最近読んで「なんか力付けられた」(笑)タイトルの本の話を書きます。
「ハムレットは太っていた!
」(河合祥一郎著・白水社)。
図書館で借りて読んだ、けっこう昔に出た本ですが。どうしてオレが今まで読んでなかったかなあと思うような(笑)、そんな内容です。
内容をまとめて言えば、「役者の肉体抜きにして、登場人物は語れない」ということです。座付き作家シェイクスピアは、劇団にいる役者にあてて脚本を書いているのだから、劇団のどの役者が演じたのか、その役者はたとえば痩せていたのかがっしりしていたのか、そういった考証を無視してテキストだけを読んでも,分からないことがあるんだ、ということです。
で、表題にもなってるハムレットですが、最終場の剣試合の最中、母であるガートルードが「あの子はfatで、もう息を切らせている」と言っている。つまりハムレットはファットなのです。ところがこの「事実」を、現代人はあれこれ理由をつけて否定しようとします。ハムレットは思索型の哲学者タイプの、痩せた青年だ、というイメージが出来上がってしまっているからです。
しかし、エリザベス朝のイングランドで、痩せているのはカッコよくて、太っているのはカッコ悪いと考えられていたかというと、むしろ逆なのです。
痩せて小さな男は、人から侮られ笑われる存在で、これは「道化役者」ケンプの役回りです。一方、カッコイイ男というのは、肉付きがよくて背が高い「マッチョな男」であり、劇団の立役者バーベッジはまさにそういう体型の役者だった、というわけです。
つまり、「ファット」というのは当時としては、母が自慢の息子を形容するに相応しい褒め言葉なのです。デブ、と訳したらまちがいです。「あのコ、立派な身体なのよ~」くらいに訳すべきなのです(たぶん)。
近代になって「ぐずぐず悩むハムレット」というイメージが出来上がったため、ハムレットは痩せているに決まっている、という固定観念ができてしまったのです。
オフィーリアが「理想の軍人、宮廷の鏡」と言ったように、本来のハムレットは大柄で体育会系な男なのです。彼がなかなか復讐ができないのは、性格が優柔不断なせいではなく、「ヘラクレスのような完璧な男でなければならない」と決意しているからなのです。彼の目指すのは「復讐」より「正義」です。しかしハムレットはやはり人間であり、神ではありません。そこが「ドラマ」なわけです。
もちろん当時だって「肥満」がイイ、ということはないわけですが。ただ、巨体であるフォルスタッフは、痩せっぽちよりよほど男らしいと考えられていたわけです。一方、痩せて小さな道化役者は、自らの弱点を逆手に取って笑いを取る存在です。つまり、「痩せて小柄な道化」と「太った大柄の三枚目」は、まったく別系統であり、演じた役者も違う、ということです。フォルスタフの系譜には、ボトム、ポローニアス、ドグベリーがいます。
また、女役の二人がからむと、えてして「身長差」が話題になるが、これは劇団に、年少の少年と年長の青年の二人の「女形」がいたからだ、というのも鋭い推論です。ヘレナは「女にしては大きすぎ」て、ハーミアは「小さくてカワイイ」。当然、ヘレナのほうが年長なので芝居は上手い(だから台詞も多い)わけですが、女装してカワイコぶるには無理がある背格好になりつつある。そのへんの「見た目」を利用した脚本になってるのだ、と。なるほどです。ヘレナはベアトリスになりロザリンドになり、やがてガートルードやマクベス夫人になる。ハーミアはヒーローになりシーリアになり、やがてオフィーリアになるわけです。二人の子役の成長に従って、シェイクスピアの女性登場人物も成長していく、と。これはなかなか面白いパズルです。