウハなら、そりゃ許しがたいことです。

でも、実のところ、いちばん財政が苦しかったのは、幕府なんです。


「中央政治」はすべて幕府でやり、「地方政治」はほとんど各大名に任されていた、という「幕藩体制」では、国政のコストはすべて幕府の領地(天領)からの年貢(ほかに直轄金山や長崎貿易の利益がありますが、割合としては小さい)によって賄わます。

お手伝い普請で多少は諸大名に負担をさせても、システム的に金を上納させる仕組みにはなっていません。

この「幕藩体制」の根本的なシステムの欠陥が幕府の財政を逼迫させたんですが、それはまた長くなるのでまたいずれ。

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