一人の英雄が「もしもいなかったら」、歴史は変わるのか? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

 「もしも織田信長がいなかったら、戦国時代は終わらなかった、日本はこの先、百年は送れていただろう」
 さあて、どうでしょうかねえ。

 信長という人間がいなかったら、というのと、信長のような仕事をする人間が出てこなかったら、というのは全く話が違うわけで、そこを曖昧にしたまま、あまり乱暴に歴史を語るのは、如何なものか。
 信長が英雄で天才であることは、いいとしましょう。でも「信長のような仕事ができる人間なんて、他にいるわけがない」というのは、買いかぶりです。
 何かのアクシデントで信長がいなくなれば、歴史は、信長のような仕事をする人間を、必ずどこかから持ってきます。それは秀吉か家康か、とかいう話ではなく、「信長がいたために世に出ることがなかった誰か」でしょう。あるいは、信長の代わりに「その時代の、その立場」に立たされれば、誰でも必然的に「信長のような人間になり得る」とも言えます。


 歴史には、流れというものがあります。前時代の体制が行き詰まったら、それを打開して新しい体制をつくらなけばならない、という機運が社会全体に広まります。特定の特別な天才が現れたように見えても、それは「歴史が彼を要請した」のであって(天が、という言い方を司馬遼太郎なんかはします)、変革者が必要なときに信長がそこにいなければ、誰か別の人間に白羽の矢が立つだけです。彼は、信長のような考え方を持ち、信長のような仕事をし、信長のように倒されて、歴史的使命を終えるでしょう。でも彼は、信長のいる世の中では出番がなく、平々凡々とした生涯を送っていたかも知れません。
 皆様すいません、ものすごく大上段に構えた書き方をしてしまいましたが。要するに「信長がいなきゃ、代わりの誰かが信長の仕事をします、それが歴史ってもんです」ということです。


確かに、信長のような仕事をする人間が他に誰もいなかったら、時代の進歩は百年遅れるかも知れませんが、そんなことはありえません。

歴史は必ず、一定のある方向に進むんであって、仮に一人の天才がいなかったからといって、他のすべての日本人がボーッと時をやりすごしている、なんてことはあり得ません。
 歴史の歯車を元にもどそうとする者」は、何がどう転んでも、結局天下を取れません。「時代の流れ」に乗っている人間だけが、歴史を動かせるんです。
 信長がいまいが秀吉がいまいが、他の誰か(複数の協力かも知れません)が、戦国を終わらせるでしょう。歴史ってたぶん、そういうものです。たぶんね。