大切にしていた器を、
ふとした拍子に欠かせて
しまうことがある。 
それは、ほんの少しの手の滑りで
あったり、良かれと思って場所を
移そうとした、ほんの一瞬の
判断の誤りだったりする。

「あぁ、やってしまった」

欠けてしまった破片を前に
立ち尽くすとき、人はただ、
取り返しのつかないことを
したという後悔に包まれる。

そして一度壊れたものは、
もう二度と元には戻らない、

そう思い、絶望に突き落とされる。

だが、日本には古くから
「金継ぎ」という、壊れたことを
「終わり」にしない美しい知恵があった。

金継ぎは、割れた陶磁器を漆で接着し、
継ぎ目を金粉や銀粉で

装飾する伝統工芸だ。
単なる修理ではなく、

破損を新たな美として
受け入れる哲学がそこにある。

その工程は、単に破片を接着剤で
くっつける作業ではない。 
天然の樹液である「漆」を使い、
気が遠くなるほどの

手間と時間をかけて、
ゆっくりと繋ぎ合わせていく。

早く結果を出そうと焦って、
一度に厚く塗りすぎたり、
湿度を無視して急いで
乾かそうとしたりすれば、
表面だけが急激に反応し、
内部が未硬化のまま

取り残される「縮み」という

現象が起きる。そうなれば、

表面には醜いシワが寄り、
芯から繋がることは二度とない。

一層塗っては、「室(むろ)」

と呼ばれる、湿度70〜80%、

温度20〜25度に保たれた箱に

入れて数日待つ。
 

完全に硬化したのを確認してから、
再び次の層を重ねる。
この工程を幾度となく繰り返し、
数週間から数ヶ月という時を

積み重ねて、ようやく器は

新たな姿として
生まれ変わるのだ。

この「待つ」という

途方もない時間こそが、
欠けをただの傷ではなく、

「景色」へと昇華させるための

不可欠な儀式となる。

金継ぎで修復された器の筋(すじ)は、
茶人の世界において、
新たな見どころとして

愛でられる。

それは単なる傷跡ではない。
壊れてしまった悲しみも、
修復しようと試みた決意も、
すべてを包み込み、

新たに生まれ変わった

「美しさ」なのだ。

人間関係も、

おそらく同じなのだろう。

一度壊れてしまったものを
修復しようとするとき、

つい焦りが募り、
早く元通りにしたくて、
急いで距離を縮めようとする。 
だが、それはまるで漆を厚く
塗りすぎるようなもので、
表面だけのもろい繕いに

なってしまう。

本当に大切なのは、薄く丁寧に、
時間をかけて信頼の層を

重ねていくこと。 
相手の準備ができるのを待ちながら、
少しずつ、少しずつ。

一度大きな傷を負った器は、
決して「元通り」にはならない。
 しかし、正しく修復されることで、
新品のときにはなかった
「深み」という強さを備えて
戻ってくる。

つまり壊れたからこそ、
深まるものも、またあるのだ。 

そんな日が、きっと来ると信じたい。