鎌倉幕府の「得宗専制」ってつまり何なんだ? てのを例えばなしで | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

会社に例えれば、執権というのは社長で、得宗というのはオーナーです。
鎌倉幕府の場合、執権と得宗は同一人物の場合が多いですが、彼が「社長として」会社を運営するのか、「オーナー」として会社のすべてを決めるのか、の違いが「執権政治」と「得宗専制」の違いだと思えばいいです。
(俺は一体なにを言い出したのか?)
会社には二種類あります。社長が創業者一族で大株主で、社長の息子が自動的に次の社長になる「オーナー企業」と、サラリーマンが出世競争して社長になる企業。
後者の場合、社長はみなの意見を集約して結論を出すチェアマンですが、前者の場合、社長は独裁者です。
鎌倉幕府というのは、もともと特定のオーナーのいない、協同組合のような組織で、将軍も執権も皆の代表者のような地位でしが。それが、いつのまにか、北条得宗家が自社株を買占めてしまったわけです。
「得宗専制」とは、わかり易くいえば、鎌倉幕府がいつのまにか「北条氏のオーナー企業になっちゃった」ということです。
・・・かえってわかりやすくなくなってるか?
執権というのは「評定衆」の代表にすぎません。つまり、御家人総会の議長です。会社の社長と同じで、ちゃんとみなで会議して社長が決定する。トップではあるけど独裁者ではありません。
「寄合衆」とは、得宗の私的諮問機関、みたいなもんです。つまりオーナーである得宗の家来にすぎず、得宗が何でも一人で全部決めてしまい、ほかの御家人は文句をいう機会もない、という状態だと思えば、イメージが合うと思います。
そうさな、別のたとえをすると、みんなで作ったクイーンというバンドが、いつのまにかフレディ・マーキュリーの意見だけが通る、風通しの悪い集団になってしまったようなもんで、こうなると風通しが悪くて創造性のない組織になり、解散への道をまっしぐら、となります。そんなようなもんかな。
さらにわかりずらい?すいません。