太宰府政庁跡を出て東のほうに車を走らせました。
次なる寄り道は岩屋城です(^^)
戦国ヲタもどきとしては、ここは避けて通れませんね。
大友家の家臣だった高橋鑑種が謀反を起こし、代わりに入城したのが、国東の名家吉弘家の次男鎮種(のちの高橋紹運)です。説明不要でしょうが、実子に立花宗茂がいて、宗茂の養父が百戦錬磨の立花道雪です。立花宗茂を主役にした大河ドラマを作って欲しいなぁ。宗茂は柳川のイメージが強いけど、国東の筧城で生まれているし、二人の父も豊後出身だから大分でも盛り上がると思うけどヽ(*´∀`)ノ
それはともかく、またまたカーナビを頼りにして無事到着しました。
↑のワテの説明は不要でしたね。
階段、狭過ぎ。こりゃ離合が難しいかな。
あ、離合って方言でしたね。向かい合った人や車が狭いトコですれ違うことです(^^)
本丸跡に到着しましたー。
この石碑をみると泣けてきますね(´;ω;`)
2万とも3万とも5万とも言われている島津軍相手に763名全員玉砕したんですから。
それにしても諸説ありすぎでしょw
詳しくはこちらを→岩屋城の戦い
ここでもほとんど雨は降ってませんでした。
土塁?
妙なトコを散策していたら見つけてしまいました( ´▽`)
ひと回りして少しゆっくりしてから降りることにしました。
先ほどの狭い階段で年配のかたとすれ違いました(°0°)!!
こんな天気だから誰も来ないだろうと思っていたのにw
で、道路を挟んですぐ近くの紹運公のお墓(胴塚)にお参りに行きました。
見えてきました。
麓で買ったお菓子をお供えしました。
(私有地なのでご自身で片付けをという看板があったので、持って帰ってホテルでおいしくいただきました。)
ん?ここって二の丸?
案内板をよくみてみたら、二の丸って書かれてました。
だいぶ、お城の構造も分かってきたのかなぁヽ(´▽`)/
最後にもう一度合掌してあとにしました。
んで、林道に戻る階段の途中で、先ほどすれ違った人とまたすれ違いました。
お城好きは考えていることは皆同じですね(^^;
んで、またまた次なる目的地へと向かいましたーε=ε=ε=(ノ^∇^)ノ