「八幡太郎」源義家は、徳川家康の架空先祖の英雄である | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

現在の東北地方は「蝦夷(エミシ)」という異民族の国であり、この平定(てゆうか征服)は、朝廷としては悲願でした。
ヤマトタケルの遠征の物語でも「エミシ」を討伐していますが、当時のエミシは関東平野までが勢力範囲で、ヤマトタケルの時点ではせいぜい南関東のエミシを征服したところまでです。
少なくとも、本州の全てのエミシを征服または帰順させなければ、「天皇の朝廷が日本を征服した」とはいえません。
奥羽は京都からみて「鬼門」にあたり、そこに巣食うエミシはまさに「鬼」です。これを放置すれば必ず天皇に災いをなします。
って、これは完全に京都の朝廷側からみた勝手な理屈ですけど、そういう一種「宗教的な信念」で、辺境でただ平和に暮らしているだけのエミシでも、朝廷から見れば不倶戴天の敵になってしまうわけです。
なので平安時代に入り、桓武天皇は本気で蝦夷征伐に乗り出し、エース坂上田村麻呂を征夷大将軍に任じ、本格的な蝦夷征伐に乗り出します。
坂上田村麻呂はエミシの族長アテルイと死闘を演じますが、最終的には「エミシが帰順して忠誠を誓うかわりに、自治権を認める」という線で講和を結び、アテルイを連れて帰郷します。
ところが朝廷では「鬼と和睦などとんでもない」と、アテルイを処刑してしまいます。田村麻呂はたいそう悲しんで、清水寺を建ててアテルイの霊を祀りました。おしまい。
おしまいじゃあないって。
長々と書きましたが、そういうふうにして、東北のエミシの末裔たちは、東北に「独立政権」のようなものを作り、京都の朝廷に従うような逆らうような、そういう(京都から見れば)キモチワルイ状態が続きました。
やがてチャンスがやってきます。エミシの子孫・安倍氏が、内紛を始めたのです。そこで朝廷は、源頼義・その息子義家の軍勢を送り込んで、こんどこそ奥羽を完全支配しようとします。これが「前九年、後三年の役」です。
この当時の奥羽の諸勢力は、みな中央の貴族の分家から婿をとったり嫁を取ったりして「安倍」「清原」「藤原」など京都の貴族の名前を名乗っていますが、本質的には蝦夷の子孫です。
この戦争の詳細は複雑すぎるので書きませんが、とにかく最後は源義家が戦いに勝利を収め、清原氏の生き残りの子供に「藤原清衡」を名乗らせて傀儡政権を作り、奥羽の地の平定を達成したのです。
つまり、源義家は、はじめて日本統一(本州、四国、九州まで、北海道はまだ日本でない)を成し遂げた英雄なのです。
と、いうことになってますけど、実際のところは奥羽の支配者を「奥州藤原氏」という京都の摂関家と同じ名前を名乗る一族にすげかえただけで、奥羽全体が朝廷にひれ伏すようになった、という実態には程遠いのですが(その証拠に、奥州藤原氏自体がまたすぐ独立政権化してしまいます)。
まあ、「八幡太郎義家」は、戦の神様と崇められ、後世、源氏の子孫で天下を取った家は「義」か「家」の文字をアタマに付けるようになります。

以上、ものすごく要約して説明しました。はしょった前後の部分で(ストーリーをわかり易くするため)脚色が入ってますのでご了承ください。