天照大神は女ではありません。神様です。
神様に、本来は性別はありません。
つまり、結婚してお腹が大きくなって子供を産む、ということを、神様はしません。
古事記とか読んでみてください、神様はみんな、なんか不思議な、現代人に言わせれば超常現象みたいにして出現するんですよ。イザナギがケガレを落とすために体を洗ったら、右目を洗うと何の神が、左目を洗うと何の神が、って具合に。
神話なんかだと、民衆に理解しやすくするために、擬人化されたアマテラスは女神として描かれたりもしますが、本来は神様に男も女もないんです。
アマテラスの夫とかって、聞いたことないでしょう?
お腹が大きいアマテラスの絵とか、見たことないでしょう?
天皇家はアマテラスの子孫とされますが、それは「天照大神のお腹のなかからでてきた」という意味ではない、もっと、形而上的な意味で「子孫」なんです。
何言ってるのか分かりますか? わかんないでしょう。私も分かりません。これは自然科学の話ではなく、神学の話ですから。

アマテラスが女神とされたのは、おそらく、「古事記」や「日本書紀」が成立したときの最高権力者が、女帝である持統天皇だったからです。このひとが天照大神のホントのモデルです。
ちなみに持統天皇は女性ですが男系です(父が天皇だから)。日本史上、女性天皇は十代八人、存在します。但し、みんな父方が天皇ですから、男系です。
女系天皇というのは「母親だけが天皇家の出身」ということで、本人が男性か女性かは関係ありません。
では、なぜ女系天皇は認められないのか?
理由は「いままでがそうだったから」、以上です。
いままで二千年近くのあいだ、男系だけで繋がってきたものを、現代人が勝手に変えてしまっていいもんなんだろうか。その勇気がないから、です。
それ以上の科学的理由はありません。
天皇というのは、科学的な存在ではありません。多分に宗教的な存在です。「日本教」ともいうべき宗教のトップが天皇である、と言い切ってしまっていいです。そして宗教というのは、一見非合理な教義を「信じる」ことこそが本質なんです。キリストは死んだあと復活した。聖書にそう書いてあるから。これを科学的に検討したりせずにとにかくまるごと信じることが、キリスト教徒である、ということです。

「豚を食べてはいけない」とコーランに書いてあるのは、コーランができた当時には合理的な理由(たぶん衛生的な何か)が何かあったはずです。現代において、そんなこと守る必要はないだろう、と思われますが、宗教においては、それは言ってはいけないんです。
「これこれの理由があるからこれは禁止です」っていう言い方を宗教はしません。合理性は宗教の敵だからです。何故なら、突き詰めていけば「神様なんてホントにいるんですか。科学的に証明できないんなら、この宗教はまるごとウソってことですか」ってことになっちゃうからです。当然、そうなります。だから、宗教の戒律は理由を説明しません。「ダメだからダメ」なんです。
意識するにせよしないにせよ日本教徒であるすべての日本人は、今まで、古代から男系相続でつながってきた天皇家、という「教義」を信じて生きてきました。それを今、目先の都合で変えていいのか、っていうことです。

ひとつ言っておきますが、Y遺伝子がどうの、というのは、一見科学的に聞こえるだけに、タチの悪いエセ論議です。
竹内久美子、という動物行動学者の先生がいます。
この人の本は面白いです。遺伝とは、遺伝子とは何か、という時にデリケートな問題を、動物の形態や生態を例に引きながら、平易に面白く語ってくれる人です。
たとえば、美人とは何なのか、イケメンといわれる人はどうしてモテるのか、それは「優秀な遺伝子を持っている」という証拠が外形に表れている者は、異性に配偶者として選ばれやすい(つまりモテる)という、動物一般に普遍的な現象で説明できる、っていった話ですね。
この先生は動物の事例(たとえば、左右の尾の長さが違う燕のオスは、メスに相手にさねない、それは遺伝子に「傷」がある証拠と判断されるからだ、だからモテモテの燕を捕まえて片方の尾を切れば、途端にモテなくなる、みたいな話)で解き明かしていくわけですが。
遺伝子で人間の能力が決まる、というのは、いくら「科学的事実」であっても、社会的に「言ってはイケナイ」ということになっています。なので、この先生の本を「トンデモ本」に分類する人もいますが、それは誤解であると思います。

