南北朝時代は、南朝と北朝が戦っていた時代ではない、って話の続きです。
足利直氏と高師直の争いを、北朝の内紛、という言い方はまったく正しくないです。
北朝というのは足利尊氏が政権の根拠として擁立したにすぎません。極端にいえば「尊氏を征夷大将軍に任命するため」だけに奉られている存在です。
尊氏も、直義も、高師直も、実際のところ「北朝のために」戦っていたわけでは全くありません。それが証拠に、直義は兄と対立すると、南朝方を表明します。直義によって尊氏が京都から追い出されると、こんどは尊氏本人が「南朝に味方します」と言い出します。
この時代が「南朝と北朝が戦争した時代」だとすれば、これはもうムチャクチャです。だけど実際のところ、尊氏も直義も、自分に権威を与えてくれるなら南朝だろうが北朝だろうが何でもいいんです。
これは、全国で「南朝方」と「北朝方」に分かれて争っていた全国の武士たちも、まったく同じです。隣の領主と対立したとき、あっちが北朝というならオレは南朝だ。兄弟で相続争いが起こったとき、兄貴が北朝ならオレは南朝だ。そんな程度のことで、みんな都合よく南朝だ北朝だを旗として利用していただけです。だからしょっちゅう入れ替わります。