【修正版】
どうも・・・ショーエイです。
1月は本編更新が中々進められていなかった訳ですが、
何ともオッサン先生が研究の為、
安土城の再現に没頭していたからなのです。
桶狭間までの予定なのに何故安土城に走ったのか?
3Dで当時の那古野周辺を表現しておこうかと思った矢先に、
勝手ながらライバルの「麒麟が来る」の進行状況を見て、
安土城再現に変更したとか…
気まぐれもほどほどにしてほしいのですが…
その作品が、
「麒麟が来る」でCG出される前に、作ってやろうという気構えで挑んでいたらしい…
本末転倒で趣味に走ったアホです。
精密な地図を見つけるのと、そこまで今のところ時間も掛けられないので、本丸以外はおおよそのイメージです。
では…本丸は?
屏風画を参考に、更には
こうした資料を参考にかなり忠実に再現した感じです。
【信長廟は信長の御所、天守閣北側には堀の構想が!!】
こうして宿敵ミッチーが主人公の「麒麟が来る」を勝手に意識して
頑張った訳ですが…
それを作りながら安土城の本質が見えてきたようです。
↑信長廟とされる場所と図の天守閣の上(北)から右(東)の天守閣入口までの空間。
↑屏風画の渡りが付いている部分にも注目してください。
↑現存する石垣の調査資料と思われる図でも、石垣が崩れた感じ?
この3点からこの部分は堀を作る構想が見えてきたみたい。
「麒麟が来る」で表現された240畳の大広間・・・
恐らくその規模までとは言わないが、
それに近い場所は信長廟とされる本邸に有ったと推測します。
その本邸…
構想上では赤い屋根と赤い柱を用いて、周りに水を敷き、
まるで厳島神社を連想させる作りにしたと、
オッサン先生は考えた。
寧ろ信長たまは実際の厳島神社が毛利の手中にある為、
実物を見てはいないが、絵巻や談話を通じて、
その想像力をここにブチ込んだとも考えられる。
ちょっとサイズは大きく成り過ぎたが、
本邸の構想は↓の絵の通り。
ところが…作ってみて問題が…
オッサン先生も想像力のまま作ったはいいが、
「これ水源どうするの?」
という指摘に…
「雨水じゃ!!」
と、信長たまに成りきって言い放つ…
でも、流石にそれ…無理がある点に気づいた。
恐らく狩野永徳や森蘭丸との会話でも同じことがあったと想定し、
信長たまは…
「成らば敷石で水を表現せよ!!」
と我がまま言い出した可能性まで見えてきたわけです。
多分、梅雨時の雨がよく降る時期は、
堀が誕生して、
敷石で埋められた状態で
かなり美しい世界観が誕生した可能性は有ります。
清水の舞台のような建物を設けて、
天守閣から流れる滝が眺められる構想だったと考えます。
まあ、結局梅雨の時期にこの景色が眺められたかは不明ですが、
「時は今、雨滴る五月かな」
でミッチーが謀叛を起こしたため、
信長たまがこの景色を眺める事は無かったと言えます。
それ故に実際そういう記録も存在しなかったのかも。
ただし、実際に雨水が溜まりやすく
土塁が崩壊しやすい状態だった故に
廃城後、石垣が崩れて
現在の状態に成った可能性は大いにあると言えます。
【城塞としては致命的な欠点があった】
ハッキリ言って孔明が大軍で安土を囲めば、3日で落ちる。
ご覧の通り、一見天然の要塞です。
一部の歴史家は城塞としてトリッキーな形が見られない為、
弱い城だとし、安土は単なる象徴的な城だったと言います。
単なる象徴的な城であった点は否定しませんが、
弱い城という点では寧ろ外れです。
寧ろこれだけの山城なら無駄にトリッキーな罠を用いる必要性は無く、
逆に形はシンプルに上から下へ攻撃できる方が守りやすい。
一応、天守閣から城下町へ向けて南側一方向に城郭が組まれており、その他は断崖絶壁で水に囲まれており、
敵が攻め寄せる場所は上から瞬時に把握できる構造です。
例え城郭の無い場所から攻撃を仕掛けようにも、
水を渡る際に隠れようが無く、
結果、動きを見切って兵を配置できるのです。
実はヒントは既に出しているので、
気付く人は既にお気付きと思われる話ですが、
致命的な弱点が安土城には有ります。
先ず、これだけの山城を下から登って攻め込むには、
兵士の体力が相当要ります。
登るだけで相当疲労する構造なので、
登った先でどれだけの体力馬鹿でも、息切れするでしょう。
それ故に三国志の馬謖なら無双の城と称えたかも知れません。
しかし、安土城の形状はその馬謖が絶賛した形状にそっくりで、
同じ欠点を秘めていたのです。
いわば…山頂に水源が確保できない。
信長たまが雨水で堀に水を溜めたかったのも
実はこの備えでも有るのですが、
コンクリートで堀を囲わない限り、
雨水は土塁に沁み込んでいくだけなのです。
雨期時に雨水がその土塁を濡らして、
一時的な水膜を持てば水は溜まる構図には成ります。
でもその水膜が剥がれると地面に水は吸収されるのです。
実際に安土城本丸周辺に井戸が掘れたかどうかも謎です。
井戸が掘れて水脈に当たればラッキーだったという感じで、
雨水を桶に貯め込んで使っていたか、
城下から水を運んでいたかの感じだった可能性は考えられます。
故に、南の城下を封鎖されると致命的に成ります。
周りが水で囲まれているから大丈夫?