たとえば、「血液型占いには全く科学的根拠がない、といわれるが、実はわずかに相関性があるかもしれない」みたいな話をします。世界にはA型の血液型に強い伝染病というのがあって・・・といった話で、長くなるので詳細は省きますが、これ、本気で「血液型で性格が決まる」と言ってるわけでは全くなく、相対で見れば相関性があるということもあるかもよ、と「科学ってオモシロイね」って話をしてるだけです。
この先生の著書に「遺伝子が解く!万世一系のひみつ」(2006年)というのがあります。私の知る限り、Y遺伝子と男系相続について述べられたのは、この本が最初だと思います。
竹内先生は、男系相続に拘るのには何の意味もない、と言われるけど、遺伝子学的にいえば、「少なくとも、神武天皇のY遺伝子を確実に伝えてる、という意味だけはある」ということです。
これはもしかして遺伝子研究者にとっては価値がある話かもしれないけど、もちろん、Y遺伝子に何か特定の形質は発現させる機能があるってことはなく、「それだけの話ですけどね」っていうことは、ちゃんと本の中でも書いています。
ところが。たぶん、この本を読んで、「なんか、天皇家のY遺伝子を継承しているってことは、とっても貴重なことなんだ」って都合よく誤解してしまったヤツが、この話を振り回し始めたのです。そう、あの竹田さんですね。
竹内先生としても、いい迷惑だと思います。「Y遺伝子を守るために天皇家は男系相続を守らなくればならない、なんてことは一言もいってない、むしろその逆なのに。何を鬼の首を取ったようにワイワイ言ってるんでしょうか。
そういう、笑止な話なんです。みんな、相手にしないであげてください。竹内先生の名誉のために。

私の考えを少し述べると、やはり、女系容認はちょっと躊躇わざるを得ません。
何故か、といわれれば、上記の宗教的な理由とは、ちょっと違う理由です。
戦前までの皇室は、血統により権威を保つことが第一の使命でした。
現代において、皇室の役割は決定的に変わったと考えられます。天皇は「日本国の象徴」であり、マスコミによって開かれた皇室として国民に近くなった。ということは、天皇家は「理想的な家族」でなければ(そう国民に見られなければ)許されなくなっているんです。
皇太子だろうと天皇だろうと、恋愛結婚をして幸福な家庭を築く姿を、日本人に見せる義務があります。でないと国民から「象徴」として認めて貰えないんです。仲むつまじくない離婚寸前の天皇と皇后なんか、国民は絶対に見たくありません。そんな天皇ならもう要らない、という世論が巻き起こるでしょう。
昔の皇太子は、周囲が厳選した家柄のいい女性を連れてきてくれましたから、そのひとと黙って結婚すればよかった。しかし、今の上皇も、今の天皇も、「将来の皇后になってくれる女性」を自力で、とんでもない苦労をして、自分で探し出して口説き落とさなければならなくなった。時代の流れとはいえ、これはとんでもない難事業ですが、今の上皇・天皇は、ともにこれを成し遂げたのだから、たいしたものです。それだけで尊敬に値します。だからこそ、いまでも天皇家は人気があるんです。
現在の制度では、この難事業は、女性皇族には課せられていません。なぜなら、結婚すれば皇籍を離脱するのだから、結婚相手に皇族になってもらう必要はない。ハードルはずっと低いわけです。だから現在の女性皇族は、わりかし、自由に恋愛できます(まあ~、程度はありますが)。
国民の大多数は、そういう皇族が見たいんです。
女性宮家を創設する、女系天皇を認める、ということは、この難業を女性皇族(具体的にいえば愛子様、眞子様、佳子様の三人)に押し付けることを意味します。
「私と結婚すると、表現の自由も、職業選択の自由も、選挙権も被選挙権も、基本的人権のほとんどはなくなりますけど、愛してます」と言われて、大喜びする男は、まず、いません。能力があって将来の夢があるような男なら、絶対に逃げます。
結婚のハードルはいきなり高くなります。ほっとけば一生結婚できないかも知れません。それでは意味ないので、「旧宮家」の男性かなんかが連れてこられて、強制的に結婚させられる、ということになるのは目に見えています。
これは女性にとって、とんでもない不幸です。

皇族が「愛のない結婚」を強要された時点で、国民は「そこまでして天皇制を守らなくていいよ」と考えるようになるでしょう。国民の大多数は、男系だY遺伝子だ、などという理屈ではなく、国民の理想モデルとしての天皇家を求めているのは明らかだからです。でなければ一般参賀にあんなに国民が押し寄せません。国民は、幸福に生きる皇族が見たいんです。不幸な女性天皇なんか論外です。
私がいちばん気になるのは、女性宮家創設、女系天皇容認、という人のほとんどは、当の女性皇族のことを全然考えていない、というように見えることです。「旧宮家の男と結婚させればいい」なんて暴論は、あのひとたちを一個の人間と思っているなら、できないと思います。


