ギャラクシー街道 | 愛すべき映画たちのメソッド☆

愛すべき映画たちのメソッド☆

映画感想家・心理カウンセラー・芸術家のNatsukiです☆

『映画にどんなに素晴らしいメッセージが含まれていようと
「娯楽性」がなければ作品としては失敗だ』/レオナルド・ディカプリオ



「宇宙で駄目だった人が、どこに行ったって上手くいくわけない。」



松本人志は「お笑い芸人は妖精。はなから笑う気のない人には見えないのだ。」と言った。

「人を笑わせる」という行為は、それを受ける観客側の、リアルタイムの「感情・経験・人生」にも大きく委ねられる。

その「笑い」を作ったコメディアンや作家や監督が「好きか嫌いか」にも大きく影響される。

「笑いたい」と思って観るか、「笑えるわけない」と思って観るか、「イライラ」してる時に観てしまったか、「面白かった過去作」を期待して観るか、それだけでも笑いの有無はそれぞれ180度変わってしまう。

さらに、例え全く同じネタであっても、演者や観る場所や状況が違えば観客の「笑い」の量や質や反応は大きく変わる。

だから漫画や小説や漫才や演劇や映画で「人を笑わせる」のは、「怖がらせる」ことの何倍も難しいと言われているのだろう。

もしも、それらを全て超越した、どんな時も、どんな人も、時代や人種、一切関係なく万人を笑わせる「鉄板の笑い」があるのならば、笑いを生み出そうとするコメディアンや芸人や作家たちは苦労しないし、笑いを創造する事を止めてしまうだろう。

そんな「方程式・答え」の無いジャンルだからこそ「笑い」に携わる人達は、何度滑っても、何度「失敗」しても、純粋に「笑い」に向き合い、トライアル&エラーを繰り返し、何度も何度もアイデアを搾り、練り上げ、新たなる作品をどんどん生み出し、日々「観客」に披露し続ける。

一発勝負のお笑いコンテストの審査員でもない限り、作品を1回や2回観ただけで「笑える」「笑えない」「くだらない」「センスがある・無い」などと簡単に「笑い」をジャッジ出来ないのだ。

だから「笑い」の評価は難しい。

本作を生み出した三谷幸喜も、もちろん同じくそうやって、それらを判ったうえで多くのコメディ作品を創造し続けているはずだ。

恐らく「常に万人受けするコメディ作品を作ってやろう」なんて一度も思った事は無いだろう。

突き詰めるとこれは「コメディ」に限らず、全てのジャンルにも当てはまる。

本作『ギャラクシー街道』は、舞台演出家としての三谷幸喜が見事に、軽やかに、そして華麗に原点回帰して「ワンセットドラマ」の中で「古き良きアメリカンコメディ」と「唯一無二の想像力」と「若々しい感性」を楽しませてくれる。

本作は『THE 有頂天ホテル』の公開後から構想され、「広大な宇宙空間なのに少人数のこじんまりした物語」のギャップを目指して、50年前くらいの人達が空想していたレトロでキラキラしてカラフルな「懐かしいSF映画」のテイストが再現された。

窓の外に広がる宇宙の景色もCGではなく「絵」で表現され、あえての「セット感」やチープさを出している。

それらを踏まえると、完成披露試写会で「本作のライバルはスター・ウォーズ」だと語った三谷監督と、「本当にくだらなくて何もない映画」と語り会場を沸かした大竹しのぶのリップサービスが効いてくる。

『モンスターズ・インク』のモンスター達の「椅子」に「尻尾を入れる穴」がちゃんと空いていた様に、本作では一瞬しか映らないトイレの便座が「宇宙人に合わせた形状」になっているというデザイン面の細かいこだわりも随所にある。

そして「人を好きになること」によって起こるあらゆる状況のドタバタを描いていて、三谷映画では初の「デートムービー」&「往年のミュージカル風」にもなっている。

とても身近なテーマ、ありふれた人間模様、くだらない下ネタ、誰もが共感できる小さな小さな「恋愛あるある」などを盛り込みながら、舞台は「遠い未来の宇宙」という設定・構成のふざけたギャップも見事に効いている。

前作『清須会議』の時代劇からSFへの飛躍も含めて、三谷幸喜の脳内世界はジャンルに囚われない芸術家的カラフル構造なのだろう。

それを我々観客は毎回いつも楽しく覗かせてもらえている。

出演者ほぼ3人で構成されていた三谷幸喜作のラブコメディ連続ドラマ『今夜、宇宙の片隅で』や『やっぱり猫が好き』『HR』などのシチュエーション・コメディ=「シットコム」の方向性で、舞台を宇宙のハンバーガーショップ内だけに限定し、「ワンシチュエーション群像劇・会話劇」として撮られている。

「シットコム」とは、限定されたセットで舞台劇の様に繰り広げられるホームコメディで、観客の笑い声を入れる場合も多く、アメリカのテレビドラマでは王道のスタイルである。

代表的な作品として「ファミリータイズ」「フルハウス」「フレンズ」「アイ・カーリー」「奥さまは魔女」「サブリナ」「スピン・シティ」「アイ・ラブ・ルーシー」・・・など、挙げきれないほど非常に多く、アメリカではとても人気の高い定番ジャンルなのだ。



「この人はお前の子供を産もうとしているんだぞ!!」



三谷幸喜は、学生時代に「パルコ劇場」で観たニール・サイモン作『おかしな二人』が劇作家人生を始めるきっかけの一つとなった。

ニール・サイモンから大きな影響を受けた三谷幸喜は、主宰していた劇団「東京サンシャインボーイズ」の名前をサイモンの作品「サンシャイン・ボーイズ」から取っている程だ。

