信長はなんで副将軍の位を貰わなかった?真っ平でしょ。 | えいいちのはなしANNEX

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織田信長は、足利義昭が管領や副将軍の地位を呉れると言われて、簡単に断りました。
だって、そんな貰ってしまったら、「室町幕府の一員」「足利義昭の家来」である、ということになってしまいます。それはよろしくない。信長はあくまで「将軍義昭の保護者」のポジションを取ろうとした。つまり、どっちが格上か、ってことです。
信長が将来、義昭を追放して幕府を消滅させるようなことが有り得る、と想定していたかどうかは何とも言えませんが、仮にそうなった場合に、信長が幕府の肩書きを持っていたら、世間から「謀反人」と呼ばれることになるわけです。それは真っ平ですよね。
将来、将軍の首を挿げ替えるにせよ、自分が将軍になるにせよ、将軍より高い地位(それが何だかはまた議論がありますけど)につくにせよ、信長にとって公に「義昭の家来」になることは、なんのメリットもないわけです。
信長以前にも、京都を抑えて一時的に室町幕府の実権を握った。お山の大将的な「天下人」は何人かいました。しかし、信長の目標はそんなのの一人に名を連ねることではい。冗談ではない、真っ平です。
天下を統一して新しい日本を作ろうと考えている人間にとって、「室町幕府の肩書き」なんか、何の意味もない、むしろジャマだった、ってことです。