
「この世には3種類の人間がいる。羊、狼、番犬だ。我が家で羊を育てるつもりはない。お前らは狼を狩り羊を守る番犬になるのだ。」
心的外傷後ストレス障害(Posttraumatic stress disorder)=PTSDとは、命の安全を脅かすような出来事、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けたことが原因で「著しい苦痛」や「生活機能の障害」を長い期間もたらすストレス障害のことである。
本作は、人の繊細な「心」がいかに脆く、どのような過程で徐々に壊れていくかを克明に描いている。
そして戦争に限らず、心に傷を負った人の「心の病」「心の闇」がいかに長く根深く残り、どれほど外的要因だけでは消し去ることが難しいか、そしてそれが家族や友人達へどのように影響を及ぼしていくのかまで、膨大なリサーチにより極限のリアリティで描写されている。
つまり本作は実話を元にした「感動の戦争映画」や、スナイパーのテクニックを体感する「アクション映画」などでは決してなく「PTSD」によって人の心がどう変わり、どう壊れ、どう修復されていくかの過程を入念に描いた恐ろしくも悲しい、現代ならではの心理ドラマだ。
外的・内的要因による過度な精神的(肉体的)衝撃を受けた事で、長い間それにとらわれてしまう状態「トラウマ」は大なり小なり誰でも持っているが、イラクで活躍した伝説のスナイパーである本作の主人公「クリス・カイル」のトラウマは想像を絶するものだった。
彼の常人離れした狙撃の精度は1.9キロ離れた標的を確実に射抜くほどで、「ラマディの戦い」における目覚しい戦果により、味方からは「伝説の狙撃手」と英雄視されるも、イラク武装勢力からは「ラマディの悪魔」という異名で恐れられ、その首には2万ドルの懸賞金がかけられた。
彼はイラク戦争の中でも激戦地を転戦し、敵の戦闘員を160人(公式戦果のみ。非公式も含めると255人)も殺害したのだ。
その反面、彼は故郷に帰れば妻と子供を想う優しき「父」でもあり、次第にこの「殺戮の絶えない絶望的な戦場」と「愛に溢れた家庭」との激しいギャップに心を苦しめられる事となる。
「あなたの体は帰ってきたけど、心はまだ帰ってきていない。」
4度に渡る戦地派遣は心身を蝕み、除隊する頃には体のあちこちの故障や原因不明の「高血圧」「強迫観念」「飛蚊症」等に悩まされるようになっていた。
そんな過酷で繊細で難しい心理描写をブラッドリー・クーパーはハードな役作りで心身共に見事に表現していて本当に素晴らしい。
戦場に行けば行くほど精神的に崩壊していき、逆に戦場にいないと心が落ち着かないという歪んだ精神状態に陥る・・・という恐ろしい悪循環は「戦場」という「究極のスリル」「究極の興奮」「究極の緊張感」「究極の達成感」・・・など現実社会では決して味わうことの無いドラッグ感覚が生み出してしまう負の連鎖なのだろう。
これはキャスリン・ビグロー監督の傑作『ハート・ロッカー』と全く同じテーマであるどころか、本作は『ハート・ロッカー』でさえも描き切れなかった「戦場の後」の恐ろしさにまで到達している。
ネイビー・シールズの離婚率が90%もあったり、イラク戦争が始まってから今日までに帰還兵のPTSDが原因とされる殺人事件は150件を超えていたり、しかも被害者の大半が家族や友人という痛ましい事実まである。
そして、イラク帰還兵の5人に1人が「鬱病」「怒りの衝動」「精神的不安定」による不安、不眠などの過覚醒症状などの精神障害で今も苦しんでいるのだ・・・。
ただあるのは「生と死」だけという、善も悪も政治さえも通用しない最前線の戦場からこちらに向けて放たれた「弾丸」は、平和な世界で暮らしている我々観客の「心」のド真ん中を見事に打ち抜き、永遠に消えることのないダメージを「心」に与えた。
「戦争で心に影響を受けない人なんていないのよ。いつかあなたの心もきっと壊れるわ。」