うつけの兵法 第三十話「マムシ戦法」 | ショーエイのアタックまんがーワン

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【第三十話 マムシ戦法】

桶狭間へのカウントダウン 残り13年+3年

〔ドラフト版〕

 

 毒蛇は草むらに潜み相手の隙をついてその毒を以て捕食する。

 道三の頭は今、まさにその毒をどこに潜ませるかを考えていた。

 

(敵は既にこちらの窮地を悟っている…)

 

 一般的多くの人は相手に自分の弱みを見せたくないと考える。

 いわばその後の交渉で少しでも優位性を保とうとするためにそう考えるのである。

 その為、情報漏洩を防ぐため四苦八苦するのだ。

 そうして四苦八苦すると、指揮を執る本人は状況を理解していても周りの人間は指揮者が理解していないのではと錯綜するのだ。

 どこの企業の会議室でもよく見られる光景かもしれない。

 指揮者以外の人間は情報を把握して打開策を練る方向で考えたいのだが、指揮者は寧ろその打開策で何とかできるとは思っていないため、ついつい外部に漏れないようにとそれを否定しまいがちにもなる。

 いわば指揮者の頭は戦争なら休戦であり和平交渉で解決する形に持って行こうとするからだ。

 人間、保身が先行すると自然とこういう形に成りがちである。

 ところが死ぬ覚悟を決めた者は全く別物なのだ。

 

 達人同士が刃を交える際に、我武者羅に自分を殺す気で向かって来る相手は確かに怖い。しかし、そこで脅えるのは敗北を意味してしまうのだ。

 相手が野獣同然に向かって来るのなら、相手に一打食らわせるだけで相手は怯む。一打食らわせずとも上手く避けるだけでも効果は出る。いわば殺す気で向かって来る相手が一度自身の保身を頭に過らせると意外ともろく崩れるからだ。

 そういう意味で一番怖いのは、死ぬ覚悟を持った相手で、一挙手一投足冷静に見極めてくる分、一瞬の隙が命取りになるのだ。

 プロボクサー同士の戦いでボクサーが殴られる事を恐れない姿は正にそういう境地と言っても良い。

 

 決死の覚悟とは誰もが簡単に口に出すが、実はそんな簡単なものではない。

 また猪突猛進の様な自決する覚悟の相手も違うのだ。

 

 道三の覚悟は、勝負に負ければ命を落としても悔いはないという所である。その上で今命のやり取りの中で、相手との勝負を楽しむというものである。

 いわばこの窮地を道三は楽しみ始めたのだ…

 ゆえに自然と孫子の基本、「彼を知り、己を知る」事が見極められるのであった。

 

 軍議を開く中で、家臣たちは口々に…

 

「殿…敵がここまで迫った以上、木曽川に展開する部隊を集結させて稲葉山で籠城するのが得策かと…」

 

 と、懸案してくる。

 道三はその言葉を寧ろ冷静に受け止めて、

 

「他の者も、それが適切と考えるか?」

 

 と、あえて聞くのであった。

 すると家臣団は顔を見合わせつつお互いにうなづき合って意思を確認しだした。

 道三はその様子を観察して、あえて返答を求めることなく、

 

「ははは・・・なるほどな、皆がそう考えるのならそうなのであろう。」

 

 と、笑いながらそう伝えた。

 この時、道三の中では自身の思い描く計が大方機能する事を確信した。

 更にはその場でこう告げたのである。

 

「ならば…籠城する方向で調整しよう。皆の者沙汰を待て」

 

 と言って締めるのであった。

 敵を騙すなら味方から…と、良く言うものだが、

 味方に嘘を述べるのが得策ではない。

 味方には「前向きに考える」という形で道三は伝えたのだ。

 これは君主として人の心をとらえる者は常に考えておかなければ成らないのだ。

 味方に嘘を述べて計を行うと、その計を知らされたものと、嘘を付かれたものとではその信頼関係に差が生じてしまう。

 「敵を騙すなら味方から」という言葉は当時でも誰もが認知する言葉である。その中で「嘘」の中に置かれた者は、自分が信用されていないのではと錯覚する者も出てくる。

 人の心がそうした些細な事で崩れていくこと知る上では、事が治まった後の事も考えて注意しなければ成らない。

 ゆえに道三は「前向きに考える」と伝え、「沙汰を待て」と止めた上で、必要最小限の指示で行うという形にしたのである。

 

