武田信玄は「御館様」、今川義元は「太守様」。このへんはどう違うのか、どっちが格上とかあるのか。 | えいいちのはなしANNEX

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 「おんな城主 直虎」第一回に出てきた今川義元、春風亭昇太だからもっと陽気なおじさんかと思ったら、もんのすごい怖かったですね。まだロクに喋ってないけど、今後、どうなるんでしょうね。「太平記」の片岡鶴太郎(北条高時)のように、役者としてバケたりするんでしょうかね?

 ところで、今川義元、「太守サマ」と呼ばれていました。

 「真田丸」では、武田勝頼は「おやかた様」でした。親方ではなく、御館です。「館」に住んでいる、という意味ですが、これ、室町幕府から「御館」を名乗ることを許された二十一家(武田も今川も含まれます)だけの、特別な称号です。

 なんとなくあちこち調べてみましたが、「太守」という呼称は、時代によって、ちょっとづつ変わっているようですね。まとめると、こんなかんじです。
(1)室町時代―複数国の守護を兼ねている者の称号
(2)戦国時代―多くの国を支配している守護大名
(3)江戸時代―国持大名の称号
 駿河守護の今川氏は、遠江守護も兼ねている時機が多かったので、今川義元は(1)でも(2)でも「太守」に間違いない。

 今川義元は「太守様」でも「御館様」でもどっちでもアリなわけですが、このドラマではより格上っぽい「太守」を採用しているのだ、と解釈できるかと。


 信玄の武田氏は甲斐守護だけですから、(1)では太守ではない。信玄の時代に信濃の大部分を征服したといっても、それで幕府から正式に信濃守護に任じられたというわけではありませんね。

 まあ、この時点で「太守」を自称しても誰も文句は言わないでしょうけど。武田信玄としては、ムリに「太守」を名乗るより、正式に認可された「御館様」と呼ばれたほうがスワリが良かったんじゃないかと思います。