藩閥と戦った政党内閣、爵位を辞退した平民宰相、庶民の味方というイメージを我々は抱いていますが、原敬の進めた経済成長政策は実際のところは政商、財閥の利益を優先したものであり、現在に至る「利益誘導型腐敗政治」の原型を作った、という批判もあります。
原が暗殺されたのも、そうした「庶民の怨嗟」がくすぶっていたからに他なりません。
この時代の有権者は税金を一定以上納めた金持ちだけです。
だから、国家予算は(庶民のためではなく)政商、財閥のためになるように回さねばならない。
そのためには、官僚から権限を政治家に取り上げていかなければならない。
原敬が推し進めたのは、「あの手この手で官僚組織を弱めて、権限を取り上げていく」施策です。
私服を肥やすつもりはなくても、政権を維持するためには、経済成長政策という名の「財閥べったり政治」を推進しなければならない。
こうした政治で原敬は手腕を発揮したので「政党政治」は軌道に乗ったのです。
これは「政党政治の宿命」みたいなもんで、原敬の人格とか識見とかとは関係ありません。
しかし、庶民は「騙された」と感じたことでしょう。庶民の味方だと思っていた首相が、実は財閥ベッタリの金権政治家だった、となれば、あいつを殺さなければ日本はよくならない、と思い込む人間が出てくるのも無理のないところです。
だから「なんで、あんな優秀な政治家を殺すバカがいたんだろう、おかしい!」と、後世の我々には不思議にしか思えなくなるわけです。当時のリアルタムの世評というのは、えてして忘れられてしまうのです。
原敬の政治力は突出していたので、彼の不在による「政党政治」への打撃は、とてつもなく大きかったというのは事実のようですが、「政党政治というのは、癒着、腐敗と容易に結びつく」という実例を示したのも原敬であり、「政党政治の衰退イコール日本史のマイナス」と一概に言っていいのか、という疑問は残ります。
少なくとも、原敬を暗殺した青年は「原敬を殺せば、日本はマシになる」という信念を持って犯行に及んだわけですから。