 さて…ここからは戦の演出家の手腕が問われる部分である。

 道三は先ず、笠松に布陣する安藤守成に稲葉山寄りに幾分か後退して、高台のある場所に陣を敷くように命じた。

 無論、これは木曽川を挟んで対陣する尾張本隊からすれば水計を狙ったあからさまな布陣に見える。

 また道三はその場所であえて要塞を建設するようにも命じたのだ。

 要塞と言っても木材で防御を固める程度のものだが、その作業で何日かは掛るのだ。

 対陣する尾張本隊の坂井大膳は2,3日もすると少し違和感を感じ始めるのであった。

 大膳も稲葉山が包囲されつつある状況は知っている。

 その上で今水計に嵌めようとする動きを警戒して木曽川の渡河を躊躇している自身の判断に疑念を抱くのであった。

 

 (足止め…か・・・?)

 

 大膳はそう警戒感を抱いて、木曽川の堤防付近の様子を探らせるように犬山城の織田信康に命じた。

 対岸の堤防を守る氏家直家隊は未だそこの守りを固めて、さらには可児郡の斎藤正義隊も陣容を崩していない事を確認した。

 勿論この時点で道三からの指示は双方に伝えられている。

 更には氏家直家は堤防の場所に大軍が渡りやすいように橋を拡張し始めた。

 ここまで来ると何か怪しさを感じる。

 そこで大膳は道三が今何を一番狙っているのかを考えた。

 

(尾張からの渡河の足止めで一番狙いやすいのは…)

 

 無論、誰もが気付くであろう…

 

(稲葉山を包囲する井ノ口の部隊への奇襲か!!)

 

 勿論、道三もそれを実は狙っていたのだ。

 しかし、安藤守成も氏家直家の部隊も、そして斎藤正義の部隊も未だ動いてはいない。

 大膳は策士らしく思考を巡らせて考えた・・・

 

(ならば奇襲の機会をどこかで合わせるか…)

 

 策士なら孫子の兵法の基本は誰でも知っている。大膳はそのタイミングを見極めるのに自身が渡河を一番警戒する時と考えた。

 

(雨の降った時・・・)

 

 はてさて道三との駆け引きは如何に…

 

 大膳は自身の考えをすぐさま早馬を走らせて井ノ口側の方へ伝えたのである。

 無論、信秀と宗滴という優秀な戦略家が居る井ノ口対岸でも木曽川の状況は把握していた。故に大膳の知らせに驚くことは無かった。

 恐らくはその頃合いと誰もが意識したのである。

 

 1544年10月8日(旧暦 天正13年9月22日)ついにその時が訪れた。

 さて…ここで誰もが忘れている稲葉一鉄の存在である。

 前日の夕刻過ぎに雨が降ろ始めると、揖斐城付近で潜伏していた稲葉一鉄の部隊が突如、その揖斐城を急襲した。

 勿論の事、道三より開城して潜伏することが伝えられていた一鉄はここに攻め込みやすい抜け道をあらかじめ用意していたのだ。

 更に加納口への兵力集中で揖斐城の守備は薄く備えていた事もあってそこに入っていた土岐頼純を逃がすのが精いっぱいで陥落したのである。

 この一報が尾張越前連合に伝わるや、焦りを生じさせたのである。

 道三の狙いはこの焦りを生じさせることにあった。

 井ノ口対岸の部隊は急襲がある事に備えて陣容を構えてはいたが、越前への退路と越前からの補給路を断たれたことで動揺したのだ。

 こうした動揺を察して信秀も宗滴も、

 

(道三め!!やはり備えていたか!!)

