天皇は、なぜ世襲なのか? という問題の試論。 | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

天皇は、どうして世襲でなければいけないのか。

それは、権威と権力は分けなければいけない、からです。
日本の国政を実際に担う人間は、有能でなければいけませんし、そのために競争をしなければいけません。選挙と権力闘争を勝ち抜いた者が、政治を担います。


政治というのは、汚れ仕事です。必ず誰かを犠牲にせねばならず、必ず誰かの恨みを買い、必ず批判され、非難され、失敗すれば石もて追われなければなりません。
そういう「汚れるのが宿命」の権力者が唯一の表看板だと、彼が決定的に失敗したとき、アノミーが起こります。国の存立が危うくなるんです。
だから、国には、そういうケガレを一身に背負うべき権力者とは別に、「神聖な存在」を取っておかなければなりません。
神聖な存在であるためには、条件がいくつかあります。ひとつは、現実の政治には関与しない(失敗の責任を負わない)。ひとつは、なりたい者がなるのではいけない(権力闘争で手を汚してはいけない)。
つまり、「オレは天皇になりたい」というものが、何かの競争とか試験とかで努力したら、そいつは「他人を蹴落とす」というケガレを受けてしまうんです。
だから、神聖であるべき存在は「生まれたときから、それになることが決まっている」という存在であることがいちばん相応しいんです。
天皇には「なりたい」という自由も「なりたくない」という自由もあってはいけません。なるべき人が、なるべくしなる、でなければいけません。
それが「世襲」でなければならない理由です。


大統領、という存在が権威と権力の両方を持っているという仕組みの国は、そいつがヘンなことで暴走すると、へたすると国のアイデンティティが崩壊する危険があります。
現在でも、日本にとても近しいいくつかの国で、そういう兆候がいくつも見受けられます。
「そうならないための安全装置」が、天皇という存在です。なので天皇は世襲でなければいけないんです。もちろん、だからこそ現実の政治に口を出しません。でないと、神聖性が保てないからです。

「世襲の権威」と「競争の権力」の関係っていうのは、昔から、日本のあらゆる組織に存在します。
たとえば江戸幕府。「将軍」は世襲ですけど、これは基本、実務に口を出しません。政治は老中たちがやりますが、これは譜代大名のなかで優秀な者が選抜されます。つまり世襲ではありません。権力闘争もありますし、失敗すれば失脚します。幕府の象徴である将軍は、そういう闘争から超然としています、なんで可能かといえば、将軍は世襲で、競争要らずだからです(原則的には)。


たとえば商家。主人は世襲です。しかし、若旦那というのはたいてい遊んで暮らしています。じゃあ実務は誰がやるかっていえば、番頭が実際の経営トップです。この番頭というのは、多くの丁稚、手代のなかから能力で選抜されるもので、番頭の息子は番頭になれるわけではありません。
こうした二重構造は、あらゆる組織にあります。日本人の知恵です。

これは社会学だとか哲学だとか、それほどの話ではありません。普通にモノを考えながら生きていれば、自然に分かることです。
我々は学校で、なんとなく、世襲というのはいけないことだ、というふうに教育されます。人間は生まれながらにして平等であり、競争して実力で地位を掴み取るのが絶対に正しいことだ、って教えられます。ヒトを蹴落として偉くなれ、落伍したらば自分の責任だ、って教えられるんです。
それはそれで、いいとするしかないでしょう。会社の経営者とか、政治家とかは、能力がなければ勤まりませんし、能力を証明するためには競争しかありません。どんな汚い手を使っても、権力を掴み取る強さと、弱者を平気で切り捨てられる精神力のある人間が求められる。
でも、それだけで国は、社会は、成立するのか、「そうじゃないひと」が必要なんじゃないか。普通に考えて生きていれば、そういうことも見えてくるはずだ、と思います。

 

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