「籤引き将軍」足利義教(元祖第六天魔王)は、もとは天台座主だった、というのは凄いな。 | えいいちのはなしANNEX

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のちに「籤引き将軍」足利義教となる義円は、24歳の若さで天台座主になっているんですね。

この時代の天台座主なんて、ただの親の七光りかと思うと、「天台開闢以来の逸材」とまで呼ばれたそうです。

徳高いかどうかはともかく、若いときからキレ者だったのは、間違いないようです。

比叡山延暦寺は平安中期以降、広大な荘園財産と強力な軍事力を持つ大勢力であり、その内部は「高級貴族階級の利権のかたまり」みたいな存在でした。そのトップである天台座主というのも、平安中期以降は、宗教指導者というようりは「延暦寺という大名家のお殿様」みたいな存在と化していた、と言っていいでしょう。座主には皇族や摂関家出身者しかなれず、ときの最高権力者の縁者が就任するものでした。
室町幕府最盛期に、ここに割り込んできたのが、公家としても最高位に就くに至った足利将軍家です。
足利義満の息子が四人も出家しているのも(のちにその中から籤引きで義教が将軍に選ばれるわけですが)、余ったから坊主にしたわけではなく、「この勢いで宗教勢力も足利家で抑えてしまおう」という権力闘争の一環と考えたほうがいいでしょう。


ですから、義円が若くして天台座主になったのも、宗教家としての徳が優れていたということではないでしょう。「足利将軍家が、幕府、朝廷に加えて比叡山までも手中にした」というふうに考えるべきです。

そして、兄の義持が死ぬと、この天台座主義円が、抽選で選ばれて還俗し、将軍となります。


抽籤、というのは要はくじびきです。現代人は「なんていいかげんな」と思うかも知れませんが、これは「神意を問う」ということで、きわめて神聖な手続きで選ばれた、ということになります。内乱の結果、敵を殺して将軍になった者なんかは比較にならない権威がある、と考えられたのです。
しかも前身が宗教界の最高権威である「天台座主」なんですから、これはもう、最強どころではありません。そりゃあ「神に選ばれる」わけです。


この権威をフルに利用して、義教は強健的な独裁政治を推し進めます。旧勢力の既得権益を破壊し、京都に反抗的だった関東公方を討伐して日本史上はじめて「日本全土を統一」するという偉業を達成します。

その事跡は「織田信長そっくり」だという話は依然も書きました。なにしろ比叡山の焼き討ちまでやってるんですから。しかも、もと天台座主なんだから、比叡山は出身母体だったはずじゃないですか。こりゃあ「第六天魔王」と呼ばれるに相応しい。
「オレは神に選ばれた人間だ」と公言するところ、最期は家臣の赤松氏に、招待された宴席で襲われて討ち取られる(嘉吉の変)ってとこまで、信長に瓜二つです。

足利義教は、間違いなく「天才」と呼ばれるべき人物であり、天才すぎるあるがゆえに自分を過信し、肝心なところで「普通の用心」ができずに、高転びに転んだ、っていう感じでしょうか。

戦国時代はこのひとの死とともに始まった、ってのは文学的表現すぎるかも知れませんけど、結構そう言ってもいいかも、と思います。

 

 

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