
「ヘミングウェイはこう書いている。《この世界は素晴らしい。闘う価値がある》と。後半部分には賛成だ。」
薄暗く延々と雨の降り続く、とある大都会。
退職まであと1週間のベテラン刑事と血気盛んな新人刑事のコンビが、ある死体発見現場へ急行するところから物語は始まる。
一目で他殺体だと判る程の「見たこともない」残忍な手口に二人は言葉を失うが、死体の中から発見された異物により、殺人現場に残された「事件の始まり」を示唆するメッセージを発見する。
それは、後に凄惨な連続猟奇殺人事件へと発展していく「悪夢」の単なる序章に過ぎなかった・・・。
タワーレコードの店員として働きながら映画の脚本を書き続け、ハリウッドでのチャンスを狙っていたアンドリュー・ケヴィン・ウォーカーは、ニューヨーク暮らしで体験した「嫌な思い出」を全て詰め込み、1991年に入魂の一作『セブン』の脚本を書き上げる。
そして、ニューラインシネマに買い取られた脚本をデヴィッド・フィンチャー監督が忠実に映像化し、1995年に劇場公開される。
映像の暗部が非常に暗くなり、全体的に彩度の低い渋い色で画面のコントラストが強く引き締まる《銀残し》というフィルム現像手法を駆使し、ダークで不穏な空気感が演出されている。
この「銀残し」という日本で生まれた現像手法は、英語では「ブリーチバイパス」と呼ばれ、今では世界に広まり『プライベート・ライアン』『マイノリティ・リポート』『マトリックス』などでも使われている。
その効果は、フィンチャーの狙った「陰気・不気味・汚い・暴力・倫理の欠如・モラルの腐食」といった都市を含めた世界観と「観客を憂鬱にさせる表現」で存分に活かされている。
1960年に初めて実用化されて以来、映画界では殆ど忘れ去られていたこの手法は90年代の『セブン』をきっかけに大流行し、多くの映画・ドラマ・CMで採用され、それによりさらなる技術進化を促し、後にデジタル撮影機器でも同様の画質をより簡便に得られるようになった。
ウィリアム・フリードキン監督の傑作『フレンチ・コネクション』『L.A.大捜査線/狼たちの街』などのシビアで現実的な雰囲気を彷彿とさせる本作の妙な生々しさは、フィンチャーが「フリードキンが『エクソシスト』の後に作ったかもしれない映画」というコンセプトで創造したからだ。
「いつも疑問に思うんだが、よかったら教えてもらえるかな。異常な奴って自分で判かってんの?自分が異常だって。ある日ふと《なんてこった俺は本当に頭がイカれてるぜ》なんて思うのか?」
ナイン・インチ・ネイルズの「クローサー」のリミックスバージョンが流れるオープニング・クレジットは、不穏で意味深な映像を目まぐるしくフラッシュバックさせ、そこにタイポグラフィ的なクレジット文字を合わせる表現、そして作品の「テーマ」を凝縮し、観客の期待と好奇心を刺激して大いに煽る。
タイトルデザイナー「カイル・クーパー」のこの作風は、後の映画のオープニング&エンド・クレジットに革命を起こし、世界のクリエイター達に多大な影響を与え、映画史・映像史を変える事となる。
本作の連続殺人は、人間を堕落させ罪を犯す源であるという考えから「キリスト教」において罪の根源とされる《七つの大罪》=「憤怒」「嫉妬」「高慢」「肉欲」「怠惰」「強欲」「大食」に基づいて行われる。
だからこそ人間の犯す「罪」というものについて深く考えさせられる。
人はなぜ大なり小なり多くの罪を犯しながら生きているのか。
そして本作で描かれている様に、その罪は時として大きなしっぺ返しを生むこともある。
だが人は、この七つの「感情・行い」を日々繰り返しながら、そして日々反省しながら生きている。
我々は自ら学び、自らの意思で改善し、自らの努力で「心」を成長させながら生きている。
それは最先端の「脳科学」を学ぶまでもなく、無限に広がる可能性を秘めた「脳」の驚くべき能力の証明でもある。
そして、ピクサー作品『インサイド・ヘッド』の様に、人間特有の素晴らしき《五つの感情》=「喜び」「悲しみ」「怒り」「嫌気」「恐れ」たちが頭の中で共存して、我々の気持ちのバランスをとってくれているからだろう。
ヘミングウェイはこう書いている。
《この世界は素晴らしい。闘う価値がある》と。
私は心から賛成だ。
「あの決断は間違ってはいなかったと今でも思う。だが一日でも《違う決断をしていたら》と思わない日はない。」