メタヴァースはビジネスとしてあまり魅力的でない… | ショーエイのアタックまんがーワン

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タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。

仮想現実空間ことメタヴァース。

フェイスブックがメタと社名を変えたことで

話題となっているフレーズですが…

 

モニター上のゲーム感覚で遊べる程度の空間と、

VRグラスを用いた上でSNSそのものを空間に転用するのでは、

全然感覚が異なるというものです。

 

メタヴァースはゲームだから成立する話で、

基本ゲームに飽きた人は

そのゲーム世界のメタヴェース空間には足を踏み入れなくなる。

SNSも飽きれば使わなくなる。

 

特に頭に何かをつけて作業する感覚は、

何気に不思議な疲労感を感じさせると思われるもので、

VRグラスの前には3Dが存在し、

結局は浸透する事無く廃れていきました。

 

人間は基本読書で没入感を得られるので、

高度な空間をヴァーチャルリアリティーで再現する必要性はない。

いわば脳に想像力を与えれば

十分没頭できる空間が生み出せるということです。

 

視覚的VRに入れ込んだとしても、

むしろコンテンツが脳に十分な想像力を与えるに至らなければ、

その空間は徐々に苦痛に感じてくる。

 

また普通の人は現実と仮想空間を分別して考えるため、

VRでフェラーリを所有して乗り回せたとしても、

一時的には操作性など新鮮味を感じて感動はするが、

すぐにそれが現実のものでないと割り切ってしまう。

 

それがゲームの中だとまた別なのです。

アバターやゲーム内キャラクターが

VR空間の自分であるとよく表現されますが、

実際は違います。

自分の分身であって自分ではないのです。

※中には自分の分身で考える人も居ますが…

それをある意味中2病と呼びます。

一般的な感覚は、作家が小説の主人公を生み出すのと同じで、

その主人公は作家の分身であっても、

作家の理想人物という別人なのです。

難しい表現ですが、

いわば現実世界では成り切れない自分の理想を

そこに投影している姿なのです。

ゲームの世界では実際の自分の体力は反映されず、

ある意味、超人的な自分が投影できます。

猫とは戦えても、虎とは実際に戦えない。

大半の人間はそういう意味で割り切ります。

それゆえに自分自身というよりも、

自分の生み出す創造空間の産物として育むイメージが働くのです。

いわば自分の描く小説の主人公です。

 

【なぜ自分の分身であって自分自身ではないのか?】

大抵の人はそこにIFの自分を投影するからです。

IFの自分とは…例えば女性がもし自分が男性だったらと

想像したり、

また、その逆も同じという具合に、

現実では性を転換する生き方はしたくないが、

仮想現実ではそれを想像して楽しみたい。

ところがここに自分自身ではなくなる要因が付与されるのです。

単純に言えば欲の部分で、

女性が男性を演じる場合、

無理に性的欲求を満たすような行動をとらなくて済む。

ゆえに女性が描く理想的な男性を演じることになるのです。

これが男性が男性を演じて性的欲求を投影させると、

どうしても異性に対して恋愛感情を出してしまうのです。

いわばカッコつけたりする。

ある意味これは極端な例にすぎませんが、

男性が男性を演じる場合でも、

いわば自分の小説の中の主人公を演じている

俳優という感覚になるのが正常な感覚といえます。

 

そういう感覚故に、ゲーム内の仮想現実でのアイテム…

例えばフェラーリに乗るというのは、

自分が乗るのでは無く、

その主人公に乗らせるという感覚が成立するのです。

「自分がフェラーリが好きだから、主人公にフェラーリを与えたい。」

これが自分の分身という意味で成立する部分で、

そのフェラーリに乗っているという仮想現実は、

あくまでその主人公がフェラーリに乗って感じる風を、

自分自身が想像して思い描くという感覚になるのです。

 

仮想現実を理解する上では、

この想像力部分を大事に考えないとダメなのです。

心理学であり、深層心理の部分なので、

一般的に気付いている人は少ないとは思いますが、

まずは自分とアバターの関係性を整理して眺めてみてください。

そう説明しても中々割り切れない人もいるかもしれませんが、

これが現実=仮想空間で体現できたとしても…

ある意味現実の精神的疲労を

仮想空間にも持ち込むだけの話なので、

最終的には…

「別に仮想空間でいちいちやる必要性はないんじゃない?」

「猫や犬のアバターで会議に参加すると雰囲気が?」

「だったらコスプレして会議に参加しろよ!!」

 

基本、最初の数回は新鮮味あるけど、

結局中身が変わんないとなれば・・・

いちいち時間外にも会社の人間が入れる空間作って欲しくない!!

仕事のことは仕事場だけにしてくれよ!!

 

という風潮になりかねないのです。

あるいみ「メタ」となったフェイスブックの試みは

こういう障害に遭遇すると思われます。

それに乗っかってメタヴェースを構築しようとしている企業も、

現実と仮想の区別が解っていないのでは?

と、ちょっと心配になります。

ただ、こういうのは流行と機器の価格低下次第では

一般人が上記に記した現実との分別を理解していない為、

面白がって乗っかる可能性もあるので、

必ず失敗するという予測も立ちませんが…

 

【技術的にVRグラスなどを使用する事は一世代古いものです】

仮想現実の技術を見る上では、

すでにアニメの「ソードアート・オンライン」の領域に近づいている。

VRの触覚機能を齎す機器?

