黒田如水(官兵衛)は、天下を取る一歩手前まで行った、というのはホントか、それとも「武勇伝」か? | えいいちのはなしANNEX

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関ヶ原の戦い の際、黒田如水は九州を平定したあと、中央で勝った者と決戦して天下を取ろうと考えていた、という話は、如水が吉川広家に出した手紙に自分でそう書いている、というのが根拠になっています。
「関ヶ原が長引けば、ワシは九州を平定し、中国に攻め込み、天下を取れたのに、おまえさんが余計なことをしてくれたおかげで、関ヶ原は一日で終わってしまい、ワシは天下を取り損ねたわい」
って内容なんすね。

言いますねえ、軍師官兵衛。自分で言ってるんだから、確かでしょう。・・・か?

・・・でもね。常識で考えましょう。
ホントにそんなこと考えてたら、そんな、手紙に堂々と書き残すかなあ?
これは、誰が読んでもジョークとして通じる、と見切ってるから言える大法螺なんじゃないのか。
もし、こんなこと言ってますよって広家にチクられて、家康の耳に入ったとしても、「あのジジイ、またそんなお茶目な大風呂敷を」と苦笑いされるだけ、というのを読みきってるから、こんなことが書けるんじゃあないのか。
戦国生き残りのじいさんの法螺話を、いちいち真に受けてはいけません。 これは、いわゆる「武勇伝」です、武勇伝武勇伝、デデデデンデンデデンデン、レッツゴーっていう、あれです。

黒田官兵衛というのは、かなりヒトを食った、トリッキーでお茶目な人物だったんじゃないでしょうか。特に、晩年は。
とうの昔に隠居して、福岡の黒田家とは関係ない。天下御免。あの官兵衛じゃあ、しょうがない、言わせておけ。
晩年の如水は、こういう法螺を吹いても許されるようなポジションを確保していた、っていうふうに、読んだほうがいいんじゃないのか。
そう考えると、なんか、ますます面白い人物だなあ、と思うんですが。

以前にも書きましたが、伊達や上杉と同じく、黒田如水も、関が原を「最終決戦」だとは理解しておらず、これでまた戦国乱世に戻る、群雄割拠の世の中がまたやってくる、自分の勢力を広げて自立するチャンスだ、と考えていた「辺境大名」の一人だと考えられます。

西軍の主力は、表向きは毛利です。毛利と徳川が戦えば最後は家康が勝つだろう、くらいは当然、予想していたはずですから、西軍が負けたところで、ガタガタになるはずの毛利領内を虎視眈々と狙っていたかも知れません。

毛利のもつ瀬戸内海の利権の分捕りに動く、というのは、とてもありそうだと思われます。

しかし、その勢いで一気に中央の覇者と決戦して天下を取ろう、とまで考えていたというのは、ありえません。そんなのは現実的に無理だと自分で分かっていたはずです。あくまで、日本が再び乱世になることを期待し、オイシイところを分捕っていこうと考えていたでしょう。
それもこれも、「うまく世の中が乱世になれば」という、老将の最後の夢みたいなもんで。

当然、そんな老後の趣味にすべてを賭けるわけがないんで、リスクヘッジは取っています。それが、息子の長政が東軍の真ん中にいるという事実です。アイツが家康の傍にいる限り、何とでもうまくやってくれる、という最強の保険があるから、思う存分に冒険することができた、というのはあるでしょう。

 

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