0泊1日の豊後夜明ヶ城城攻め紀行 | 傷だらけのひろ太郎のブログ

傷だらけのひろ太郎のブログ

TUBEにサザン、ネコに旅行などテーマにしているものが好きな永遠のハタチのブログです♪

2021年の4月に大分市と臼杵市の境界にある夜明ヶ城に行ってきましたー(*^_^*)

 

夜明ヶ城とは・・・九六位山と尾根続きの夜明ヶ城は用明天皇伝説の地。三重にあった真名野長者を訪ねるため、大分市坂の市地区の王ノ瀬川河口に上陸した用明天皇は、当時まだ橘豊日皇子(たちばなのとよひのみこ)と名乗っていた。王ノ瀬は皇の瀬と書き、天皇上陸にちなむ。皇子はここから山を越えることにし、この峰で夜明けを迎えた。ここから大野川畔に下る谷を大内といい、化粧水(けしょうみず)、京畑(きょうのはた)など三十近い地名が用明天皇伝説で語られる。大内の名も大内山、あるいは王内、皇内にゆかりがあるとされる。

(大分県立図書館所蔵の大分の伝説(発行:角川書店、著者:梅木秀徳、辺見じゅん、初版:昭和55年8月)という本より一部引用)


つまり、聖徳太子の父である用明天皇が、皇子時代に豊後の真名野長者(現:大分県豊後大野市三重町)を訪ねた際、豊後に到着し最初に夜明けを迎えたとされる場所ということですね。

 

場所はこちらです。

細かい行き方は他の人のブログを参照してくださいませ(^_^;

 

 

 

 

 

 

 

この上が夜明ヶ城で舗装された道がここまであるのですが、Uターンできるスペースがないので、林道沿いの邪魔にならないところに駐車しましょう。

 

いざ!

 

 

 

 

 

 

 

 

なんか犬走りみたいにもみえますね。

 

 

 

 

こちらは土橋みたいですね。

 

今はなき「鶴﨑市」

昭和29年から昭和38年まであったみたいですね。

 

 

こちらは竪堀に見えなくもないですね。

 

 

 

 

 

主郭部にあたるところに向かいましたが、かなりの急斜面でした。

 

 

到着しましたー。

 

  

 

大分市側。

 

レゾナックドーム大分(旧名:昭和電工ドーム)

 

 

臼杵市側。

 

この景観をみて、勝手に仮説をたててみました。

大友館と臼杵城が見える位置にあるので、島津の御一行様が攻めてきたときにここを連絡網の中間として利用したのでは?と。ここの史料がないのは敵が攻めて来た時にここを知られたくないから大友宗麟さんが史料を燃やすように命じたんじゃないのかな、と。

 

勝手にそう思い、狼煙台っぽいのがないかと探してみることにしました。

 

 

 

 

 

が、森ばかりでそれっぽいのは見つけられませんでした(^^ゞ

そもそも、大勢の兵がたむろ出来るような感じではなかったように見えました_(^^;)ゞ

 

 

 

 

 

帰りに城跡を見上げてみました。

こうやってみると、立派な感じにみえますね。

 

4月にしては結構暖かかったので、水分補給のために宮河内I.C近くまで一気にかけ降りました(^^;