「天使の誘導」ボドが残してくれたもの。
ますださんと盲導犬ボドは出会ったその日からすぐに心を通わせ、さらに訓練を重ねながら、信頼関係を深めていきました。
ある日、陸軍病院のある広大な富山が原を散策中のこと。ますださんが階段だと思って降りようとした場所を、ボドは頑として動こうとしませんでした。白杖で確かめてみると、そこはなんと断崖絶壁だったのです。
ボドはドイツで「不服従」の訓練を受けていたのです。危険を察知したとき、命令に従わないこと。それは盲導犬としての重要な資質のひとつです。
盲導犬はこの不服従を何気なくします。なので、察しの良いユーザーでしたら、足で段差や避けられない障害物を確認して危険回避できますが、危険を知らせるために動かない盲導犬に対し、無理に歩かせようとしたり、せっかちに先を行くユーザーは、段差につまずいたり、大きな障害物にぶつかったりするのです。
これこそ、ユーザーの行動が、盲導犬との信頼関係を問われる行動になってくるのだと思うのです。
ますださんはこの体験を「天使の導きだった」と表現しています。
その後、退院したボドとますださん、リタとひらたさんには、次なる試練が待っていました。それは、それぞれの故郷での家族との共同訓練でした。
新聞報道により、すでに多くの人がこの盲導犬訓練に注目しており、鳥取への帰郷時には多くの人が温かく出迎えてくれたそうです。
陸軍病院からも先生や看護婦さんが付き添い、日本の家屋での生活にボドが適応できるかという、大切な実証実験が始まったのです。
ますださんの奥様もまた、深い理解と愛情で彼とボドを支えました。
ご主人が病院で点字を習っていると知ると、自らも盲学校に通って点字を学び、点字の手紙で気持ちを伝え合ったそうです。
その文面から、盲導犬の訓練によって明るさを取り戻していくますださんに、奥様が心から喜んでいる様子が感じられます。
ボドは居場所を玄関に指定されるとそれを守り、決して畳の部屋にも上がろうとしませんでした。でもますださんが出かける準備を始めると、すぐに自分の出番だと察して立ち上がります。
まるで家族の一員のように、役割を果たしていたのです。
ますださんはこの時期、鳥取盲唖学校へ通い始めました。でもボドは連れて行きませんでしたが、彼は登校する前に必ずボドと一緒に鳥取護国神社へ参拝し、戦死した仲間たちのために、祈り続けたのでした。
やがて三か月の実験期間が終わり、ボドは陸軍病院へと戻りました。
ますださんはボドとの別れを惜しみつつも、「同じ境遇の仲間達への贈り物にしたい」そんな思いで、この盲導犬プロジェクトの任務を終了させたのでした。
この期間が、ボドにとってもきっと、一番幸せな時間だったのではないでしょうか。
陸軍病院に戻ったボドは、二人の失明兵士を経て、戦場で手榴弾により失明したやまもとさんと出会いました。
彼は「片目は治る」と僅かな希望を持って帰国したものの、病院をいくつか移った末に失明を告げられ、絶望の淵にいました。
そんなやまもとさんでしたが、短歌作りに出会い、そして盲導犬ボドと出会って、生きる気力を取り戻していくのです。
最初は「犬がどこへでも連れて行ってくれる」と思っていたやまもとさん。
けれど、ボドのハーネスを握ったとき、その誘導は一方通行ではないことに気づきます。さらに「導かれることで、自分自身も前に進もうとする力が湧いてくる」。そんな相互の信頼関係を体感していくのでした。
1942年、やまもとさんはボドと共に故郷へ帰りました。
戦局が悪化する中で、池田の実家で農業の手伝いを始めたやまもとさんは、さらに大阪で新しい生活を切り開きます。
展示出版の仕事に就き、結婚も果たします。結婚写真の中央には、新郎新婦に挟まれたボドの姿がありました。
その後、プレス工へと転職したやまもとさんは、毎日の通勤にもボドを連れていました。
そして運命の大阪大空襲。戦火の中、ボドはやまもとさんを守り抜き、夜明けまで逃げ切ったといいます。
しかし、時代の現実は残酷だったのです。
やまもとさんが職場の寮に入ったことをきっかけに、ボドは奥様とともに池田へ疎開します。
そこで待っていたのは、深刻な食糧難と「居候」の肩身の狭さ。
ボドに十分な食事を与えることができず、空襲から二か月後、ボドは静かにその生涯を閉じました——餓死でした。
ボドの「天使の導き」は、失われた視力とともに人生を見失いかけていた人たちに、もう一度前に向かって進むことを教えてくれました。
命の危険を顧みず、愛する人を守り、共に生ようとしました。
そして、何よりも彼らにとっては確かな希望だったのです。

