前回、英語と遺伝という記事を書きました
今日は、英語と遺伝に引き続き、
「娘の場合」
について考えてみたいと思います。
我が家が英語を始めた理由は、娘が生まれた時代はあまりにも震災が多い時期で、
娘には、世界の動きやさまざまな人々の意見を知った上で
自分で自分の人生を切り開いて生きていって欲しいと思ったから。
それには、情報収集をするにも英語が必要不可欠だと思ったんですね。
ただ、英語を始めたのはよかったものの、
小学生(公立小)のうちは、英語ができても、それが意味をなさないというか
それよりも、小さい頃って運動ができるかどうかが全てだったりしますよね。
もちろん、そんなことは百も承知で英語を始めていたので、
娘には3歳の頃から、体操、テニス、ジャズダンス、水泳、
単発だと、かけっこ教室、ドッチボール、水泳のプライベートレッスン、鉄棒や縄跳び教室など
英語以外は運動ばかりやらせてきました。
ただ、英語と違い、運動はどう頑張っても苦手でしたね〜。
そんな娘を見て、
運動ができる子と、苦手な子の違いって何だろうと考えてみたのですが、
運動ができる子っていうのは、常に飛び回っているんですよね。
家の中でも、家具にぶら下がり、壁を登って、
道を歩けば、ポールを飛び越え、塀の上を歩き、
学校の登下校中は、友達と競走しながら全速力で走り、
休み時間は、ドッチボールやサッカー、縄跳び、
わたしがお金を払って娘にやらせていることを、
運動ができる子は、すべてを日常生活の中で勝手にやっている。
要は、四六時中、筋トレをしているわけですね。←ちなみに、わたしはこっちのタイプの子だったんです(^^;
そんな活発なお子様たちと比べて、
娘は、小さい頃から公園へ行くよりも、家で本を読むことが好き。
学校の登下校中だって、二宮金次郎のごとく本を読む、
休み時間は、図書館で読書をしてすごし、
私や友達と一緒のときには、ぬいぐるみごっこや妄想ごっこをして遊び、
いつも見えないキャラクターと一緒に架空の世界で過ごしていて
頭の中はお花畑、
娘は、ずーっと物語の世界で生きてきたんですよ。
同じような小学校生活を送っていても
常に体を動かしている子もいれば
娘のように物語の世界に没頭して、妄想の世界で過ごす子もいる。
それはもう親がコントロールできることではなくて、
これこそが生まれ持った「何か」なんだと思う。
その「何か」が娘の場合は偶然、英語につながって開花したけれど、
英語じゃなくても、お話作りや、映像制作、
もしかしたら、妄想の世界観が音楽の世界で活きてくるかもしれないし、
ものづくりの世界で必要とされる能力になるかもしれない。
子供の「何か」が広がる可能性というのは、
長く生きてきた大人の方が閃きやすいとは思うから、
それを一緒に見つけてあげられたら楽しいだろうな、とは思うけれど、
別に大きなことを達成できなくても、
自分の中でひっそりと育てていく世界だって
同じくらい素晴らしいと思っています。
ま、そんなのは綺麗事だし、
私の場合はもっともっとと欲が出てしまったからこそ
娘にさんざん苦手なスポーツをさせてきたんですけどね自分がスポーツ女子だったので娘の気持ちがよく分からず、、、
でも、親がいくら頑張ってやらせても、
子供の「好き」には勝てませんでした