五代将軍綱吉のとき、幕府財政が悪化したのは、悪貨を発行しかから、なのか? (まあまあ基礎編) | えいいちのはなしANNEX

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質の悪い金貨を発行したから幕府の財政が悪くなったわけではありません。逆です。幕府の財政に余裕がなくなったので、金の含有量を落とした小判を発行したんです。

綱吉の時代まで、江戸幕府はまだまだお金持ちでした。綱吉の時代には、戦国以来の殺伐とした社会風俗を改め、文治政治を推進するとともに、経済刺激策をとり民間消費を拡大して景気を良くする施策を取りました。
徳川綱吉は幕府の金を湯水のように使って、ガンガン寺を建てたり、巨大な野犬収容施設を作ったりして、まあ要するに民間需要を喚起しまくった、ニュー・ディール政策みたいなんをやったわけです。

この時代の政策実行責任者は、側用人・柳沢吉保。よくもあしくも、江戸時代の官僚のなかで一、二を争う有名人です。

さて、元禄時代の経済政策ですが。
世の中の景気が良くなれば、当然、通貨の流通量を増やさなければなりません。そうしないと世の中の経済活動が回っていきません。しかし、江戸城の金蔵にはもう金なんか残っていません。地面の下から掘り出される金の量がいきなり増えることはありません。
そこで、小判の金の含有量を減らした「水増し小判」をつくって流通させたわけです。勘定奉行荻原重秀は「幕府の極印さえ打ってあれば、互でも一両である」と喝破しました。つまり「幕府の権威で一両を保証するんだから、金属の成分なんか関係ない」ってことです。


現代でも同じですが、お札をいっぱい刷ればインフレになります。しかし、ある一定の率でインフレが起きていないと経済は発展しないのも、近代経済学の常識です。
しかし、この時代にはそんな思想はありません。小判というのは「金」という現物資産であり、金の含有量が下がったなら当然価値も下がる、つまり一両で買えるモノが減る、物価が上がる。これは「武士なら絶対にやってはならない卑怯な手段だ」として批判されました。


元禄時代は確かにインフレ傾向でしたが、それは庶民が物価高に苦しみ幕府財政を破綻させるようなものだったのか、それとも景気拡大による妥当なものだったのか、これは今日では俄にどちらかに断定はできない、という流れになっています。

 

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