なぜ?民主制の政治家にポンコツが多い理由!!【改定版】 | ショーエイのアタックまんがーワン

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

多くの人が諦めている現象の一つ、

優秀な政治家が居ないという事なのですが…

何故か?

 

実は絶望的な理由がそこに有るからです。

 

先ず、民主制が悪いシステムという訳では無い事は

お伝えしておきます。

正し、憲法に則って行われた場合の話です。

いわば安定した社会の中では

政治家が社会に関与しない方が望ましいという事です。

 

寧ろ行政機関が適切に機能していれば…

適切に機能と言うのは、

これもまた行政機関の組織上層部が

政策などに関与しない・・・

関与しないというのも

不必要な政策に関与しないという事ですが、

ある意味こうした組織上層部の頭脳は必要ありません。

寧ろ現場という意味で、

市民や国民と接するところが

適切に活動していれば十分に機能します。

後は民間に協力を仰ぐところは仰ぐ所で

現場の行政機関の限界を見極めて、

民間に必要な処置を検討して

法制化しなければ成らない部分を検討するだけです。

 

例えば保育園の不足問題…

介護士の不足問題…

これらは寧ろ現場の限界を把握して

行政機関が出来る限界をちゃんと知るのも大事です。

 

【保育士や介護士の不足問題と適正問題は、

資格と給与面で補うしか無い!!】

多くの国民は当然こういう事に気づいていると思います。

人の世話をするのがどれだけ大変な仕事か、

誰もが理解しうるところです。

そんな面倒な仕事を

安い給与または平均的な給与で

やりたいと思う人は少ないです。

ある意味、それでもそういう仕事に従事している人は、

個々の社会貢献心に依存するという部分です。

 

この社会貢献心は心理学的には

「善良な心」では無い事も伝えておきます。

寧ろ「善良な考え方」であると認識してほしいです。

心=考え方でも良いのですが…

勘違いする人が多いのであえて分けます。

これはボランティアに従事する人たちも同じです。

 

宗教的であり又は人生の経験の中で、

自分が社会に出来る事を優先して考えた人たちが、

こうした奉仕活動を頑張ってくれるのです。

多くの人は寧ろ自分がやりたい事を優先します。

または自分が楽または楽しく過ごす為を優先します。

「善良な心」と表現すると、

寧ろ後者の人たちに心が無い様な意味に成るからです。

彼ら後者の生き方をしている人たちにも、

「善良な心」は有ります。

ただそこに自己の献身を捧げる考えが無いだけです。

自己の献身を捧げる事は多大な労力を伴うため、

普通に出来る事ではない事は理解しておくのも大事です。

 

ただ、こうした奉仕の心に少しでも理解を示すなら、

自分の出来る事で感謝を伝える事は「善良な心」と言えます。

それでも自己の労力を

そこに捧げるだけの気合が無い事は先ず理解した上で、

それに一生懸命従事する人を

尊敬する気持ちが必要という点は伝えておきます。

彼らの奉仕に対する労力は、

感謝を伝える人の代わりにやっている事では無いのですから。

 

そこを理解した上で、

では奉仕活動を行う人の100%が気持ちだけでやっているか?

と、言うとそうでも無い事は理解するべき話です。

 

寧ろ生活する為にやっている人も居るという前提で、

それでも自己の献身を捧げて、

ある意味奉仕活動としてのルールに基づいて、

自己の奉仕に於けるストレスを抱えながら

頑張っている人も居る事を踏まえたうえで、

彼らに合わせて感謝する気持ちが「善良な心」に成ります。

 

現実的に人の心理または真理を理解するならば…

一人の献身ある考え(善良な考え)に感化されて

彼を助ける意味で参加した人達。

一部はその気持ちを継続させた形で頑張れるが、

逆に多くはそこに自己の生存

いわば生活を犠牲に頑張っているという事を

理解するべきなのです。

 

仮にこれが戦争と言う舞台で、

国民の為に命を捧げるという話に成った時、

どれだけの人が国の為に死ぬ気持ちを持てるか?

そこで考えてみて欲しいです。

多くの兵士は、徴兵という形の場合、

その国で全うに生きるためには、

死地に行かなければ成らないという

強制によって活動しているという事です。

最終的に死を覚悟する意味で、

「自分は国民の為に死ぬ」

という自己暗示で命を諦めているだけなのです。

 

寧ろ武術家の様に、敵を倒す楽しみであり、

死線を極めた勝負に従事できる人は、

ほんのごく一部でしかない事を理解してほしいです。

 

金を生み出せる人で、

「善良な心」のある人は、

こうした活動に寄付という形で気持ちを伝えている。

なので心で動いている人も、

生活の為に頑張っている人も、

合わせて社会貢献してくれる

大事な存在として認識できるのです。

 

寧ろ「善良な心」の無い人は、

生活の為に頑張っている人を省いて考えてしまい、

逆に彼らを蔑んで見るのも事実です。

 

さて…政治家という権力を握った際に、

または上級官僚として権力の中枢に入り込んだ人間・・・

彼らに「善良な心」を維持できるか?