 

 と、痛感したのだ。

 いわば兵士より寧ろその動揺は越前の将たちに広がったのだ。

 彼らは孝景に、

 

「殿!!ここは先ず後方の退路を守るのが適策なのでは!!」

「根尾川との合流地点を固めねば、我々は孤立しますぞ!!」

 

 信秀も宗滴も、この動揺こそが道三の狙いであると悟った。

 宗滴は孝景に、

 

「これは敵の謀!!今動くは敵の思う壺です。ここは敵の急襲を防いだ後に対応するべきかと!!」

 

 そう伝えた。

 孝景も冷静な将である故に、宗滴の懸案を受け入れた。

 

 こうした状況は木曽川の坂井大膳の元にも届いた。

 大膳はもしやと思い、犬山の織田信康に堰のある坂祝を急襲するように命じたのだ。

 無論、無策に急襲するのは敵に備えが有ったとき大被害を被る。

 ゆえに密偵を放って、先ず様子を見させた。

 既に夜更けで辺りは暗く、雨が降ったことで月明りも無い。

 密偵は敵に悟られないギリギリのところでは敵陣に軍旗が立っていることしか確認できない。

 雨音で敵の気配は音では確認できない。

 しかし、信康はその密偵に敵陣に侵入して確認するように告げていた。まさに決死の密偵である。

 もし、その密偵が帰らぬ時は、敵はまだそこに布陣していると判断するつもりであった。

 

 戦に興じる者は様々に思考を巡らし、それぞれが慎重に対処している。歴史小説に書かれる間抜けな結末など、現実では作家の空想に過ぎないのだ。

 

 密偵は命を賭して、敵陣中に入り込んで確認した・・・

 

(誰も・・・居ない…偽兵の計!!)

 

 そう判断するやその密偵はすぐさま信康の元に報告した。

 信康はそれを聞くや大膳にも早馬を走らせてすぐさま木曽川を渡河するように告げた。

 

 大膳の元にそう伝わるや大膳はすぐさま渡河を指示した。

 勿論その場合に備えて準備をしていたのである。

 無論対岸に安藤守成の部隊が居る可能性はあった。

 しかし、木曽川の堰の決壊が無いと判断したら、大軍でごり押しすることは十分可能と考えていた。

 雨で水かさが増すとは言え、渡河するために近くに逆に堰を設けて水位を更に下げる準備をしていた為、船を使うことなく渡れる状態にあった。

 敵がそれを妨害して来ない事は状況から逆算して想定済みだったのだ。

 どんな指揮官でも様々な思考を巡らして戦っているのだから当然である。

 そして夜更けから明け方の頃合いには渡河が完了して、安藤守成が築いた要塞への攻撃が始まった。

 

 さて…こうした情報の伝達や報告は早ければ早いほどいい。

 笠松から道三が堰を設けた坂祝までは20キロほどある。

 晴れている日ならば狼煙を使う事は出来るが、雨の日ではその煙を確認するのは困難とも言える。

 そこで道三は笠松の状況を坂祝に居る氏家直家に素早く伝える為におよそ100m感覚で弓兵を200名ほど配置して、矢文ならぬ矢を届かせて伝達させる方法を用いた。

 それでも失敗する可能性を考慮して早馬も走らせるのだが…

 100mなら大方狙いを定めやすく、馬より早く伝わるのだ。

 無論、200人と言っても貴重な戦力故に緊急時にしか用いられない代物である。

 

 敵が井ノ口側への急襲へ向かったものと考えて、今のうちに坂祝の堰を占拠しようと信康は軍をそこへ進めた。

 万が一の伏兵に備えてはいたものの、そこへ突如斎藤正義の部隊が襲い掛かってきたのだ。

 さらに対岸から突如氏家直家の部隊が出現し、信康はまんまと空城の計に踊らされたのだ。

 空城の計とは城を空に見せかけて敵を策に嵌める事で、必ずしも警戒して撤退させるだけのハッタリ計ではないのだ。

 

 1544年10月8日のこの日に、信秀の弟の織田信康は加納口の戦いで戦死したとされている。

 おそらく犬山に居た彼がこうした戦いの流れで敗死したのではと推測する。

 この道三の逆転劇の計はそうした資料に基づき算出して見たものである。

 

