どうも…ショーエイです。
自粛延長に成った様ですが、
時間を潰すのに「思考力UP」という意味で、
簡単そうで難しい事を思考してみると、
考えているだけで時間はあっという間に消化されます。
まあ、作品を作ったり、ゲームに没頭したりと
人それぞれですが、
何かを創作したり集中していると、
時間はあっという間に…
寧ろ足らないくらいに成ってきます。
そういう作業以外で色々考えたり、
その考えに沿って観察してみると、
色んな発見や実感に遭遇して、
時間を楽しめるという方法をお教えします。
では、簡単そうで難しい思考力UP
【ネコと会話する】
ネコと会話するって、
意外と簡単そうで、実は難しい話です。
ある意味、赤ん坊を育てた経験のある、
お母さま方なら理解しやすいのかなとは言えます。
ネコを飼っている人は、
既にネコと会話できると思っているでしょうが、
会話できるとして、
ネコがどう理解できるかを
これ読みながら思考して見て下さい。
〈人は考える時に言葉が脳裏に浮かぶ〉
先ず、疑問に思う事は、
ネコが人の言葉を理解できているのか?
理解できると信じている人も、
信じていない人も、
思考のメカニズムを先ず考えていきましょう。
思考するとき言葉が脳裏に浮かんで、
その言葉で思考を構成するのが、
言語を使いこなす人の特性です。
何かを頭で考える時、
日本人なら全てが日本語で思考を構成してます。
例えば「今日何しようかな?」
と、そういう言葉を脳裏に過らせて、
自分の意識に「暇つぶしを探す」
という信号を送っているのです。
逆に英語圏の人だと同じ「暇つぶしの信号」を
英語で考える訳です。
ではネコは?
ある意味、言語を持たないネコ、
ここでは野生のネコとしておきますが、
「お腹減った」「眠い」という言葉の思考は無いと考えます。
いわば「空腹」→「狩り」
というライオンをモデルに考えると、
空腹を感じた時、
「お腹減った」という言葉は省かれます。
もし思考をすると想定した場合、
空腹を感じた瞬間、
ヴィジョンイメージ=狩りをするイメージが
脳裏に浮かぶのではと・・・
類似した現象としては
人間の場合はこれ情報を得たときに発生するもので、
テレビなどで美味しそうな料理を見た時、
「食べたい」と感じる状態に似ています。
いわばヴィジョンイメージの
「美味しそうな料理」が食欲を刺激する感じで、
ここで「食べたい」という言葉で
思考してしまうと、また異なります。
ここで思考力UPの修行
自分自身を良く見つめて、
「言語思考」している自分を先ず理解して、
「言語思考」を省いた行動を試みる。
これ意外と簡単そうで難しい。
いわば言葉を過らせずに
行動してみるという修行です。
仏教でも、
実はキリスト教でもイスラム教でもある話なのですが、
無心を会得する高度な修行です。
ただ、宗教での修行だと、
やたら悟りを開くまでの果てしない修練で語られますが、
科学的な言い方で説明すれば、
条件反射がこれを意味します。
いわば倒れる瞬間、
無意識に手が前に出てしまうというものが、
「思考を省いた行動」に成るのです。
まあ、簡単そうで人間としては
考える=思考すればするほど
どうしても言葉が脳裏を過る訳ですが、
自分の行動を何気に観察してみて下さい。
無意識のうちに近くのコーヒーを飲んでたりする。
チョコレートなどおやつとして置いておいたものが
あっという間に減っている。
この自己観察を何気に心がけると、
ネコの境地が理解できるのではと言えます。
ネコと会話する際・・・
ネコはヴィジョンイメージで会話すると考えて下さい。
赤ん坊に言葉を教えていくように、
実はヴィジョンイメージと条件反射の構成で、
行動基準という言語に似た情報を
コミュニケーションツールにする方が良いです。
賢いネコは音でも条件反射を起こします。
ウチのタマ先生は、