と、いう話に成ると…ほぼ絶望的と言えます。

寧ろ、志を持ってそういう世界に入った直後は別かも知れません。

でも、「考え方が若い」という意味もあって、

献身=善良な心として認識し、

自己の生活の為に活動する人が多いという現実に、

寧ろ失望して行くのが彼ら権力者の流れなのです。

実は「人間的に未熟」で終わるのが

こういう人たちなのですが…

未熟ゆえに自分を特別視して、

自身が失望した社会を管理する義務感を抱くのです。

 

兵法的に伝えるなら、

兵士が国へ捧げる気持ちが薄い事を知って、

彼らが敵から逃げ出す状況を生み出さないようにするには、

彼らに敵前逃亡させない罰則を用いて働かせるしかない。

または彼らに本来軍法違反では有るが、

死地へ出向く楽しみとして「乱取り」と呼ばれる不法行為を

あえて許可する。

いわば士気を維持するために

こうした管理を行う必要性が生じて、

兵士を自分の駒として活用する事に陥るのです。

いわば…こうした軍の指揮官には、

国の為に嫌々ながらも参加する兵士たちに、

全く心を汲み取らず、

動物を扱う様に、餌や罰を以て利用することしか出来ない…

出来ないというより、

出来なくなるまたはそういう方法しか考えなくなるのです。

 

逆に彼ら兵士の心を救うには?

まあ、その戦争に勝つことしかない…

普通はそうなってしまいます。

 

※当ブログでは韓国の慰安婦問題は当時の日本軍に限らず、

どこでもディスオーダーとして戦地では発生するとしているのも、

実際にこうした現実を知るからです。

現状、ロシア軍でも発生しているのは、

寧ろ戦争に発展した中では悲しい話ながら、

避けられない現実と言えます。

 

軍の世界でも同様な様に、

社会を円滑に回そうと考える上では、

国民を駒として考えてしまうのは当然と言えば当然なのです。

 

資格と給与という部分を考慮せずに、

兵隊だけを投入して凌ぐ姿勢…

いわば保育士や介護士の人員確保に焦る姿勢が、

こうした状況を物語っているのです。

資格も簡素化したもので、

保育士や介護士の資格の希少価値は全く有りません。

ただ資格があればその仕事に従事できるというものでしかない。

 

【名将は戦う意義を示す者】

まず…名将は善良な心は理解しても、決して充てにはしない。

いわば充てにすることなく、

全ての人間は生きる為を優先すると理解するゆえに、

対応もそれに伴って考えていく。

その対応に「善良な心」への配慮も備わる事は言うまでもない。

 

保育士や介護士の資格に何か特典を持たせる…

いわばその資格に何らかの意義を与えるなら…

先ず、そこを考えます。

ポイントとか給与面の保証?

それは「善良な心」の方へ配慮が無い考え方です。

 

特典を考える際に、

先ず、それに従事する人たちが最終的に何を必要とするのか…

いわばここでは「善良な考え」に戻しますが、

その「善良な考え」の中で最終的に何を必要とするのかで、

色々考えます。

すると前述にも少し説明した様に、

「寄付」という信頼性が一番大事なのかという事です。

いわば「善良な心」で、

その作業に従事する労力までは持てないけど、

自分に何かサポートできる事があるならと、

「寄付」という手法を考える人は多いと思います。

しかし、「寄付」する場所に信頼性が置かれない場合、

やはり躊躇してしまいます。

 

ここで…有能な頭なら…

では資格に「寄付」を受けられる信頼性を持たせたら?

と、考えると…

資格保持者が大量に出た場合、

この信頼性は明らかに薄れます。

そこで少しでも効果的な方法は無いか考えるのが、

名将であるか無いかの大きな違いとも言えます。

いわば…大まかな作戦を考えたが…

その効果が薄いから止めるは暗愚で、

その作戦の効果が少しでも見込めるところを探り、

そこが機能するように構想を練り込んで実践するから、

大きな効果を得られるのです。

 

これをブログで記す作中の「魔仙妃」の言葉で言うなれば…

「確率あるところに可能性有り、その可能性を確実たるまで練り上げ実戦すること、これ正に奇策なり」

 

勿論・・・この言葉の裏には…

ナポレオンの言葉を揶揄する意味も含まれます。

「吾輩の辞書には不可能は無い」

確かに深い意味で考えるなら、魔仙妃の言葉と一緒ですが…

魔仙妃の言葉には「不可能を可能と固執する奴はバカだ!!」

というものも含まれ、

「0%は0%でしかないゆえに、0%なら切り捨てろ!!」

ここには四捨五入的な意味も含まれ、

「1%と0.5%の選択なら、1%を取れ」

という意味も含まれます。

ただ…確率として成功の余地があるか無いかを見極めないと、

成功の余地を無駄に排除してしまい、

結果として何の功績も得ずに、

逆転することも出来ないという事です。

いわば…「奇策」とはそういう時に使うものですから。

 

では…「寄付」の話で奇策を考えた場合…

「寄付を受けられる」という事で、

資格に対する付加価値が上がるか?

