どうも・・・ショーエイです。
先ず、タイトルの結論から。
日本の負け。
これが日韓請求権協定の原文です↓
日本は日韓請求権協定の第二条1に記載された
「完全かつ最終的に解決されたことを確認する。」
という文言で全てが終了したと主張してますが、
問題は第二条3に書かれた項目で、
「同日(署名日)以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もできいものとする。」
という文脈で、
事由とは何を差して直接、理由、原因となる事実とするかに成る訳です。
日本政府が徴用工が強制労働であったとする事実であり、慰安婦問題の発生を認めなかった場合、事実として認定していない事と成ります。
ただし、事実として認定すれば、同日以前に生じた事由に該当する訳ですが、日本政府が事実として認めてない以上、日韓請求権協定の項目から外れた紛争に成る訳です。
現状でも日本側は事実として認める状態は無いどころか、
日本の首相は
「当時の日本政府による徴用で発生したものだから・・・」
といった言い分まで述べています。
敗戦した時点で、日本国籍外の人たちは占領下で従属させられた、いわば強制的に日本の制度の従わされた人々と言う扱いが、人権を尊重した扱いで、
いわば、「彼らは日本の統治下に有ったから日本人だ!!」
というのは韓国人であり、その他の国々の人の人種的独立意思を侵害する行為であり、国連憲章のみならず日本国憲法13条においても幸福の自由の意味で慎まなければ成らないものです。
よって本来は彼らの心情を察して当時の日本政府は不当な行為を犯した点を事由として認め、日本国民にそれを認知させる義務があると言えます。
【何故、認知させる義務なのか】
結局は認知させる義務を怠った故に、戦後生まれの現・日本国首相の様な戦争被害者に対して配慮も節操も持たない人物が出てくる訳で、
結果、両国間の関係を複雑に拗らせてしまうのです。
また戦争の恐ろしさを後世に伝える上でも、被害国となった人々の辛い心情は、加害国である日本も誠実に理解すべき事でも有るのです。
そしてそれが日本人としてのケジメに成るのです。
※戦争に対するケジメを付けない姿勢は日本人として情けない!!
【日本政府が事由として認める主張をしないから…】
第二条3に於ける解釈では、
1・日韓請求権協定は両国間の協定であり、両国間で事由として認めたものが対象に成ると言えます。
よって韓国側が事由として主張しても、日本側が事由として認めないものは日韓請求権協定で締結された事由に含まれないという主張が出来ます。
2・「同日(署名日)以前に生じた事由に基づくものに関しては、いかなる主張もできいものとする。」とあり、署名日=締結日以前に生じた事由に「基づくもの」に限定され、署名日以前に事由として認められなかったものに関しては、署名日以前に「事由に基づくもの」から外れた項目となる点が主張でき、日韓請求権協定に元々含まれていない事件として扱えます。
扱えるとした意味は、日本が署名日以前の事由であるという主張も言葉上に含まれる為で、その言葉の曖昧な表現が紛争(論争)になるという点で言えます。
ただ、1で言う意味合いも関係してくる為、
第3条の
「この協定における解釈および実施に関する両締約間の紛争は、まず外交上の経路を通じて解決するものとする。」
に掛かって来ることと成りますが、
既に説明した通り、論理上、
1で記した意味で日本が事由として明確に認知していなかった、また現首相が徴用工に対する被害を当時の日本国政府の強制力が働いた意味を差し置いて義務であった為、事件として認めなかった点で、被害者の人権に対する配慮不備で心証を害する形となり、
更に2で説明した、解釈の部分で韓国側の解釈も正しく成る為、1に於ける心証が考慮されて韓国側の言い分に正当性が認められるのが公平かつ人道的な判断と言えます。
よって日本がどの道負ける話です。
因みに約定文に記載された「全ての」はあくまで約定内で取り決めた範疇の話でしか無く、それ以外は「全て」から除外されます。
これも「扱えます」という意味で言える解釈の分岐に該当するモノで、「全て」はあらゆる全部という主張も、約定内に記された中での「全て」でしかないという主張も通じる意味を持つからです。
日本人は正解が一つと勘違いしがちですが、どちらが正解という訳では無く、正解を導き出す場合、どちらの解釈がより戦争被害者に対して人道的な配慮が齎せるかで判断されます。
よって敗戦で戦争加害者として日本が扱われる以上、
日本の主張は自然弱くなるというだけです。
まあ、余計なとばっちりを受けて
面倒な訴訟に巻き込まれた企業には
大変申し訳ないが、
日本政府がアホな事を悔やんでください。
仮に損害賠償を払う羽目になった場合、
その被害を日本政府に押し付ける事は可能です。
ただ、問題はアホ政権と外務省な訳で、
自民党と外務省もしくは担当した外務省職員に限定して
裁判をして頂くと日本国民としては有難いのですが、
国を訴えられると、国税からの賠償に成るので、
何故東條如きの失態で未だに
そんな損失を受けなければ成らないのか
という不満に成る感じです。
まあ、実際に締約文を確認して何が争点なのか検証した結果…
どの道、徴用工問題にしても慰安婦問題にしても、
認めて歴史としてきちんと伝えておくべき事だった訳です。
そうすれば日本の戦前の問題は全て完結していた話で、
あんな腐れた日本国時代と決別できた話なのです。
ある意味当時の昭和天皇の写真を焼き捨てる作品の意味は、
昭和天皇が現人神と崇められた、
そういう時代との決別の象徴とも捉えられる表現で、
有りといえば有りと感じるモノです。
とは言え、当時の日本のやった事なんて
今の日本には関係のない事で、
あの連中がやらかした行為を
どうして庇う必要性が有るのか不思議です。
寧ろあいつらはアホだったと切り捨てても、
今の日本にとっては何のデメリットも無いと思うのですが…
むしろメリットが大きく、
逆に庇う方がデメリットしか発生しない。