学ばなくなったら、人生は面白くないのでは? | 外資系 戦略コンサルタントの着眼点

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戦略コンサルでマネージャーを務める筆者が日々の出来事を独自の視座で書き綴る


友人がIT企業で役員をやっているのですが、今年から担当する事業が広くなり、自らもプログラマーの部隊を管理するようになったと、一緒にランチした際に聞きました。

本人はプログラマーの出身ではないので、プログラムはまったく知らないのですが、今後はプログラマーと話をするためにも、プログラミングをゼロから学び出したと言います。

30歳を越えて、ゼロからプログラミングを学ぶのって大変だねぇ」と言いそうになった瞬間に、ハッと口を閉じました。
そのときに思ったのは、“あれ、いつから学びを大変だなんて思うようになったんだろう?”ということです。

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代の後半にMBAに行くときも、銀行時代に証券アナリストの資格をとったときも、周りの人からは「勉強好きだねぇ」とか、「勉強ばっかりで大変だねぇ」と言われ、それに対して、“学ぶ機会があることは素晴らしいはずなのに、なんで『大変』という認識になるんだろう?”と本気で疑問に思っていました。

そのときは、“やはり歳をとると、学びが面倒くさくなるのだろう”とか、“自分がそうなったら、成長はない”と考えていました。
だからこそ、プログラミングを学ぶことに対して、「大変だね」という言葉を発しそうになったときに、とっさにブレーキがかかったのでしょう。

学ぶことが、経験から新たな発見を吸収していく過程だとすれば、学びを辞めることは、新たな経験や発見の機会を放棄することに他なりません。

どう考えても、そんな人生は面白くありません。

ちなみに、あるイタリアの教授がおこなった実験で、シーソーや迷路など、知的な刺激が多いオリで飼われたネズミの脳は、シナプスが枝分かれして結合点も多くなり、新たな学習が容易になることが判明しました。
一方で、こうした刺激の少ないオリのネズミは、シナプスの形成が少なく、学習効果が悪かったといいます。

人も同じで、学ぶことをやめた人の脳は、新たな吸収ができない脳となり、新たな学習をことさら求めなくなります。

学びに対して「大変だねぇ」と言いそうになったことを大いに反省したとともに、自分の人生や人類にとっての学びの重要性をもう一度よく考えなくてはいけないと反省した瞬間でした。