城で守るのとの逆手で、
水をそこに汲みに来れば逆に丸見えで、
大軍で四方を囲めば、城内の水の確保は難しくなる。
ただし!!
南の城下を押さえない限りこの包囲は難しい。
ここが馬謖と信長たまの違い。
うつけの兵法の如く、
こんな場所に城を作るのは正に「うつけ」なる所業。
しかし、その弱点を知って放置する事は有りません。
実は安土城の直ぐ南に、
それまで南近江の拠点であった観音寺城が存在します。
信長たまはあえてこの城を廃城とせずに、
実は安土南の要として残しているのです。
よってこの観音寺城を攻略せねば、
安土は落とせぬという構図があったと言えます。
逆にこの観音寺城が落ちれば、
安土は3日と持たずに落ちるのも事実です。
よってこの観音寺城とのセットなら、
入口の弱点が2つの山城より挟まれる為、
周囲を入り江にお囲まれた分、
敵は背水の陣で安土を攻めねば成らなかったと言えるのです。
と、一応は守れるという形にはしていたが、
安土を囲まれる時は自身の終わりとも言える状態なので、
結局、守りより自身のアート性をこの城に求めただけなのが
その実態だった感じです。
「うつけの兵法」の最初の段階で語った極楽の世界。
「天空の城」というイメージでマッチングしたのがこの安土だった。
入り江に囲まれた山。
この景色、唐や明の絵巻で見た
荘厳な世界を生み出したかっただけ。
結果、水に悩まされる事に後で気づいた。
それ故に仕方なしに観音寺城は廃城にせず活かした。
天才的なアートを目指す故に、
戦略的にお馬鹿な構図になった城・・・
それが安土城なのです!!
うつけ者故になせる業で、
天才ゆえにそれでも何気に機能はさせる。
馬鹿と天才は紙一重とは、
合理的にここ囲まれたら終わりなのだから…
芸術爆発させて派手に演出させちゃえ!!
という発想で割り切れちゃう所なのかな?
城下町から登った景色
天空に浮かぶ城塞
八角平からの景色。
北側に描いた信長の構図(想像)
実際東京タワーと比較するとこんな感じの城になる。
ある意味、こんなの作るのに1月ほぼ費やした…
どうせなら那古野作れよって突っ込まれそう…
まあ、城郭、屋敷のパーツは出来てるから、
那古野のイメージはすぐ作れるんだとか何とか…
本編 「うつけの兵法」の構想で、
治水事業と言うどうでも良さそうな伏線を
どう面白く持って行くかで悩んでいたのも事実だそうです。
だったら治水なんてさっさと通り過ぎれば良いじゃん。
と、指摘したら…
信長が土木工事に興味を持つのに大事な部分で、
更に農民に寄り添う発想の起点になるからという事です。
実はこれなくして信長が信長としての治世を齎す
辻褄が合わなくなるそうです。
ゲームの治水工事ならワンクリックで出来るし、
農地拡大=善政という感じで遊べるけど…
リアリティはそんなに簡単では無いようです。
良い感じの構想が出来た様なので、
また直ぐ更新するので、
是非、お待ちください。
【追加】
因みに、安土城の天守閣のデザインは狩野永徳のもので、
信長たまは宣教師の芸術に対するヨーロッパ思想に感化されて、
芸術を世に残す意味で安土城を作ったとも考えられます。
現在、グーグルマップで城郭の新たな形が発覚したため、
更にこの修正版を数時間後付け加えます。
実は観音寺城と安土城は繋がっていった点が見つかったので、
修復後、よりリアルな形に近い安土城をお届けするそうです。
と…はいえ何とGoogleマップで山の形状確認したら、
全然違ってた…標高も300mと思ったら199m
これでは納得いかないという事で作り直しだそうです。