健康は大切だ。家康は健康だから天下が取れたんだしね。ってそれホント? | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

今日のは、まずまずですかね。


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 最近、健康について深く考える(考えざるをえない)私ですが。


 よく、家康と秀吉は「長生き合戦」であり、健康オタクの家康が秀吉より長生きしたおかげで天下が取れた、などと言われます。

 それは本当か、秀吉が家康以上に健康に気をつけていれば、一年でも秀吉が長生きしていれば、豊臣の天下は続いたのか、みたいなことを真面目に考えてみます。


 秀吉が家康より長生きするというのは、具体的にはどういうことでしょうか。
 秀吉は家康より6歳年長です。
 史実の家康の没年(1616年、イロイロあったのう、と家康死す 満73歳)よりさらに1年でも秀吉が長生きしたということは、秀吉は満80歳まで生きなくちゃいけないことになります。当時としては、とんでもない高齢です。その歳までまともな判断力をもって政務を取っていたかどうか、おおいに疑問です。

 結局、寝たきりの秀吉と年少の秀頼の脇で、家康が三成らを粛清し、権力を掌握し、その地位を順調に秀忠に移譲しているんじゃないでしょうか。いくら秀吉をIFで長生きさせても、秀頼が秀忠の年齢を追い抜けるわけじゃないんですから、結局は徳川政権でしょう。秀忠はあなたが思っているほど無能でも無欲でもありませんよ(会ったことないけど、たぶんね)。
 では、史実の秀吉の没年(1598年、異国は征服できなかったのう、と秀吉死す 満61歳)の前に家康が病死する、という設定を考えてみましょう。その場合でも、秀頼がまだ幼少で政権担当能力がないことには違いありませんから、秀吉の死とともに、三成と清正・正則が抜き差しならぬ関係になって、そこに誰か・・・前田か毛利か上杉か知りませんが、乗り出してきて、結果、豊臣政権は崩壊します。家康がやるはずだったことを、誰か代わりの者がやるだけです。そのあと、もしかしたら秀忠が満を持して出てくる、はずです、秀忠はあなたが思ってるよりすっと有能で周到です、会って確かめたわけではないけど、たぶん。
 いずれにせよ、秀吉がいかに長命を保ったとしても、家康が死んでから短期間で徳川家を「なんとかする」ことは不可能です。十年あっても難しいでしょう。家康なきあとの徳川家を潰すような力も余裕も大義名分もありませんし、ましてや徳川さえいなければ他はみんな秀頼に忠義を尽くす者ばっかり、なんて御目出度い話があるわけでもありません。
 家康ヌキで「徳川幕府」ができたかどうかは微妙ですが、結局、豊臣政権の永続は、ムリです。名目は豊臣家が続いても、実権は徳川が握っている、という形になるのが精一杯でしょう。