そこが趣旨の目的です。

恐らく上がるようには見えます。

これが可能性です。

しかし、個々に受けられるという権利では、

寄付する側への信頼性が欠落し、

結果として効果は皆無と成ります。

 

信頼性のある寄付ならしても

良いと考える人がどれだけいるのか?

 

ある意味、クラウドファンディングが機能する社会で、

こうした考えを模索するなら、

そういう寄付は成立すると見込めます。

 

確実たるまで練り上げるという作業は、

こういう分析を色々張り巡らせていくのです。

 

そこで寄付を受ける側と、寄付をする側、

双方の関係性が上手く成立し、

双方の「善良な心」が噛み合うようにするにはと考えるなら、

寄付金額を最低でも資格従事者全員に分配できれば…

いわば「ボーナス」という形で提供すればという事です。

故に国か自治体がこの寄付の窓口に成って、

最終的にその寄付で寄せられた額を資格者に分配する。

この金額は従事者に向けたもので、

施設等の運営費であり、建設費、設置費とは別にする。

いわば寄付金は全て従事者に分配するとういう仕組みにします。

 

勿論、ここでは従事者にも色々責任が出ます。

いわば従事者の不祥事等の発生は

その寄付に影響を及ぼすという流れにも成るわけです。

逆に彼らの献身と社会的貢献が評価されれば、

その寄付金額は大きく成ります。

こうした意味で社会奉仕する姿勢を

アピールする意義を持たせるのです。

いわば保育士や介護士はその職務に応じた活動以外にも、

社会貢献する事で

その職務の評価が上がるとう意味にも繋がります。

人助けをするだけでも、そうした貢献として評価されるのです。

 

勿論、こうして考えた構想が100%機能するかまでは、

正直、現状では確証できません。

まだまだ予期せぬ副作用があるかもしれない。

ただし、何となく50%まで構想上行けそうな雰囲気になったら、

普通の人は実戦して見る方が良いとも言えます。

そして実戦する中で、調整するようにすれば、

実はほぼ確実に成功するとも言っておきます。

 

これが名将の考える所と言っておきます。

 

ゲーム会社の話に成りますが、

アメリカを含む海外のゲームが、

最近、早期アクセスなる形で試験的にGOするのも

こうした50%の見切りからとも言えます。

そうした中でフィードバックによって、

より完成品に近づけていくのです。

 

ただし…ここで名将と諸葛孔明クラスの違いは生じるのです。

しかし…諸葛孔明クラスなんて…10億に一人の存在で…

ハッキリ言って…お目にかかる事も難しい。

いわば…数億人のサッカー従事者の中で、

バロンドールを何度も勝ち取る選手は

メッシとクリスティアーノ・ロナウド位しか居ないという話と同じです。

そんなレベルほいほいと現れる期待をすることこそ、

無理な話と考える方が良いです。

 

諸葛孔明クラスは、メッシ選手が他の選手と違って

フィールド上で特殊に色々な景色を見れるのと同じで、

50%の実戦を行う前に、

起こりうるだろう問題を想定して見えるという事です。

いわば…一般的に予知というレベルです。

先ず簡単な予知で、これはある程度の人なら気付くレベルですが、保育士や介護士の寄付を受ける資格の悪用です。

資格を得て仕事に従事しないで寄付を受けるという行為です。

ここでいう問題は…

仕事をしている振りをする場合。

これに対する罰則であり、管理をどうするか…

そういう部分の見極めも必要に成ります。

 

次に、寄付金額が思ったほど集まらず、

分配金が従事者に比例して低く成ってしまうケース。

 

簡単に言えば…こうして予知しておく必要性のある副作用は、

実は色々見えてきます。

50%というのは、こうした予知する問題を含めて、

とりあえずその従事者に意義を感じさせ、

そこへ向かおうとする人を増やせるかを前提に見切るわけです。

 

名将でも最大の目的を失っては意味がなくなります。

いわば見切りで発射するゆえに、

予知する出来事で失敗する事を恐れるケースに陥ります。

日本がダメなのはここに陥るからと言っておきます。

最大の目的は何なのか?

