秋の自転車旅行(ご近所だけど)付録・フィギュアスケート中継がなんとなく「気まずくなる」とき | えいいちのはなしANNEX

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このブログの見方。写真と文章が全然関係ないページと、ものすごく関係あるページとがあります。娘の活動状況を見たいかたは写真だけ見ていただければ充分ですが、ついでに父の薀蓄ぽい文章を読んでくれれば嬉しいです。

秋は落ち葉を踏みしめながら自転車を走らせるのによい季節です・・・って、寒いな結構。

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まあとにかく、はるばる代々木公園まで自転車を走らせてきたわけです。

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紅葉を楽しんだあとは、お腹がすいたので途中の中国麺類屋に寄りました。おお豚が自転車に。

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モツ鍋麺などもあったりして、なかなか冬向きの店ともいえましょう。

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「万豚記」って、豊洲にもあったなそういえば。今日はけっこう走りました。親は歩いただけ。
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ところで。鈴木明子グランプリファイナル進出おめでとう。男女とも日本人が6人中2人がファイナルに残ったというのは面目を保ちましたね。しかし、これで鈴木がファイナルで好成績あげたりしたら、ちょっとモメるだろうなあ。なにせマオちゃんをバンクーバーに出さないという選択肢はないだろうから(NOCも、スケート連盟も、ロッテも)。


しかし、「4位以上でファイナル進出」という状況で、残り上位4人残して現在1位、ということは、「あと4人のうち誰かがコケれば・・・」と言ってるも同然になり、以後の中継がなーんかキモチ悪いものになったのも事実です。テレ朝のアナウンサーが、誰かがちょっとつまづくと「おお」と嬉しそう(とも聞こえるよう)な感嘆詞を発するのが、「なんかこれ、さわやかなスポーツとはちょっと違う」という気分をかもし出したことも事実です。


そういうわけで、一昨冬に書いた文章を思いだしました。再録します。


今日発売の週刊文春(3月2日号)で、先崎学さん(将棋指し)と堀井憲一郎さん(ずんずん調査)が、ともに1ページコラムで(73、74ページと、紙の裏表で)「トリノオリンピック(中継)が盛り上がらない理由」について述べています。「日本人がメダル取れないからでしょ」みたいな安直な論ではなく、ともに「冬季競技のもつ構造的問題」が主因だという点で一致しているのが面白いです。つまり、陸上や水泳は一列に「ヨーイドン」で勝敗を決める種目が多いから一目瞭然で面白いのだが、冬の競技はというと一人ずつ順番に走って(飛んで、滑って)最後に順位が分かる、というものが多いからなんだ、ということです。これは(私も含め)だれしもが薄々思っていたことでもあり、奇しくも「データと論理で詰める」のがウリのこの二人が同じ論旨になるのだなあ、と。


 ただ、この先の展開がちょっと違って、堀井氏は「順番にやる競技は、途中で日本人が上位に入ると、あとからやる外国人選手が全員コケることを期待することになる。他人の失敗を願う、ネガティブな感情で見なければならないスポーツが、盛り上がるはずがない」というのに対して、北海道出身でスキー・スケートにおもいきり親しんだ先崎氏は「冬の競技はみんな、つまるところ大自然と戦いであって、人間同士の戦いせめぎあいの要素が薄い、だから長閑さ、おおらかさが漂ってしまうのは仕方ない」といいます。なるほど。それぞれの立場で、真実を突いているなあと思うわけです。


 私は、夏の競技は根源的だが、冬の競技ってどこか人工的なんだ、と考えます。陸上とか水泳は、時計なんてなかったギリシャ時代からやっていたけど(勝ち負けだけなら記録は要らない)、冬の競技って、スキーにせよスケートにせよボブスレーにせよ、千分の一秒が測定できる時計がないと成立しないでしょう。この差はある意味、コンピューター相手のテレビゲームより、人間同士対戦ゲーム(その究極が将棋)のほうが、素朴だけど圧倒的に面白い、というのに似ている、と思います。そういえばカーリングはやけに面白かったですよね。あれは対戦型ゲームだからですよね。人間同士の駆け引きが、やっぱりいちばん面白いんです。