朝のアラーム音=食事というイメージで、
アラーム音に合わせて
飼い主を起こしに来ます。
特にオッサン先生の寝ている顔の前で、
「ニャ」と鳴いて「飯出せ、こりゃ!!」
と、要求してきます。
高い所で寝ていて、
ずっこけ落ちした際、
飼い主が側にいると、
「見たな」と言わんばかりに睨め着けます。
でも、「見たな」という言語が過るのは
飼い主の思考で、
ネコはその言葉が有りません。
羞恥心から飼い主を見たのか、
それとも条件反射で不意を突かれて襲われるか、
それを確認した意味の「見たな」なのかを、
少し考えて見るとネコの思考レベルは見えてきます。
人間の言語で考えると、
ネコに対しては全て妄想に成りかねないのも事実です。
条件反射という形でネコの行動を見つめ直すと、
偶にこれは条件反射では無い行動と思うん部分も見えてきます。
例えば熱い出来立ての唐揚げをネコにあげた際、
最初は中々熱くて食べられずに、
食べれるようになるまで何度か挑戦します。
※イジメではなく、食事中の猫のおねだりが鬱陶しいから、
時間差を与える意味でやってます。
ところが何度かそうやっていると、
今度は床で転がして冷ます方法を何故か会得するのです。
ヴィジョンイメージ内の思考と、
何度か挑戦しながら温度の変化を
イメージできるようになったのか、
そういう思考と発見は猫も出来る様です。
〈プログラミング同様に猫の思考を読み解く〉
実はネコは色々と考えたり、発見したりする学習性が有り、
下手したら何かを伝えようとする意志まであるのです。
例えば好きな食べ物、嫌いな食べ物の意思表示。
一部では、砂掛け行動(食べ物に砂を掛ける仕草)は
ネコ科の習性で美味しいから取っておく意味としています。
どう考えても「嫌いだから残す」という感じが
イメージに働きます。
実は後者のイメージの方が正しいと当方は分析しております。
何故?
学習性の意味から、誰がその行動のイメージを教えたのか?
人間が拳を握って腕に力を込めるポーズ。
この二つのポーズの様な感じですが、
これ例えばの話、
宇宙人が人間の性質を人間がネコを見るように分析すると、
「人間は喜んでいるときにこのポーズをとる習性がある」
なんてこと言いそうです。
ところが・・・
こちらはイラストしか有りませんでしたが、
怒りの時もおなじポーズをします。
ごく自然な発生のポーズで言えば「怒り」のほうが近いかな。
むしろ前者の「喜び」は、
テレビやスポーツからの学習で得たもののように思えます。
ほぼこれらは世界共通のボディランゲージに成る為、
人間が教えられずとも体で表現してしまう現象。
人間の場合、表情なども近いのか?
次に、貴方が言語の違う相手と遭遇した際、
ボディランゲージで意思を表現する方法が
一番のコミュニケーションツールに成ります。
ネコにこうした思考が有るか無いかで、
習性かコミュニケーション手段かの判断も分かれます。
ここで思考力UPのポイント。
子育てもそうですが、
外からの情報は全て可能性の話で、
それを真に受けてはいけません。
大事なのはその子の習性を見極める事です。
勉強が好きな子供=勉強に興味を持つ子供は、
何しても勝手に勉強します。
逆に勉強に興味のない子は、何しても勉強しません。
日本の教育では残念な事に、
この自主性は無視され、
興味なくとも勉強させられます。
よって天才は潰されるのも事実なのですが、
まあ、教育問題はここまで。
ネコに関してくらいは自主性を尊重して考えてあげましょう。
上記の様に外部の情報では、
砂掛け行動
「これを餌に掛ける仕草は、その餌が美味しい」
という分析結果が有ります。
動物の習性としては、
人間が怒りを感じた際に
「ガッツポーズ」に似た威嚇ポーズをするのと同じ意味です。
では、トイレをした際になぜネコは誰からも教わらず、
自然と砂を掛ける行動に出るのか?