従事者の人員不足の解消ですよね。

色々予知して失敗しそうなケースはあるが、

とりあえず人員確保の流れに効果的に機能する方法は、

ここにあるかどうかで50%の見切り発射のポイントとします。

 

では、寄付金が上手く集まらなかった場合はどう対処するか…

その際は保育費であり、介護費の値上げという

オプションは考える必要性が生じるという点で良いと思います。

 

因みに名将にも至らないレベルの

日本の政治家であり、上級官僚が議論したところで、

50%の見切りで不安要素だけを議論して

本来解決するべき目的を見失って、

最終的には無策無能の

人員確保の為の広告費に予算をつぎ込んで、

募集を拡大する形に陥ります。

理由は難しい調整を面倒くさがるからです。

まあ、そういう調整の仕方は才能でしかなく、

知識では教えてくれませんから、

日本のこういう人たちには無理な話ともいえます。

本当に残念ですね・・・

 

ただし…諸葛孔明クラスなら…

先ず、間抜けな官僚や政治家の宣伝も兼ねて、

国民に問題が伝わるように上手く宣伝します。

先ず寄付が失敗する以前に、寄付が集まるように説得する。

寄付できる人に、

「国の将来の為の協力」を敢えて訴える。

その上でその心が浸透しなかった場合、

国の将来を支える人を守る意味で、

保育費や介護費を値上げするする形で対応すると示します。

 

こうした宣伝の仕方で、

保育士や介護士になる意義も

国の為の大事な職務であることアピールできます。

 

どこかの首相の様に、

寄付するのも従事するのも、

「国民の義務」なんて事は言いません。

 

あえて、

「国民の皆さんの気持ちを先ず示してほしい」

とします。

それが失敗しても、税金で賄う形で

「国民の義務」なんて理不尽な発想はしません。

寧ろ「国民の気持ちがそういう奉仕に協力的でないのなら、

そこは利用者負担で対応するしかなくなる」

という形で、

国の将来性に陰が生じるという言葉で説得するのです。

 

【善良な心を響かせるのが士気向上の奇策】

人は強制されると苦痛に感じる。

強制なく気持ちで動かされると強制の労力の倍の効果を出す。

 

これ人間の当然の心理なのです。

いわば

「命令されて仕事するより、助けてあげる方が気持ちよく動ける」

という事です。

 

勿論、助けたくない様な人に「助けて」と言われても、

助けたくないと思うのは当然で、

何か「利用してない?」と、

あざとい意味で捉えるのも無理は有りません。

 

いわばそれはその人が人を利用してきた事の裏返しです。

人を強制して使う人は

寧ろ本当に助けて欲しい時に

見殺しにされるのも当然なのが、

人間の社会なのです。

 

これらが個人個人であり、会社勤めの中で生じる事は、

致し方ないとするしかないのも、

多種多様な人間が共存する中では、

理解する必要もあります。

 

税金負担で賄うという事は、強制です。

寧ろそれだけしか集まらない。

逆に寄付という事だと、徴税よりあまり集まらないかもしれない。

でも…余裕も無い人からむしり取るより、

余裕のある人がある意味余分に出したくなる意味としては、

寄付の方が効果的です。

孫の為であり、自分の老後の為、

または自分の介護への感謝の為、

介護費以上にそういう感謝の気持ちで寄付する気持ちは、

資金に余裕があれば気持ちよく発生する。

いわばレストランのチップと同じです。

 

先ずはこういう気持ちの社会が日本で成立するか、

こういう気持ちの社会を構築できるか、

いわば試験的にやってみるという発想も

国民への意欲向上に結び付けて考えるのです。

 

【不祥事の発生やその対応も、微調整の手腕が問われる。】

 

気持ちの社会で、

不祥事の発生は寄付金への死活問題に成ります。

不祥事が発生しない事を前提に考える事は、

勿論日本の政治家でもしませんが…

不祥事が発生したらどうする?

で止まるのがこの人たちのレベルです。

 

諸葛孔明レベルだと、

不祥事発覚は逆に残酷なほどに吊し上げる。

そして寧ろ不祥事の発生に伴って、

適正に仕事をしている人たちの活動をよりアピールする。

彼らの活動を不祥事を起こした人間に見せつけて、

彼らの奉仕に対する気持ちにどう報いるのか・・・

そういう報道に成るように情報を流します。

 

と、簡単に付け足しておきますが、

微調整しながら対応を決定するのも才能の一つで、

この微調整が上手く出来ないから、

50%見切り発射でも失敗してしまうケースが

多々生じるのも事実です。

いわばゲームのフィードバックを上手く分析できずに、

ユーザーが本来求める部分を見切れずに、

安易に調整して失敗するケースと同じと言えます。

でも、ゲームなら予算の回収がある程度見込めた、

政策なら本来の目的・・・

いわば保育士や介護士の確保がある程度成果を上げたなら、

とりあえず良し…いわば何もしないより良かったで

国民も政策者も妥協して良い所と言えます。

 

勿論、失敗によって批難を受けるのは当然なのですが…

 

