ブリスの自己主張(盲導犬ブリスと犬の気持ちがわからないユーザーとのユニット) -8ページ目

ブリスの自己主張(盲導犬ブリスと犬の気持ちがわからないユーザーとのユニット)

盲導犬ブリスと犬の気持ちがわからないユーザーとの生活・・・

「日本初の盲導犬を読んでみて]

ドイツから来た4頭の盲導犬たちのことを、私は決して忘れないでしょう。


1939年5月、ドイツから神戸港に到着した4頭の盲導犬、リタ、ボド、アスター、ルティ。

彼らは、日本における盲導犬育成の礎を築くために長い航海を経てやってきました。


4頭の犬たちは、日本シェパード犬協会の役員たちに迎えられ、そのまま東京へ向かいました。盲導犬育成プロジェクトに出資した役員4人が、まずは彼らを引き取ることになっていたのです。

本書の写真の説明によると、東京駅で撮影されたと思われる写真には、4頭の犬たちと共に笑顔の役員たちが写っています。

またそれぞれの犬の個性も興味深いです。

リタ(1936年1月2日生 メス)

年長で、忠誠心の強い美しい盲導犬。

ボド(1937年10月10日生 オス)

しっかり者で優等生タイプ。

アスター(1937年4月28日生 メス)

キュートで愛嬌があり、人に好かれる性格。

ルティ(1938年1月10日生 メス)

まだ幼く、無邪気なお嬢ちゃんだったのでしょう。



盲導犬リタとそうまさん

当時、チフスで入院していたそうまさんのもとへ来たのは、忠誠心の強いリタでした。病で体重が20kgも減ってしまったそうまさんでしたが、回復期に入り、退院を早めるほどリタとの生活を楽しみにしていたようです。


しかし、問題がひとつ。忠誠心の強いリタはすでに奥さんになついてしまっており、そうまさんには塩対応。そこで、そうまさんは鎌倉の別荘でリタとの生活を始めることにしました。


盲導犬としての能力をすでに備えていたリタですが、日本の家屋での生活に慣れる必要がありました。その過程で、畳の部屋への立ち入り禁止や、家に入る前に足を拭く習慣をしっかり守っていたという話には、リタの賢さを感じました。そして、ハーネスをつけると仕事モードになるという点は、現在の盲導犬と変わらないことに驚きました。我が家の盲導犬ブリスも、ハーネスをつけると表情がキリッと引き締まると言われますからね。

また、ドイツではトイレの訓練もされておりましたが、これは現在と当時の環境とは異なっておりますので、今では違ったスタイルになっております。


リタとの関係が深まるなかで、そうまさんのご子息が急病で倒れて、歩行訓練が中断されてしまったことは、とても切ない出来事でした。盲導犬との新しい未来を描いていたはずのそうまさんが、大切な家族を失うことになったのは、どれほど辛かったことでしょう。


盲導犬の新たな訓練

リタはそうまさんから同じ日本シェパード犬協会のありかわさんへ引き継がれ、ボドと共に再訓練を受けることに。そして、二頭は日本初の盲導犬として、臨時東京第一陸軍病院に献納されることになりました。


リタのパートナー:ひらたさん(中国南京攻略で地雷により失明)

ボドのパートナー:ますださん(中国徐州作戦で銃弾が両目を貫通)


どちらも元教師で、まじめな性格でした。しかし、ひらたさんは筋金入りの犬嫌い!それでも、上からの命令には逆らえません。

しかし、リタと過ごすうちに、数日でその壁を乗り越えたというエピソードには、盲導犬歩行による信頼関係の力強さを感じました。


日本にはまだ盲導犬育成のノウハウがほとんどなく、彼らは手探りで訓練を進めました。犬の誘導技術や使用者の習熟方法を、自ら実験しながら開発することが、彼らに課せられた任務でした。


毎朝8時、ありかわさんの指導のもと、盲導犬の訓練を受ける二人。盲導犬との歩行を重ねるごとに、その誘導の確実さに感動し、犬との信頼関係も深まっていきました。


私自身も、盲導犬と歩行するときには恐れていた障害物をすっと避けてくれたり、立ち止まって知らせてくれたりするその誘導に、安心感を覚えます。ひらたさん、ますださんも、きっと同じように感じたのではないでしょうか。


そして数ヶ月後、リタとボドはさらに新たな課題のため、それぞれの故郷へ向かうことになります。


こうして、日本初の盲導犬たちは、戦時中の混乱の中で育成され、試行錯誤の末に残酷な歴史へと歩みを進めていったのです。