0泊1日の肥後鞠智城城攻め紀行(前編) | 傷だらけのひろ太郎のブログ

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去年の2月某日、熊本県の山鹿市と菊池市にまたがる鞠智城(きくちじょう/くくちのき)に行って来ましたー(*≧∀≦*)

 

鞠智城とは・・・『続日本紀』に、「大宰府をして大野(おおの)、基肄(きい)、鞠智(くくち)の三城(みつのき)を繕治せしむ」と、記載された城である。

鞠智城は、『続日本紀』に記載された文武天皇2年(698年)の城の修復記事が初見であり、築城年は不明である。しかし、発掘調査では少なくとも7世紀後半~10世紀中頃まで約300年、存続したことが判明している。そのため、白村江の戦いで、唐・新羅連合軍に大敗した後、大和朝廷が倭(日本)の防衛のために築いた水城・大野城・基肄城と、ほぼ同時期に築かれたと考えられている。また、八角形建物跡や銅造菩薩立像の出土などは、百済からの亡命者が関与したことが窺える。

 

鞠智城の築城当初は、大宰府と連動した軍事施設で、大野城・基肄城などとともに北部九州の防衛拠点であり、兵站基地や有明海からの侵攻に対する構えなどが考えられている。そして、修復期以降は、軍事施設に加えて、食料の備蓄施設の拠点、南九州支配の拠点などの役割・機能などが考えられている。

(Wikiより一部抜粋)

 

つまり、大宰府・大野城・基肄城などと連動した巨大防衛施設の1つということなんですね。すごーい、範囲広すぎ(  ̄▽ ̄)

 

 

場所はこちらです。

菊池市に入り、ある程度近くまで来ると、あちこちに案内板が立っているみたいです。

 

 

何はともあれ無事に到着ー(^.^)

 

 

パンフとかでよく見る建物発見ー( ≧∀≦)ノ

 

 

これは何かな。礎石でもなさそう。

 

レストハウスみたいなトコがあったので行ってみましたが、食事処は運悪く休業してました。

というわけで、菊池市街に食事をしに一旦戻りました。

 

 

Oishi

『おおいし』です。『おいしい』ではありません。あ、料理はとても美味しかったです(*^_^*)

 

生姜焼き定食(1210円)

適度な肉厚と歯ごたえでめっちゃ美味しかったです(^^)


お腹いっぱいになったトコで鞠智城に引き返しました。

 

 

 

写真を撮っていると、パンフレットらしきものを手に持って他のトコに行ってる人を見かけました。

 

 

このキャラクターのそばにパンフレットがあったので、かっぱらいました(*^_^*) 

 

 

 

 

 

米倉涼子さんのお住まいではありません。

米を貯蔵する倉です。


余談ですが、ワテは仕事で失敗しまくりです(^^;

一度でいいから「私、失敗しないので」とか言ってみたい・・・

 

 

 

 

 

こちらは兵舎です。

弊社ではありません。

 

 

 

 

礎石群がありましたー( ≧∀≦)ノ

 

 

さすが国指定の史跡ですね。めちゃくちゃ綺麗に手入れされてるし。

 

 

 

 

 

φ(・ω・*)フムフム...

 

 

野球やサッカーが出来そうですが、やってはいけません!

 

 

 

カラスの群れの記録が残ってるってすごーい。

 

 

何かを復元しようとしているのかな。

 

 

 

どっちに行ってみようかと迷いましたが、展望広場&展望所のほうに行ってみることにしました。断崖絶壁みたいなトコや3階建てくらいの建物はないと思うし。

 

ちなみに、当時の城郭の範囲を回ろうとすると、7~8時間かかるみたいです。全部見たチャレンジャーな方のブログ記事をチラッと見ました。

 

 

 

休憩所に無事到着ー(^.^)

 

後編に続きまーす (*^_^*)