まあ、ここで示した言葉理解しても、

結局実際の社会で機能させられないレベルの人間が、

結果として政治や行政の中枢で

権力を握っているのは残念な話です。

いわば、失敗して批難に晒される事を恐れてしまうから、

妥当であまり効果の無い方法で妥協する感じなのです。

仮に彼らの頭脳で頑張っても

予知できる副作用の微調整が上手く機能せずに、

絶大な効果を得られる前に頓挫するのも事実です。

逆に優秀な名将に足る人物なら、

絶大な効果までは得られずとも、

最大の目的と、

その目的の維持に努める労力は惜しまないと言えます。

いわば保育士、介護士を十分に確保した上で、

彼らが職務に誇りを持って維持できる環境までは、

頑張って繋げるという事です。

 

 

今、民主制の政治家にポンコツが多いというのは、

名将に足る人物すらおらず、

ただ人気取りの選挙で、

名声だけで伸し上がった人ばかりだからという

実態だからです。

上級官僚も含めてこれらが徒党を組んで、

無能な議論を繰り広げているだけの政治が、

今の民主制の状態という事を、

先ず理解しておいた方が良いという事です。

 

彼らは自分の評価を落とすリスクを恐れて、

本当に大切な決断が出来ない。

 

この中で…マシな人材を選んでも、

所詮は無能な中のボスザルでしか無いので、

期待している方が馬鹿と言っておきます。

 

ただし!!

民主制とはこういう状態を予知してデザインされたもので、

特に憲法が上にある以上、

本来支障がない事を理解してほしい。

 

故に無能な連中がこの憲法に手を染めようとするなら、

触らせてはいけないのです。

こうして無能な連中が憲法に手を染める事によって、

民主制は徐々に崩れていき、

憲法の機能不全によって、

独裁を生み出していくのです。

日本は既に憲法の機能不全を起こしているから、

とても危険と言っておきます。

 

憲法があるから政治がダメでも、

国民の生活は個々の努力次第で守られたのです。

30年も成長しないクソみたいな政治でも、

何とか最低限の豊かさを保てているのは、

憲法を基準に法の下で

適正な民事活動が維持されているからです。

それでも悪政によって消費税は

30年でどんどんと上がり、

更に防衛費という名目で税負担を強いる政治は、

無能を通り越して害悪でしかないと考えて欲しい。

 

自民党の独裁を許してしまっているゆえに、

政治が金を欲しがるままを許してしまっているのです。

寧ろ無能な政治家の要求に乗らずに、

現状で我慢しろと国民は抵抗するべき。

いわば無能ゆえに余分な金を欲しがる。

無能ゆえに余計な負担を平気で国民に要請するのです。

有能なら先ず国民を豊かにして、

現状のまま国庫を豊かにすることを模索する。

 

岸田君は結局…

所得倍増を目指してそれをしようとしてたんじゃないの?

もう・・・諦めてしまったのなら・・・

そもそも口だけの無能じゃないのかな?

まあ、やり方もデタラメで…逆なんだよ!!

国民の財布に余裕を持たせてから、

給与を上げるのだよ!!

その為に先ず消費税の減税で、

政府が国庫の身を切るところが最初なのだよ!!

国庫の身を切る事も頑張らないで、

税負担ばかり考えるなんて論外です!!

国民はこの無能ぶりに怒りをもつべき!!

 

まあ…国が国ならその国民もそのレベルか…

それで良いのですか?!

富国強兵

よくこうした言葉を用いて、

軍拡の理由としてますが・・・

その時点で富国強兵の真意が

わかっていないと言っておきます。

 

強兵を目指すうえで、重税を課して、

国を衰退させる例は多々存在します。

 

彼ら無能な知識層は、

ゲームや小説と現実は違うと言ってますが…

彼らはゲームや小説の英雄側の視点で

自分を分析しているから

寧ろ彼らは違いの本質すら理解できていないのです。

 

ゲームや小説と違う点は・・・

英雄に成れる人物はその一握りで、

そこに埋没して行く脇の姿が

一般的に権力の中枢に居る彼らだという事です。

埋没して行く彼らも、

一時期には権力を手中に収める立場に居た訳です。

更に埋没しているという表現にしますが、

その権力の下で生活する無名な国民であり市民とは、

確かに権力を持っている時点で違います。

だからと言って自分たちが

歴史に残る偉人であり英雄と

同格の様に考えていること自体が、

バカバカしい話です。

 

富国強兵は、国を豊かにして強兵を作る意味で、

まあ、アメリカの様に日本に後塵舐めていた

90年代の経済から、

今の状態に復興したなら、

それは正に理を得ていると言っても良いでしょう。

 

では…日本は?

