ブリスの自己主張(盲導犬ブリスと犬の気持ちがわからないユーザーとのユニット) -9ページ目

ブリスの自己主張(盲導犬ブリスと犬の気持ちがわからないユーザーとのユニット)

盲導犬ブリスと犬の気持ちがわからないユーザーとの生活・・・

盲導犬座談会と導入への道


1938年、日本に盲導犬を導入する機運が高まりました。

きっかけは、アメリカ人大学生 ゴードン君 と盲導犬 オルティ の来日です。

彼らの姿を見た人々は、盲導犬の可能性に心を動かされました。


さらに当時、日本では 日中戦争の影響で失明兵士が急増 しており、彼らの社会復帰が深刻な課題となっていました。

そこで、中央盲人福祉協会の 原常務理事 と臨時東京第一陸軍病院の 三木院長 が会談を開きました。

「入院中から失明軍人たちに盲導犬を与え、一人でも自立して社会復帰できないか?」

三木院長は、ゴードン君とオルティの姿を見て、この可能性を探るべきだと考えたのです。



【盲導犬座談会の開催】


こうして、1938年7月に 「盲導犬座談会」 が開催されました。

会場は、臨時東京第一陸軍病院。主催は中央盲人福祉協会でした。


参加者は、陸軍軍医学校の教官、陸軍省の大佐や失明兵士のリハビリに関わる人々、そして、日本における盲導犬導入のキーパーソンとなる 日本シェパード協会役員の相馬氏 でした。


相馬氏は以前、ドイツを訪れた際に 実際の盲導犬を見て感銘を受け、「日本にも導入したい」 と独自に研究を進めていました。

なんとゴードン君の来日中には、彼を自宅に招き、盲導犬の様子を 16ミリフィルムに記録 していたほどでした。


社会の疑問に相馬氏が答える


座談会の参加者は盲導犬導入に好意的でしたが、世間には多くの疑問がありました。


「日本家屋に盲導犬は不向きでは?」

→ 家に上がる前に足を洗えば問題ない。


「食費がかかるのでは?」

→ 当時は1日1食が主流。週2回肉を与えれば、あとは家族の残り物で十分。


「犬の値段が高すぎるのでは?」

→ ドイツでは国家がテストに合格した失明軍人に盲導犬を無償で提供している。また、アメリカでは高所得者から寄付を募り、安価で購入を可能にしている。


相馬氏は冷静かつ的確に回答し、盲導犬導入の重要性を説きました。

また、日本には盲導犬の 訓練ノウハウがなかったため、相馬氏はドイツのポツダム盲導犬学校に手紙を送りました。その結果、盲導犬訓練士の派遣が可能との返信が届いていました。

しかし、当時の日本では 海外から専門家を招くことも、日本から学びに行くことも難しい状況 でした。

さらに 盲導犬そのものを輸入することも困難 でした。

当時は輸入統制があり、「陸軍は直接戦争に必要なものでなければ動かない」 という考えがあったため、盲導犬は軍用犬でないことから、必要とされていなかったのです。

相馬氏は、軍が組織を挙げて盲導犬を導入することは難しいと考えていましたし、関係者も薄々そう思っていたのではないでしょうか。

だからこそ、陸軍病院の三木院長と原常務は、あえて相馬氏を頼ったのでしょう。

語学力、資金力、人脈、シェパード犬に関する専門知識――どれをとっても、相馬氏でなければ、このプロジェクトを成功させることはできなかったのです。



【盲導犬導入への大きな壁】


しかし、実際に盲導犬を導入するには 数々の壁 がありました。



【相馬氏、ドイツへ交渉】


まず、彼は 育成の文献が欲しい と考え、ドイツシェパード犬協会に手紙を出しました。

しかし、その返信は――

「盲導犬は人の命を預かる大事な仕事をする犬です。訓練の実際を見ないで、言葉で言い表したものによって盲導犬をつくるのは危険であるため、文献は作らない。」


つまり、文献も資料も存在しなかったのです。

そうなると、盲導犬導入には 生きた盲導犬を日本に持ち込むことが不可欠 になります。

しかし、ドイツでは 国家が盲導犬を管理しており、輸出は禁止 されていました。

そんな中、ドイツ・ポツダム盲導犬学校のリーゼ校長から連絡が入りました。

ドイツのシェパード犬協会が 「日本が困っている」 と連絡してくれたのでした。

「盲導犬を直接輸出することはできないが、私が個人的に譲り受け、日本に送ることは可能」

ついに光が見えました!

しかし、今度は日本の 輸入統制 という新たな壁が立ちはだかります。


当時、輸入が許されていたのは 馬、牛、豚、羊 であり、犬は許可されていなかったのです。

相馬氏は考えました。

「軍全体の承認は得られなくても、軍の上層部の許可があればなんとかなるかもしれない」


そこで、シェパード仲間である陸軍の参謀長官に相談し、「盲導犬を研究せよ」 というトップからの 「御墨付き」 をもらうことに成功。

さらに関係省庁へ交渉を続けた結果、ついに 4頭の盲導犬の輸入を決定 させることができました。


しかし、最後のハードルがありました。


それは莫大な費用。


ドイツから盲導犬4頭を購入するには、1頭あたり現在の価値で100万円。4頭で400万円もの資金が必要でした。


この費用を、日本シェパード協会の役員4人が自費で負担 することで、なんとか解決できました。




【神戸港に降り立った4頭の盲導犬たち】


1939年5月、ついに 念願の盲導犬4頭が神戸港に到着!

迎えに来たのは、日本シェパード犬協会の役員たち。

しかし、その場にいるはずの相馬氏の姿はありませんでした。


なんと、彼は チフスで入院中。生死を彷徨っていたのでした。