まず外敵から自分の臭いの痕跡を隠すためなどの
可能性が研究で示されてますが、
母ネコに育てられた場合、
母ネコの習性を学習したという過程が有力で、
そうで無い場合、
臭いが臭いから、砂を掛けて臭いを消す方法を
勝手に学んだと考えられます。
まあ、オッサン先生は以前ネコに怒られた事があるそうで、
面倒でネコのトイレを掃除し成ったら、
ネコが怒ってオッサンの膝におしっこ引っ掛けた事が有るそうです。
それ以前に自分のトイレで普段はするのに、
トイレが臭いとトイレ以外の場所でトイレして、
アピールしていた形跡が有ったかな。
その都度、猫を怒っていたが、
その猫がどうやら怒り爆発させて、
怒られた後、猫なで声甘えて見せて、
いつものように膝に乗せた瞬間、
オシッコして逃げてったそうです。
これってネコは一生懸命意思表示をしようとした行動だよね。
このネコの行動から、
ネコは猫なりに人間とコミュニケーションを取る方法を
模索しているようで、
その猫と良く見つめ合って、
その猫が何を伝えようとしているか
よく考えてあげなければと言えます。
まあ、オシッコぶっかけ事件同様に、
強烈な自分のトイレの臭いは嫌いみたいで、
それを消臭するために砂掛けする方法を
自然と思いつく可能性も考えられます。
よって餌に掛ける仕草は好きだからというのは、
ネコの個性の中で可能性としては有るが、
全てのネコに該当するのは無いですと言いきります。
〈ネコと向き合う姿勢(子供も同じ)〉
自分のネコがあげた餌を全部食べ切る姿勢か、
ほどほどに残す感じかをよく理解して観察してみて下さい。
全部食べ切るネコが、残すのは先ず食欲が沸かないケースです。
上のオシッコ事件のネコは、
全部食べ切るのが特徴で、
砂掛けする餌は残します。
ある意味人間の流儀や素養のアピールで、
食べ物を残すのがエチケット(フレンチスタイル)なんてのは、
教養過程で発生した慣習で、
人間が社会的な素養をアピールして、
動物的には他を威嚇(人間的には圧倒する)するための
現象です。
ある意味、猫は弱肉強食の社会で
素養なんてのは余り求められないわけで、
餌を残す理由がない状況で
餌を残すケースは満足していないと考えてあげる方が、
ごく自然な見方と言えます。
無論、子猫がいる場合、伴侶が居る場合、
その状況しだいで、猫のアピールも異なると言えます。
ネコの好き嫌いは寧ろその食べっぷりで判断するべき。
いわば残す=食べっぷりが悪いで砂掛けする場合、
臭いが嫌い=不味いという観測の方が適切と言えます。
そうやって色々見つめているうちに、
次第にネコと意思疎通が出来る事もあるのです。
言語で考えるというのは、
いわば情報に惑わされたり、
勝手な妄想で判断したりという
自然との意思疎通を阻害している要素と言えます。
実はこのネコとの会話術が学べれば、
言語の違う外国人との意思疎通の取り方も、
ボディーランゲージや今ではGoogle Translatorを
使うなどして
コミュニケーションを一生懸命取ろうとする姿勢を
学べるのです。
更には相手の深層心理を見抜く力にも役立てます。
ネコから始める事も、
その効力は
いずれはニュータイプに近づく修行とでも
言っておきましょう。
さてさて思考力UPで話した条件反射、
ヴィジョンイメージのトレーニング。
これスポーツ的な意味では極のトレーニングです。
肉体的には筋トレですが、
精神的には「言語カット」=反射トレーニングです。
コンピュータの話同様に、
思考して余計な回路を使うと、
それだけ反応速度が送れる。
ある意味、野球で
「ボールが来た」「カーブか!!」
と考えるだけ、
僅かに反応が遅れてしまうという事。
プロレベルに成ると、
多分、カーブというヴィジョンイメージから、
条件反射でどこに振るか
体が自然に動く状態に成っていると思えますが、
そこはヴィジョンイメージをどれだけ想定しているかで、
プロの中でも差異が生じるといえます。
言語を省いて、イメージだけでする野生のトレーニング、
ネコたち動物の世界観を知る意味で
チャレンジしてみると面白いです。
ただ、チャレンジしようとして考えると、
どうしても人間、言語が頭をよぎります。
でも、条件反射や無意識な行動を、
自分なりに自分を観察すると、
それなりに自分を見つめ直すトレーニングにも
成る訳です。
意外と敷居の高そうな精神修行、
自分の無意識な行動を探る事から始めると、
結構入りやすいのかも知れません。
今日は愚痴らず良い事言ったぞ!!