逆に衰退している。

日本は先ず富国を優先して考えるべきなのに、

富国すらできずにいる。

解かりやすいので三国志の話で言うなれば、

劉備に乗っ取られた

蜀の劉璋の状態に似ていると言えます。

 

彼らは兵力を補うために、

重税を課して国を破綻させて、

結局はそれよりも小さいはずの劉備に奪われてしまった。

今、日本で議論されている事は正にこういう状態です。

かと言って…劉備に備えなければ奪われる。

または当時の漢中に居た張魯という勢力に奪われる。

でも…結果として重税を課して国民を疲弊させては、

その原資となる経済はどんどん悪く疲弊する訳です。

これを富国強兵という意味で言うなれば、

正に愚の骨頂です。

 

先ず、現状戦争に至る状態に無い事を踏まえて、

現有戦力で守りうる最大の配置を行う。

ウクライナが苦戦しながらも

現時点でロシアとの戦争で何とか持ちこたえている状況を見て、

侵略する側が如何に苦戦するのかを考えれば、

戦力を増強せずとも、

他国が侵攻するリスクを決断に結びつける状態は無いと

判断した上で、

それでも突発的かつ偶発的な事態に備えて、

適正な配備をしておくという事。

逆に、いかに兵力を増強しようとも、

突発的、偶発的な事態では、

国土は100%守り切れない。

しかし敵の侵攻を十分に食い止める力が

増強無しでも有るのなら、

それは侵攻を決断する抑止力として機能する。

 

ここを維持した上で、

韓国との外交上の問題を解決して、

北朝鮮からの事態で確実に連携を取れるように、

和解する。

 

米国が同盟国防衛として確実に守る姿勢が無いのなら、

潔く中立国としての立場を表明し、

日本から戦争を仕掛ける意思はない事を明確にする。

米軍基地は国連平和維持軍として駐留させている形で、

米国と国連に働きかける。

 

正直な話…税金むしり取って国防に費やす前に、

戦争を回避または抑止するための労力は

山ほどあるという事です。

それをやった上でまだ足りないのなら、

次は国防ではなく、宇宙開発の技術促進に成るのです。

 

無能な連中は次に来るだろう技術を予測してません。

 

太陽光発電の技術で、

宇宙からマイクロ電磁波で地上に送電する方法などが、

技術的に進んでいる訳で、

マイクロ電磁波が人体に悪影響を及ぼす観点から、

今は難しいとしてます。

逆に言えば、これ兵器としてつかえるという話です。

兵器の応用が可能な分野に対応した技術開発が出来ない。

または兵器応用を研究した上で、

逆にそれに備える部分まで研究するという事が、

真の国防に備える発想なのです。

 

現有兵器をいくら揃えても、

数年後にそういう技術が進化したら無駄に成るだけです。

逆にそういう技術を得たのなら、

それこそ対外的に抑止力として働く。

 

愚者は今出来ることを精一杯に揃えようとするが、

英雄は次に訪れるだろう優位性の担保を目指すがゆえに、

結果として愚者の愚行を嘲笑するのです。

 

ゲームの世界でも誰かの攻略法を真似て、

そのままやって自分の実績としているが、

そもそもが無能な攻略でしかない事を知りもしない。

攻略法を知っても、

もっとより効果的な方法を模索して、

それを見出すことに努めなければ、

そのプレイヤーはその世界で

なんの価値も無いのです。

 

真の価値を知らない人から称賛を受けても、

真の価値を生み出した人には勝てないのだから。

 

これはスポーツの世界でも同じ。

メッシやネイマールのプレイを真似たところで、

同じことが出来たところで、

彼らを越える存在には成れないのと一緒です。

 

ちょっと難しい話ですが…

単純に大きな違いを言うなれば

メッシやネイマールのプレイを

真似て同じことが出来るようになったか、

自分で色々積み重ねた練習の中で、

メッシやネイマールと同じ事は出来るのかで、

実戦に向いたときにその選手の力は歴然と違うという事です。

 

何にしても、基礎を徹底して

様々な状況を想定して、

それに対して自分なりに対応を考える力が無ければ、

真の達人には成れないという話です。

 

しかし…そういう達人は、稀にしか存在せず、

民主制の政治家にそれを望むのは酷な話である事を、

我々庶民は知っておく必要がある。

その上で、マシな奴に投票するのではなく、

常にダメを排除して、次を試す姿勢が、

民主主義を最大限に活かす道と言っておきます。

 

好き嫌いはあるだろうけど、

イーロン・マスクがトランプに苦言を呈したように、

「我々の上には常に憲法があり、

何人もこの存在を越えては成らない!!」

これが民主制を維持する秘訣と同意する話でもあります。

 

政治家にそれ以上を求めるべきではないとも言っておきます。

もし、それ以上を求められる存在ならば、

その政治家は国民に感謝と誠意を示して、

治世を豊かに導くでしょう。

ただし…その人物は恐らく憲法の存在を尊重し、

それが自分亡き後、

治世を永続させるものであることを知るでしょう。

今、存在する合衆国憲法であり、日本国憲法は、

それだけ価値ある状態で維持されているのです。

なのでこれを変える事は、

如何なる理由があっても許すべきではないと言っておきます。

 

