「我々は、いつも周りの顔色を窺い、流れに乗る事を強いられている。多数派は常に正義であり、異を唱える者は排除される。」
このドラマからはいつも「表面だけに気を取られていると本質を見抜けない」という言葉が聞こえてくる。
いつもの《笑いと悪ノリ》で周りを煙に巻き本質から目を背けさせ、弁護士ならではの手法で視聴者をミスリードしながら最後には究極の真理を披露する。
毎度、膨大なリサーチの上で組み立てられたであろうアグレッシブな脚本を書く古沢良太はやはり今回も直球ではこない。
オープニングの堺雅人と広末涼子のギャグ連発のやり取りが、後半の裁判で足枷となるサスペンスフルな伏線。
2012に話題となった《フレスコ画》にまつわる裁判を笑いを交えて冒頭に持ってくる事は、今作も現実とリンクした《攻めの姿勢》の物語だという隠れたメッセージにもなっている。
それに続くメインストーリーの《イジメ問題》も同年のあの事件を下敷きにしている事が判り、リアリティーが増す仕掛けになっている。
人間社会の精神的な闇の根深さを超えて、人の心の難解さと複雑さを今回もオブラートに包みつつ露骨に指摘する。
やはり人が人の心の奥底を暴き、真実を導き出し裁く事など不可能であり幻想に過ぎないのだろうか。
「人という字は、人と人とがお互いに支え合って出来ているわけではありません。1人の人間が両足を踏ん張って大地に立っている姿の象形文字です。」
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