ある意味、そんな研究している暇あったら、

脳波の解析やったほうが早いのでは?

そういうレベルの話です。

 

いわばドローンを脳波で動かすという技術が

中国で誕生した事実がこの意味を齎しています。

物理であり宇宙物理、量子力学が進む時代で、

脳が神経を伝って感じる電気信号または電子信号の存在は、

物理的に解析可能とみなされてます。

脳から筋肉へ体を動かす信号であり、

視覚信号、嗅覚信号など神経を伝って伝わるものは、

すべて外部から信号化して脳へ伝えることが可能となります。

脳の想像部分や思考部分の解析もいずれは

到達する技術と思われます。

 

VRグラスを掛けてゲームをするのは頭が重苦しいのと、

自分の体が動く様子が現実と仮想空間で判別つかなくなる。

以下はFPSと呼ばれる画面の視点と、TPSと呼ばれる画面の視点です。

↓FPS

自分の目線でゲーム画面全体が構成される。VRの視点はこれに近い。

 

↓TPS

三人称目線で自分のキャラクターを見ながらの視点。

 

FPSは自分がスポーツ感覚で体ごと入り込む感じの視点で、

むしろVRはこれの延長線上となる。

その分、自分の動作や体の動きを確認するには、

鏡か必要で、動画でも取ってあとで確認するくらいの方法しかない。

むしろ映画やアニメを見る感覚で自分のアクションに酔いしれたい場合はTPSの方が好ましい。

TPSの視点にするなら、むしろVRの必要性は無く、モニター画面で十分である。

 

このFPSとTPSの視点の好みは人それぞれであるが、

どちらの好みが多いかという点で市場規模を考えると、

むしろFPS視点は市場が限定されるため、

TPSのプレイヤーがあえて現実の視界が遮られる

VRグラスを装着して遊ぶ利点はほぼ皆無である。

 

また、余計な装着物を頭につけて遊ぶのも…

ヘルメットを着けてバイクどころか自動車を運転するような感じで、

ある意味、ストレスを感じる要素になる。

 

一方、次の世代の脳波を用いた技術であれば、

寝ている感覚である分、また違った意味を持つ。

いわば夢を見る感覚でゲームの世界に没頭できるのだ。

これなら寧ろ疲労回復とストレス回復が併用されて、

中毒者を生み出しそうな気もする。

そういう意味では危険な代物となるかもしれない。

 

現状VRって…エロエロ向けにしか使われていないんじゃ…

まあ、脳波の技術でそんな世界観まで再現出来たら…

多分、現実に戻ってこないのでは?

ここがメタヴァースの局地であり…

中国がこれ開発しそうな勢いだけど…

アヘン同様に、メタヴァースで沈没する落ちを予見してしまう。

 

【VR市場はむしろアミューズメントパークやゲームセンターの市場で投入するべきだった。】

VRを購入してまで家で遊ぶ気はない。

むろんそこにはソフトの関係もあるわけですが、

基本が上に記したFPSの視点になるため、

TPSでキャラクター動きも合わせて楽しみたい人には、

冷静に考えれば不要の産物である。

しかし、VRを装着して遊んでみたいという好奇心はあるといえる。

そういう意味ではゲームセンターのような場所で遊べる方が

理想的だ。

なぜこっちでVRゲームを浸透させるまた、

ゲームセンターで遊べる点をもっとPRしないのか

とても不思議です。

 

ある意味VRでジェットコースターとか…

現実の技術では不可能なソフトを作れたうえで、

ゲームセンターのような小さな店舗でも十分扱えるものとなるため、

うまくPRすればスモールスペースのアミューズメントパークとして、

活かすことはできる。

むしろ技術はそちらに向かわせた方がいい。

 

メタヴァースをビジネスモデルで

考えようとしている企業も多いようですが…

大事なのはコンテンツ=ゲーム性のある世界観なのです。

ちょっと前のシムズというゲームであり、

マインクラフトのようなコンテンツの中に

メタヴェースの世界を構築するアイデアなら別ですが…

 

↑シムズ4=こんな人生のシミュレーションをする感じのゲーム

 

↑マインクラフト

 

そういう「遊べる」をモチーフにしたコンテンツのない中で、

SNSのためだけのメタヴァースでは、

正直失敗するのが落ちです。

 

なぜか…ゲームで構成する方に乗っ取られるからです。

 

現状ではサーバーとクライアント、回線等の問題で、

中々SNS規模の大人数=何十億人という規模を受け入れるだけの

ゲームシステムを構築するのは難しいといえます。

技術的な問題よりも、予算的な問題が大きい。

運営する予算も半端なく掛かり、

どれだけのサーバー=消費者を受け入れるメモリーを構築し、

膨大なメモリー機器を運営するための

人権コストと技術コストが掛かるのかということですです。

そのうえで回線が込み合わないように交通整理をする。

まずこの何百万ではなく、何十億人規模で運営できる

ゲームシステムが構築できて、

初めてフェイスブックやTwitter規模の

メタヴェース空間が生まれるわけです。

もう既にそんなものが存在していたのなら…

はっきり言って何を頑張っても難しいともいえるレベルです。

なぜなら…それだけ人を魅了するゲームコンテンツが

そう簡単に生み出せるのかという話からのスタートだからです。

 

あえて言おう!!

メタヴァースをなめんなよ!!