上皇から名指しで追討の院宣を出された北条氏は「悪」なのか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

戦前の歴史教育では、鎌倉幕府執権の北条氏は「悪の権化」とされてきました。

なにしろ天皇家に公然と逆い、追討の院宣を出した上皇を島流しにしてしまったのですから。

後鳥羽上皇が北条義時の追討の院宣を出したとき、「少なからぬ武士たちが「極悪・北条」に反発しているはずだから、関東から大量の武士が朝廷側に駆けつけるに違いない、楽勝で幕府を滅ぼせる」と考えていたでしょう。

しかし現実には、鎌倉を裏切る武士は全く現れませんでした。上皇は、完全にアテがはずれたわけです。

なぜか。

北条が「極悪」だというのが京都の価値観による幻想にすぎず、関東武士団からは「何だかんだ言っても、北条が頭目になるしかない」と目されていたからです。

鎌倉幕府には、武士による武士のための武士の政府、という大目的があり、そのためには(多少の内部抗争があったとしても)やはりリーダーが必要であり、その位置に北条がいるなら従うのが「オレたちの正義だ」と諒解されていたからです。

源氏の将軍が消されたのは、彼らが関東武士団の利益と相反するコトをはじめたからであって、暗殺はいずれも関東御家人全体の意志です。

鎌倉幕府は「関東武士のもの」です。将軍は「御神輿」でしかなく、勘違いするようなら振り落とすしかないんです。

政治家というのは結果責任です。鎌倉御家人の利益になる政治をするためであれば、手段を選んではなりません。主筋を殺そうと、天皇に背こうと、武士の利益を守ること、武士全体の支持を失わないことが「正義」なんです。

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