「三種の神器」鏡、剣、玉は、何を意味したものなのか? 圧倒的に真実味のある?新説(私オリジナル) | えいいちのはなしANNEX

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三種の神器、鏡と剣と玉ですね。
私はこれを、「日本は、三つの王国の連合体である」ということを象徴していると考えています。三つの宝が、それぞれのクニを象徴している、それを三つ所有している大王家(天皇家)が、この列島(大八嶋)を支配する権利を持つ、ということです。
もちろん、連合というのは綺麗ごとです。正しくは、鏡のクニが、剣のクニと玉のクニを征服して合併した、ということです。このへんの過程は古事記などの日本神話に、わりと具体的に描写されています。

わかりやすいところで、剣から。
クサナギの剣、もとはアメノムラクモも剣は、スサノオがヤマタノオロチを退治したときに、尾から出てきたものです。だから「作者」はオロチってことになります。これが「神話」に書かれた真実ということになります。
神話は決して、ただの作り話ではありません。古代の真実を伝える貴重な伝承です。この話は、ヤマト朝廷による出雲征服を象徴的に表していると考えるのが一般的です。
出雲は、鉄の産地として知られます。鉄鉱石の採取場となる山は、鉄分を含む土砂が流れて枝状になり、あたかも山全体が、多くの頭のある巨大な蛇のように見えたのではないか、製鉄を力の源とした出雲族は、その山を神として崇めていたのではないか。
つまり、ヤマタノオロチを退治して、そこから出てきた鉄剣を奪う、というのは、出雲族を征服して製鉄技術をまるごとヤマトの支配下におさめた、という歴史を、比喩として表しているんです。これが一般的に言われる「古事記の科学的解釈」です。
なんで神話って、そんなまどろっこしい書き方をするんだ、ズバリ「出雲を征服しました、そこの民衆を虐殺して奴隷にしました、鉄をまるごと強奪しました」って書きゃいいじゃないか・・・って、あなたは思いますか? どうですか?
普通、そんなふうには書きませんね。出雲征服はあくまで「悪者退治」であり、怪物(出雲の王様)に支配されてた民衆を助けたんだ、くらいの物語にしたいところです。
草薙剣、もとは天叢雲劔は、おそらく、もとは出雲族の王権の象徴だったものが、降伏の証として差し出された、そんなところではないかと想像します。これを天皇家が代々保持するということは、日本が「ヤマト朝廷が出雲王国を吸収合併した連合国家である」ということを象徴的に示している、と考えられます。

ソレっぽい刀を製作した古代の誰かがいるのでしょうけど、その人物を特定することには何も意味はありません。また、「いっぺん壇ノ浦に沈んだはずだから、ニセモノでしょ」ということにもならないわけです。

三種の神器のほかの二つは、鏡と勾玉ですが、鏡がヤマトの象徴であることは、言うまでもないでしょう。輝く鏡はアマテラス=太陽の象徴であり、神武天皇が鏡をかざして東征し、ヤマトを支配しています。

では、もうひとつの「玉」が象徴するクニとは?
これはもう、現在大ヒット中のあの映画を見た人なら「ああ~」とピンとくるはずです。
現在の東海から関東、東北を支配していた、ヤマトとは別の王国がありました。
「蝦夷」(エミシ)と呼ばれました。彼らを象徴する宝が、関東の大地から産出される「玉」であり、それを宝飾品の形に形成した「勾玉」は、現在でも埼玉県のマークを形づくっています。
翔んで埼玉、こそ、第三の王国です。

その昔、テレビ東京の「新説・日本史ミステリー」という番組で盛んにやっていた「幻の日本王国を追う」というシリーズがありました。
簡単に言うと、今でいう近畿地方に「ヤマト(大和)朝廷」が出来つつある時代、関東にはそれとは別の、ヤマトに匹敵する勢力圏があったのです。彼らは自らを、太陽の昇る土地に住むという意味で「ヒノモト(日本)」と称していたと考えられるので、彼らの勢力圏を「日本王国」と、テレビ東京が勝手に名づけたのです。


埼玉県の「さきたま古墳群」などを見れば分かるとおり、ここに相当の文化が存在したことは確かです。それが「王国」と呼ぶべき強固な組織体を形成していたか、「ヒノモト王国」などと自分たちで名乗っていたかどうかは、文献記録は一切残っていないので分かりませんが。「新説~」は基本的にはトンデモ番組でしたが、テレビ東京が、関東の遺跡発掘調査を次々に紹介し、ヤマト一辺倒史観に楔を打ち込んだのは評価できると思います。ちなみにのちにヤマト朝廷が「日本」という名前をパクって自分たちの国名にした、ということになっています。
この「関東日本王国」の勢力圏が、のちにヤマトに押されつつも北に移動し、ヤマトから「蝦夷」「俘囚」などと呼ばれつつ、平安時代の終わりころまで継続したというのは、蓋然性のある推理です。

この「蝦夷」を征服した神話が、ヤマトタケルの「草薙剣」のエピソードです。当時、ヤマトとエミシの境界が現在の静岡、「焼津(ヤイズ)」と名づけられた土地だった、ということです。
ヤマトタケルの「神話」に書かれている話は、ホントに起きた話かどうかと聞かれれば、まあ、まるごとフィクションと言うしかないでしょう。だいたい剣で草を払ったら風向きが劇的に変わって敵が焼け死ぬ、って、それ「三国志演義」の赤壁での諸葛孔明のパロディでしょう(これはレッドクリフ見てて思いつきました)。神話ですから、非科学的記述のオンパレードです。
ヤマトタケルという歴史上の人物も、たぶん存在しません。
じゃあ、タケル神話も、無意味な作り話か。そんなことはない。これは「建国神話」なんです。ヤマト朝廷の全国征服の軌跡を、この国がどうやって出来上がったかという長い長い歴史を、一人の英雄の感動的な物語に仕立てて、同時に相手(被征服側)のメンツも多少は立つように脚色したものです。

ヤマトタケル神話は、ヤマト(鏡の国)が、すでに征服した剣の国(イズモ)の軍勢を利用して、玉の国(エミシ)を征服した歴史を、象徴的に表しているのです。
神話は粉飾された物語ですが、単なるフィクションではありません。必ず、もとになる歴史の事実が背後に隠れています。
草薙の剣の「オリジナル」は熱田にありますが、これは天武天皇のときに剣が天皇に祟ったので、遠くに移した、という伝承があります。なんで天皇家の宝が天皇家に祟るのか、分かりますよね、なんとなく、ここまでの由来を知れば。
というわけで、いま天皇の手元にある剣は、レプリカです。もちろん、魂が正式に移された「神聖な、ホンモノのレプリカ」です。信仰の対象なのだから、考古学的な価値で云々するものではありません。
ちなみに鏡もレプリカで、オリジナルは伊勢にあります。
熱田にある、ということになってる剣も、ほとんど誰も現実に見たことがないんで、本当に古代からそのままに伝わったものか、本当に存在するものかも含めて、分かりません。でも「そういう信仰がある」というだけで充分なんです。その剣をムリヤリに引っ張り出して放射線測定をやったからって、だから何か、という話です。


「神話は、迷信だ」という「科学的な思考」に基づけば、そもそも三種の神器なんんか最初からウソです、ニセモノです。

でも、そういうことじゃあない。これは一種の宗教の領域です。

「神なんか存在しない、魂なんかない」といくら叫んだって、神を信じ、魂を崇める人間は現実にたくさん存在します。そういう人間の信仰を否定することを科学的態度とはいいません。

 

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