源頼朝と木曾義仲は、実は仲が悪かったのか? どうして平家討伐のため最後まで協力できなかったのか? | えいいちのはなしANNEX

えいいちのはなしANNEX

このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

源平合戦、というときに必ず皆さん陥る勘違いが、「源氏チームと平氏チームが対抗戦を戦っている」というイメージを持ってしまうことです。
源氏対平氏、あるいは源氏対平家(こちらのほうが比較的には正しい)という構造で、一連の戦争を語るのは誤解のもとです。
源頼朝の率いているのは「関東武士団」です。彼らは「武士が自分の土地の支配権を保障してもらえる世の中」を実現したくて、自分たちの独立自治組織を立ち上げた、そのトップとして京都朝廷に対して顔が利く、大義名分の立つ貴族出身のヘッドを招聘した、それが「源頼朝」だというふうに考えてください。
つまり、源頼朝の部下の関東武士団にとって、最重要な事項は「関東自治」であって、頼朝は必ず彼らの意向を最優先して意志決定しなければならない。頼朝個人の事情より組織の論理が優先するんです。
彼らが「源氏軍」である、というのは、看板にすぎません。実際は「関東軍」なんです。源氏に天下を取らせるために戦っているわけではない。頼朝や義経の「平家への仇討ち」おお手伝いをしたくて命を懸けているわけではない、ってことです。

そしてこのことは、義仲の率いる軍についても、まったく同じことが言えます。義仲に従っている軍隊、仮に信越軍とでも呼ぶとして、彼らが戦う目的はやっぱり自分たちの土地支配権を確立したいからであって、木曾義仲に天下をとらせたいとか平家を滅亡させるとかは、手段に過ぎないんです。

頼朝率いる関東武士団と、義仲率いる信越武士団の利害は、ある部分では共通しますが、ある部分では対立します。だから、協力できるときと、対立せざるを得ないときがあるのは、当然です。
平家を討伐するというのは、自分の支配地域から旧勢力の影響を排除するという効果と同時に、朝廷に対して「ポイントを稼ぐ」という手段でもあります。前者の目的では利害は共通でも、後者の点では競争相手であり、敵にもなりえます。
たとえていえば「リーグ戦」なんです。当時の日本には、頼朝率いる関東チーム、義仲率いる信越チーム、藤原秀衡率いる奥州チーム、そして平家の率いる西国チーム、そのほか、が総当りで戦っているんだ、くらいのイメージのほうが、むしろ正しいでしょう。

頼朝の父と、義仲の父の間には、抜きがたい因縁があった、身内というようりは敵同士であった、というのは事実です。具体的にいえば土地の相続権に関するトラブルです、突き詰めていえば。京都貴族にっとってはそんなの野蛮人同士の小さな内輪もめでしょうけど、武士にとっては命がけのテーマです。そして現代の我々はなんとなく京都貴族層の知識人が原型を作った「平家物語」の視点でモノを考えてしまい、武士の常識というものが分かりません。
そして、頼朝も義仲も、自分の個人的な事情とか好悪とか因縁とかで意志決定をすることはできない、つねに支持基盤である足元の武士団の利益を優先しなければならない、ってことは覚えておいてください。

武士というのは、血縁ではなく地縁、遠くの親戚より近くの他人です。武士団は地域ごとに編成され、その棟梁に誰を担ぐかは「先祖が同じか違うか」つまり源氏か平氏かなんて関係ないんです。


双方の棟梁同士が仲がいいか悪いか、なんてことも、組織の意志決定においてほとんど意味がありません。頼朝と義仲が親の仇同士の間柄だとしても、協力できるときは協力するでしょうし、敵対するときは敵対します。
棟梁個人のキャラクターは、まったく影響ない、とは言わないまでも、それだけで物事が動くというような話ではありません。

あなたもスタンプをGETしよう