
「俺は自殺するんじゃない。飛ぶんだよ。死ぬのは、そのついでだ。」
原作者の伊坂幸太郎曰く、この世のあらゆる出来事は全て「神様のレシピ」で決まる。
通常は緑色であるトノサマバッタ(grasshopper)は、群れの数が増えてくると色が少しづつ黒くなり、跳躍力が増し、そして凶暴になる。
高い密度で生息した場合に「群生相」という飛翔能力と集団性が高い成虫に変化するという特徴がある。
「群生相」の成虫は、「孤独相」の成虫にくらべて後脚が短く、翅が長いスマートな体型となり、体色も黒くなる。
このように、生物の個体群の密度によって、その生物の体型が変化することを「相変異」とよぶ。
これは、まさに本作のテーマでもある。
「人間」も都会の群れの中で生きていると、逆に自分のちっぽけさが浮き彫りになったり、それを否定するかの様に何かに段々と染まっていったり、時には競争に負け、ある者は間違った道を進み、凶暴さを増していく場合もある。
本作には、激しい競争社会で「悪い方向」へ染まっていった者ばかりが「群れ」で登場する。
伊坂幸太郎の小説に出てくる世界の多くは繋がっていて、それぞれの作品に登場する場所や人物がリンクしている事が多い。
その繋がりを探すのも伊坂作品の楽しみの一つで、ファンの間ではその裏設定にどれだけ気付いたか、どれほど知っているか、という会話が楽しく、勝手な妄想を膨らませる楽しみもある。
例えば『ゴールデンスランバー』の登場人物の多くは、本作『グラスホッパー』の殺し屋たちに殺されたという説もある。
『陽気なギャングが地球を回す』『CHiLDREN チルドレン』『アヒルと鴨のコインロッカー』『Sweet Rain 死神の精度』『フィッシュストーリー』『重力ピエロ』『ラッシュライフ』『ゴールデンスランバー』『ポテチ』『オー!ファーザー』
この「伊坂幸太郎」原作の「ハズレ無し」な映画化作品ラインナップに、『グラスホッパー』という新たなる作品が加わった。
「増えすぎた黒いバッタは、群れごと焼き払うしかないんです。」
本作で伊坂作品の映画化は11作目になる。
本作は直木三十五賞候補となった伊坂幸太郎による同名小説の実写化作品。
小説を書き上げた当時の伊坂は「今まで書いた小説の中で一番達成感があった」と語っている。
「普通の人が事件に巻き込まれるためにはどうするか」を常に考えている伊坂は、本作でも「普通の人」を中心に物語を展開させている。
伊坂幸太郎の小説らしく、一見バラバラの色々な軸が交差して話が進み、それらがクライマックスで集約されていく。
「婚約者を轢き逃げされた男=鈴木(すずき)」
「徹底的に鈴木を追い詰める悪の女=比与子(ひよこ)」
「自殺専門の殺し屋=鯨(くじら)」
「ナイフ使いの殺し屋=蝉(せみ)」
「押し屋と呼ばれる殺し屋= 槿(あさがお)」
殺された恋人の復讐のため裏組織に潜入する「鈴木」を生田斗真、裏組織の女構成員「比与子」を菜々緒、人を絶望させる力を持つ自殺専門の殺し屋「鯨」を浅野忠信、孤独な若き殺し屋「蝉」をHey! Say! JUMPの山田涼介、相手を後ろから押して車などに轢かせ殺害する押し屋「槿」を『ゴールデンスランバー』の吉岡秀隆が演じる。
そして、『グッモーエビアン!』の麻生久美子、波瑠、『Sweet Rain 死神の精度』『オー!ファーザー』から3作目の伊坂作品となった村上淳、宇崎竜童、石橋蓮司など、豪華な俳優陣が集結。
「ジャック・クリスピン曰く、死んでいるみたいに生きていたくない。」
デビュー作『樹の海』から『犯人に告ぐ』『イキガミ』『脳男』と、瀧本監督作品はどれも好きだという伊坂幸太郎の指名で、監督は瀧本智行へオファーされた。
オープニングの大事故シーンは、まるで渋谷の交差点を封鎖して撮影したかのようなリアリズムだが、リー・チーガイの『不夜城』の様にTSUTAYAをはじめとする店舗や地下鉄の入口や「落書き」に至るまで実寸大で精巧に作られたオープンセットである。
まるで、レオス・カラックスがパリの「ポンヌフ橋」とその周辺まで完全にオープンセットで再現した『ポンヌフの恋人』のような凄まじさである。
その場面でのハロウィンの人混みは、実際の渋谷で撮影されたハロウィンの様子も織り交ぜてある。
劇中に登場する架空のアーティスト「ジャック・クリスピン」の楽曲として、ニューヨーク出身のロックバンド、ザ・ジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンが「Don’t Wanna Live Like the Dead」という曲を書き下ろし、挿入歌として本編の重要な場面で流れる。
伊坂幸太郎お気に入りのアーティストである彼らは「架空の人物として楽曲を作る」という依頼を気に入りオファーを快諾した。
しかも、蝉と岩西という登場人物の関係性を歌詞に入れ、間奏のタイミングも含め2分14秒ジャストの尺で仕上げ、映画製作者側のリクエストに完璧に応えてみせた。
ちなみに曲名は、原作にあるジャック・クリスピンの言葉から取られたものである。
これらの点は、映画が「サウンド」や「ビジュアル」で原作を超えた素晴らしい瞬間だろう。
本作は、殺し屋ばかりの群像劇として構成されている。
過去に殺した人物の「亡霊」が当たり前のように現れて普通に会話したり、伊坂幸太郎の映画化作品の中では『死神の精度』に近いファンタジー要素もある。
自分が殺した人々の亡霊に悩まされ続けている殺し屋。
たった一人の「友達」とのくだらない会話で精神バランスを保っている殺し屋。
彼を雇っている、ロックを愛する仲介屋。
生きているのか死んでいるのか判らない精神状態の殺し屋。
それらの狂った人間模様が、どこにでもいる「普通の人」を中心に交錯する。
予測不可能な出来事の連続に、我々「普通の人々」は一瞬たりとも目が離せなくなる。
クライマックス、愛する者を失った悲しみは、どうやって癒されるのか。
伊坂幸太郎曰く、この世のあらゆる出来事は全て「神様のレシピ」で決まる。
そう、過去も未来も、生も死も、運命の全ては「神様のレシピ」で予め決められているのかもしれない。
そして、壮絶な殺し屋のサーガは、続編的小説『マリアビートル』へと続いていく・・・。
「ジャック・クリスピン曰く、トンネルから飛び出す前こそ気をつけろ。」