国民が20年後の未来を予知できないのなら、

寧ろ不変を覆す如何なる戯言も信じるべきではない。

 

とは言え…

世界はまだ纏まった状態ではない。

国連で世界を統合するには…

民主制で選ばれたアホな政治家は

全て排除する必要性が有るのだろうか…

全ては米国を含む各国の国民、市民が

どういう政治家を支持するかに掛っている。

 

ウクライナの戦争…

平和を望みながら、長期戦の対立へ導いてしまう世論。

そしてそれに同調する政治家。

米ソの冷戦から結果として

この対立意識の解消が出来なかった結末であることを、

殆どの人が理解しようとしていないのは、

真に残念な話です。

いわば…この戦争すら起こす必要性は無く、

それ以前に対処出来た事なのです。

それが崩れ去って結果としてこういう戦争に発展した以上、

正直、止める事は難しく、

双方が双方のプライドをぶつけ合って、

本当に疲れ果てるまで殴り合う話です。

 

ボクシングの試合の1ラウンドを1年として戦争を見るならば、

1ラウンドでKOすることが適わない状態で、

2ラウンド、3ラウンドと続く様なもの。

15ラウンドなんてベトナム戦争と同じで、

当時圧倒的な米軍を以てしても、

決着が着かずに米軍の判定負けの様になった。

多くがロシアのKO負けを論じて期待しているが、

ロシアが立ち続ける限り戦争は終わらない。

あと何ラウンド持つかも解からないが…

その間、ウクライナの市民はダメージを受け続ける訳です。

 

ウクライナの人々が可愛そうだけど…

どうやって止めるの?今更…

 

ウクライナだって国土を奪われたままで終われる様な

国としてのプライド捨てれない。

 

ここを踏まえたうえで

ロシアとの交渉に結び付けなければ成らないが…

マクロン大統領が言っている意味すら

理解できない人が大半なので、

交渉する基準すら模索もできない。

 

民主制の無能な政治が蔓延る現状が…

憲法の無い国際社会で無秩序に働いているとは、

真に情けない。

国連憲章の内政不干渉の項目なんて、

アメリカが寧ろ無効化させている状態。

米国の国連大使の・・・グリーンフィールドだっけ?

さっさと消えるか、

ちゃんと国連憲章の意味を理解して発言しなさい!!

無知無能にもあきれる話。

国連は民主制を正当化する場所では無い!!

民主制を正当化する前に、

民主制が国連憲章化できる議論の流れを作りなさい!!

 

いわば…中国もロシアも妥協できるところ

「投票無き世襲は加盟国国家の正当な統治機関として認めない」

と、いう所から始める。

ロシアのシステム上でも、中国のシステム上でも、

この文言は妥協できる状態にあるから。。

そしてとりあえず選挙では無く、投票とすることで、

独裁国家の世襲に歯止めをかけるという意味です。

 

そしてこれが機能し始めてから、

投票を国民選挙という文言に変えるタイミングを

今後調整して行く。

それには中国の人民

(国民だけど表現を中華風に調整します。)

が、どれだけ国民選挙を求める状態に靡くかで決まる話で、

世代を得て、経済的な繋がりで

米国の文化と交わっていく事で

50年以内には流れが変わるという見積もりです。

その際に、米国は中国の経済に負けては成らない事と、

米国と中国が外交上上手く付き合って競い合う必要性がある事、

この何れかが欠落すると50年では

決着が着かなくなるとも言っておきます。

中国の人民が米国民に敵対心を持ってはならず、

また中国の人民が米国民を見下す状態に成っては成らない。

それを補佐する意味で、

ある意味欧米、西側の国々は米国と共に発展し続けるよう、

協力していかなければ成らないのです。

無論、そこに中国やロシアを敵視したり排斥するような

考えが混じっては成らないのです。

 

双方が競争を意識しつつも、

フェアに戦う事で新たな世代を西側の意識へ導いていく。

また、欧米と西側の力が団結してこの経済競争に挑めば、

中国はさほど脅威ではない事も自信を持つべきで、

多くの英知を支援して優位性を保つようにすれば、

中国が追いついてきても、

それ以上に力強く進めるのは疑いの余地はない。

 

古い価値観は年を得るごとに衰え、

新しい価値観がそれ以上に浸透する。

世代を重ねることで世界の価値観は

より一つの世界に共有されていく事を、

今の世代は理解して見つめるべきなのです。

 

