武士の基本は「一所懸命」であり、今ある領地を命がけで守る、ってことです。
武士にとって領地も領民も代替可能なただの収入源ではなく、命がけで愛する唯一無二のものです。これが「武士の心」の基本。
ところが豊臣秀吉という人は、領地を」「石高」という数字でしか見ていない、「二倍の石高の領地をやるから他所に行け、どうだ嬉しいだろう」ということを平気でできた。
考えてみれば彼は小さな領地を一所懸命に守った経験がない、農地を耕したことのない男なんです。つまり、性根が武士ではなく商人なんです。
彼は配下の大名を「加増」と称して他所に動かして、恩を売るフリをして苦労させるのが得意でした。黒田官兵衛を播磨から九州に、伊達政宗を米沢から仙台に、上杉景勝を越後から会津に、徳川家康を東海から関東に、これみんな、秀吉に言わせれば「加増」でも、本人たちにしてみれば「先祖代々の土地を取り上げられた、他所にやられて苦労させられた」という恨みでしかなかったんです。
だから、秀吉の死後に豊臣政権がアッという間に崩壊したのは当たり前なんです。「関ヶ原」のときも、豊臣の恩に報いようなんてヤツはほとんどおらず、ドサクサ紛れにもとの領地を取り返そうってヤツばっかしでした。
石田三成がいくら「豊臣の恩」なんて叫んでも、誰もついてこないのは、あたりまえなんです。その点、家康は「先祖代々の土地を守りたい」ていう武士の心を持ってる。つくならこっちです。決まってます。
「本領安堵」という言葉が、戦国時代のキーワードです。
どんなに領地を減らされても「本領」つまり先祖代々の土地さえ「安堵」されれば、武士はあくまで戦わずに講和(降伏)するものです。
逆に、どんなに領地が増えても、本領が没収されたのでは、それこそ「元も子もない」のです。新しい領地にはもともとの住民、地侍が根を張っていて、それを服属させるのは並大抵の苦労ではありません。それに失敗すれば、ヘタをすればゼロになる。
佐々成政は新領地の統治に失敗、一揆が頻発した結果、切腹になりました。
黒田如水だって危なかった。入れ替わりで出ていくはずの宇都宮一族が居座って動かなかったため、これを「騙まし討ち同然」の手段で滅ぼさなければならなくなった。大河の「軍師官兵衛」を見た人は覚えているでしょう。あれは大河史上画期的な「主人公が卑怯な殺人をするシーン」として強烈でした。
領地を「移される」というのは、こういうことなんです。