サイモンの作品には、テレビのコント作家時代に培われた「状況設定」の面白さがあり、そこから逆算された人物の「キャラクター設定」の巧さ、「洒落た台詞」の応酬、そして、登場人物たちに対する「温かい目線」がある。

これは、そっくりそのまま三谷幸喜の作品たちにもしっかりと受け継がれている。

本作は、映画としては三谷幸喜作品初の「ラブストーリー」でもあり、初の「SF」でもあり、変化球で間接的なエロ描写が2度もあったり、『E.T.』オマージュを初め『サイレント・ランニング』『バグダッド・カフェ』『天井桟敷の人々』『月に囚われた男』『砂漠の流れ者/ケーブル・ホーグのバラード』など、多くの「古き良き」映画のパロディも満載。

「舞台」をそのままクローズアップで撮ったかの様な「長回し」や、良い意味でオーバーな舞台演技が詰まっていて、終始ニヤリとさせられる。

プラス、「舞台」では不可能な「SF的な宇宙の雰囲気」と、映画ならではの特撮やCGや大胆な展開もスパイス的に散りばめられている。

本作の登場人物は全員が「宇宙人」だ。

脚本の段階からアテ書きされていた香取慎吾が演じる主人公は「感じの悪い人物」として、いつも苛立っていて、器が小さく、セコく、意地悪で、あえて「嫌な男」として描かれている。

絶妙なコメディセンスで、キュートさも醸し出す綾瀬はるかは『スター・トレック』の「ミスター・スポック」の遠い親戚という裏設定だけでも爆笑ものだし、彼女の「可愛くハンバーガーを食べる姿」を撮りたくて本作の設定が決まった。

三谷作品常連で、本作は「顔」のみの出演である西田敏行のキャラクターは『ドウエル博士の首』というSF小説オマージュで、そこから「堂本博士」という役名が与えられている。

『アメイジング・スパイダーマン2』のエレクトロの様に、パニック時に異常なほど電磁波を放出して何度も驚かせる大竹しのぶは『奥さまは魔女』の「パニック時に透明化」するお手伝いさん「エスメラルダ」をイメージして演出されている。

お硬い役人を演じた段田安則の場面は『ロジャー・ラビット』風のアニメ合成で、あえてディズニーアニメのクオリティを避け「トムとジェリー」風の、良い意味でチープなアニメーションが再現され微笑ましい。

遠藤憲一にまつわるぶっ飛んだ展開の結末は『マルコヴィッチの穴』を彷彿とさせる「悪ノリ」全開で唖然とさせられるし『第5惑星』の宇宙人や『駅馬車』のオマージュまで込められている。

『アナと雪の女王』の松たか子越えを狙って抜擢された西川貴教は「美声のカエル型宇宙人」として「フランク・シナトラのように歌い上げる歌唱力」を無駄な豪華さで披露する。

ある秘密を抱えた小栗旬の波乱万丈の運命、そして「滑稽な造形」と「切ない退場」も可笑しい。

思い出しただけで笑いが込み上げてくる「キャプテン・ソックス」の容姿は、意外にも円谷プロダクションの「ウルトラマンシリーズ」のチームがデザインしているという「実は本格的」な点も本作のテーマとリンクしていて三谷幸喜らしい。

ミラクルひかるは「田村梨果」名義で参加し、絶妙なニュアンスの「あるある」なキャラクターで笑わせ、女優としての新境地を開いている。

そして、もちろん三谷作品恒例の別作品との「登場人物リンク」も忘れず用意されている。

「役者を観る作品」として、役者の面白い演技を引き出すよう心掛けて演出されている本作は、特に三谷作品常連の役者や「演技派」の役者が揃えられ「会話劇」スタイルが前面に出ている。

本作は、アメリカのシチュエーション・コメディ=「シットコム」を日本で何度も再現してきた三谷幸喜監督の「バカバカしくも憎めない世界観」の新たなる形である。

そして、三谷幸喜演出の新作喜劇の舞台を最前列で堪能できる様な「贅沢なひと時」をリラックスした雰囲気で楽しませてもらえる。

それは、三谷幸喜が愛する「アメリカンホームコメディ」を、国境を超えて日本で再現するという、誰もトライした事のない無謀で勇敢なチャレンジの上に成り立っている。

だから今はまだ「三谷幸喜スタイル」は日本では万人受けはしないだろうし、三谷幸喜の「狙い」を知らない観客は「古臭い」「笑えない」「センスが無い」と簡単にバッサリ切り捨てているのだろう。

舞台やドラマでは既にとても評価されている三谷幸喜だが、彼の「コメディ映画」の評価が今よりもまだまだ上がって、今よりも万人受けして、絶対的に揺るぎない多くの支持を獲得するのは、恐らく何十年も先かもしれない。

三谷作品にどっぷりハマり、三谷スタイルで笑って育った世代の若手監督たちが「三谷オマージュ」のシットコム映画をどんどん制作し、三谷幸喜が「ジャパニーズ・シットコム」の元祖としてリスペクトされてから改めて再評価されるだろう。

そんな「未来」が必ず訪れるはずだ。

日本の多くの観客に浸透するにはまだまだ時間がかかるだろうが、このままの三谷路線で「ジャパニーズ・シットコム」を貫いてほしい。

そうすれば、いつか時代が、観客の感性や経験が、三谷幸喜の「本当にくだらなくて何もない映画」のセンスに追いついてくるだろう。

「人を笑わせる」という行為は、それを受ける観客側」の、リアルタイムの「感情・経験・人生」に、とても大きく委ねられるから。



「奥さん、大丈夫、大丈夫、大丈夫だから。」