 坂祝での空城の計が成功するや、渡河した大膳の尾張本隊は一気に窮地に立たされた。

 いわば…堰を決壊させての笠松への水攻めが可能になったからだ。

 更に大膳は速やかな渡河を狙って、自陣の近くにも堰を設けた。

 大量の水が木曽川を伝って急流のごとく流れていき、その自らが用意した堰に到達したのならこの被害は言うまでもない。

 道三の本命はここに敵を嵌めこむ事であって、信秀らへの急襲はその次なのであった。

 

 大膳の尾張本隊は無残にも命からがら逃げかえるしか無かった。

 そしてかなりの被害をここで被ったことに成る。

 この笠松から稲葉山の間に加納という場所があり、そこを中心に戦の大局が決した事から加納口の戦いと呼ばれたと推測する。

 

 尾張本隊の倒壊を得て、10月8日の早朝には井ノ口の状況は一変してしまったことに成る。

 稲葉山城を包囲していたはずの状態が、一夜にして逆に包囲される状況へと変わったのだ。

 今と成っては揖斐城方面へ守備を固めるのも危い。

 笠松で尾張本隊と対陣していた安藤守成の部隊は、結果としてほぼ無傷で動ける状態に成っていた。

 また、堰の守備に回っていた氏家直家の部隊も犬山に居た織田信康が打ち取られ、更には斎藤正義が土田に居る限り他に回れる状態になったのだ。

 

 この時、信秀は大垣の守備を警戒し、孝景と宗滴は越前方面への退路を警戒した。

 孝景と宗滴は井ノ口からそのまま北に抜けて土岐氏の守護所であった大桑城へと向かうことにした。

 そこで信秀ら尾張の部隊が殿(しんがり)を務める事にして、越前部隊を先ず大桑に向かわせ態勢を立て直そうと試みた。

 

 越前軍からすれば揖斐(北方)城を奪い返された以上、大桑を攻略し根尾川上流から揖斐川上流の道筋を繋げて美濃北西支配から再起を図る算段に転じた訳だ。

 この時点で井ノ口対岸の陣は殿を残すのみで、信秀はその西方にある鷺山城で追撃を食い止めるように後退した。

 

 越前の将たちの中には、もっと早く・・・いわば揖斐城陥落の時点で動くべきだったと不満を呈する者も出ていた。

 それを退けて様子見を進言した宗滴と信秀は今と成っては立場を失う形だったとも言えよう。

 軍というものは結果だけを見て意見が錯綜して崩れやすい所もある。

 道三は笠松の戦況が決した時点で、井ノ口対岸を急襲する考えでいたが現状を冷静に考え、迂闊に態勢を崩す状況も危いと感じ、

安藤守成には笠松での尾張本隊の残党狩りを継続させ、氏家直家の部隊のみを稲葉山城に帰還させるに留めた。

 

 無論、道三は井ノ口対岸に自軍の渡河を阻止する殿(しんがり)が待機する事、鷺山城辺りで更なる追撃を阻止するだろう配置は予想できており、無理にこの追撃で兵力を消耗することは相手にむしろ再起の機会を与えかねないと警戒した。

 しかし…長良川を挟んだ対岸の鷺山城に尾張勢が居座る状況も芳しくない。

 そうして総括して考え、時期を得て更に形勢を取り戻す意味で考えると、ここで一度休戦を申し入れる方が得策に思えたのだ。

 

 敵である越前と信秀の軍勢は今混乱しているのは定か。

 されど現状背水の陣同様に、彼らは必死で退路を生み出そうとする。

 そういう状況で追撃を仕掛けるのは時として逆に被害を自軍に拡大させてしまう。

  これは笠松の尾張本隊の様な壊滅した相手とはまた違うからだ。

 ただし、越前と信秀は必死であるがゆえに兵の士気は高いが、むしろ交渉には弱腰に成りやすい。

 道三はそういう心境も察した上であえて休戦交渉の使者を送るのであった。

 