今、この新しい価値観を古い価値観で覆そうとしているのは、

60代以上の政治家が蔓延って、

冷戦時代の因縁を持ち込んでいる結末と理解してほしい。

ウクライナの戦争は

そういう古い価値観が齎した副作用でしかない事を、

先ず理解した上で、

この老害どもをいち早く排斥する必要性があると

強く述べておきます。

新しい価値観を理解するマクロン大統領は、

若くて甘いのではなく、

寧ろ老害でしかない古い政治家が

人間不信に陥って理解できていないだけの話です。

「プーチンは信用できない!!」

そういう意識で挑むのは仕方ないが…

プーチン大統領も不死身ではない。

いつか死ぬだろうし、

20年後も生きているとは限らない。

ある意味、その20年後を見据えて、

その20年後にロシアで権力を握る世代に、

価値観を共有できる環境を齎すべきと言う話です。

 

なのでロシアを敵視する状況は、

20年後も同じ敵愾心をロシアに植え付ける作用しか

働かないという事です。

 

もっと先を見据えて考えるなら、

20年後のロシアが我々と同じ価値観で共有出来たなら、

その時でもウクライナの領土返還の話は出来る。

今の一部のロシアの若い世代が戦争に反対しているのなら、

彼らが新しいロシアとして正当化できるように、

今のロシアを導くのも策略という表現にしておくが、

そういう意味で機能する。

いわば自然な形で徐々に価値観を共有して行く方が、

より効果的に世界が纏まるという事です。

 

それでも今と成って

ウクライナとロシアが戦争してしまった状態では、

こういう話も難しい。

ロシアとウクライナが再び関係を良好にするには、

ゼレンスキーは寧ろ邪魔。

無論、怨恨を与えたプーチン大統領も邪魔と成る。

ただし…

ゼレンスキーが退陣して

ウクライナが親ロ派の存在を排除しない状態になったら、

プーチン大統領も自身の退陣を潔く認める可能性は大きくある。

その条件はウクライナがロシアとの関係改善を決定して、

更にはNATO加盟から手を引く、

またはNATOがウクライナ加盟を今後認めないとする事です。

 

実は…現状ここが和平に進展できるラインです。

でも、ゼレンスキーは親ロ派の活動を非国民として認めないし、

退陣する意思も無いので、

結局、戦争は終わりそうにないという事。

また、ゼレンスキーはバカなので、

こういう話でプーチンが退陣するなら

和平に応じると言いそうですが、

それは相手の敵愾心に火を付けるだけの行為で、

彼が平和を望んで発している言葉には成らないのです。

 

まあ、現状の状態でゼレンスキーが

何らかの事故か戦禍に巻き込まれて死んでも、

一時的には英雄視されても、

歴史的には戦争に導いた愚者扱いされるのがオチです。

彼が英雄に成れるのはロシアとの戦争に勝てたときだけ。

なのでウクライナ政府=ゼレンスキー政権は

そこが明確に成るまで、

和平交渉は如何なる国民の犠牲を伴っても、

決して妥協しないと言えます。

 

まあ、こんなバカな大統領を選んだウクライナ国民を

哀れに思うと一般的には残酷な表現を用いて伝えておきます。

 

なぜバカとまで言い切るのか?

それはこいつが避けられるはずの戦争を

避けれなかった馬鹿だからです。

ゼレンスキーが大統領に成った時期待したのは、

ロシアとの関係改善だったのですから、

戦争と言う結末は、失望以外に言葉がない怒りしか感じません。

 

この怒りは…前述にもある通り、

世界が平和に統合できる機会を彼の馬鹿な判断によって、

全て台無しにされたから。

NATOがけしかけた結果であっても、

本当に国民にとってベストな選択は何であるのか…

そこをちゃんと理解していれば、

NATOや米国のネズミ国務長官ブリンケンの

罠の犠牲に成る事なく、

平和的にウクライナ国民を導けたわけですから。

 

どうするの?

これだけ国民犠牲にする状態にして…

ウクライナの国民がこいつを支持し続けて戦争する以上、

正直助ける気も有りません!!

世界平和を滅茶苦茶にしてくれて有難う!!

ウクライナ国民にこの言葉を今送ります!!

自分らで責任取れ!!

 

因みに敵の敵は味方と言う意味で

ロシアをサポートする意味でも有りませんが、

自分がロシアの大統領だったとしても、

ウクライナのゼレンスキーは許せなかっただろうと理解します。

多分、同じ状況では、同じ選択して、

戦争を始めるだろうと思います。

勿論、いろんな批判を受ける覚悟で。

この表現自体も炎上覚悟でしているのと同じで、

許せない行為に対しては許せない姿勢で表現するのが、

人間にある本質だという事は理解してほしい。

 

戦争は法律で縛られた社会とは別で、

国家と国家の関係で発生するもの…

より慎重に相手と付き合う事が無ければ、

こうした殺伐とした結末はいつ何時も訪れるのです。

 

日本もこうした事を理解しないで外交しているなら、

ウクライナと同じ結末を引き起こすことは覚悟した方が良いです。

 

むしろ・・・こんな事も解からないの?

と、いう話で我々の社会は動いている。

長い愚痴になってしまった…

後で読みなおしたら…凄い長くて、

本文と同じ事言ってて申し訳ないです。