 条件は…

 鷺山城と揖斐川と根尾川の拠点を放棄しろという条件で、越前と信秀の撤退を保証するを交換するという形で休戦を申し入れたものである。

 この交渉に美濃側から赴いた使者は堀田道空であったとしよう。

 

 道空は先ず越前の朝倉孝景の下を訪れて、南方からの尾張本隊が瓦解した以上、美濃兵は集中して越前と信秀の部隊と対峙できることを説いた。

 その上で…

 

「双方がぶつかりあえば双方で激しい戦闘に成るのは必至。」

 

 道空はあえて美濃が孝景らを侮っていない事を述べた上で、

 

「その上で美濃は必ず勝利するつもりでおります。こちらも必死で挑む所存・・・それゆえの被害は覚悟の上です。」

 

 そして続けた

 

「その上で越前側は退路を断たれた状況で、我々に必死に成って挑むが得策と考えられるか?」

 

 道空はそう相手を諭すのであった。

 

「ここは是非、痛み分けという事で一旦兵を引かれる事でいかがでしょうか?」

 

 道空はハッタリを述べるわけでもなく、双方が甚大な被害覚悟で挑む形が越前側にとって既に大きな賭けでしかなくなる点を強調したのだった。

 孝景もそういう言われ方をすると、ある意味今博打を打つよりも、安全にここは退けるべきかなと冷静に考え始めた。

 そばで聞いいていた宗滴も流石に勝てるかもしれないが、五分以下の博打ならばと孝景に耳打ちした。

 

 こうして道空は先ず越前側の撤退を確約させたのである。

 そしてそのまま信秀の鷺山城に赴き越前側との交渉の結果を通達した。

 信秀も流石に尾張本隊に続き、越前までも撤退すると成っては、むしろ笠松の安藤守成に大垣を急襲されては退路を断たれるどころではない事は察した。

 寧ろ信秀は多くは聞くことなく大垣に撤退する旨を道空に告げその上で休戦を全うするように求めたのだ。

 

 史実にある1544年10月に起こったとされる加納口の戦いは先ずもって休戦と言う形で幕を閉じたのである。

 されど…歴史的な記録上では1547年説または1547年に2度目の衝突があったと記される上で、この戦いは天文16年9月22日(1547年11月4日へと休戦を得て続くものとする。

 

どうも・・・ショーエイです。

ちょっと加納口の位置が最初よくわからなくて、

井ノ口の対岸を加納口と考えていたわけですが…

何と…加納という駅が岐阜駅のそばにあるでは無いですか!!

 

ある意味資料上の逆算みたいな形で軍を動かすように

この戦いの構成を考えていたのですが…

何気にこの戦い「加納口の戦い」とも「井ノ口の戦い」とも記されており、結果として岐阜駅の南方の場所が加納と呼ばれる地だと判明した後でも、この構成は寧ろ問題なく成立するものであったことに成ったわけです。

 

元々地名を勘違いしていたけど、笠松の木曽川方面の戦いにも焦点を当てていた為、むしろそこの決着が加納口にあたる事に成ってたわけです。

 

更に色々な資料と照らし合わせて、

木曽川で2、3千人がおぼれ死んだとかいうものも含めると、

この戦いの概要はこうした流れであったことが妥当と考えられます。

とにかく道三は圧倒的不利な状況を打開したのは事実な訳で、

その意味の明確な資料は実は存在もしてません。

 

想像力をフルに働かせて

リアルにその逆転劇を再現してみた訳ですが、

何気に史実の戦いは

こういうものであった感じに成ったのかなと

ちょっと満足しております。

 

その分、かなりの時間を擁しましたが・・・

 

さて次回からはいよいよ信長たまの元服への過程で話を進めます。

とりあえず加納口の第2戦目は・・・濃姫こと帰蝶との関係性へと結びつけていきます。

ちょっとフィクション的な要素も含めますが・・・

実際に信長たまはこんな感じだったという所で、

史実資料から外れない形で今後もお送りして行きたいと思います。