どうも…ショーエイです。
いよいよクリスマスシーズン到来ですが・・・
クリスマスって…キリストの誕生日なんだよね。
どうしてキリスト教徒でもないのに日本人はクリスマスで盛り上がるの?
恐らく外国の方で不思議に感じる人も居るのだろうと思いますが、
これは日本人の良いところとして紹介します。
基本、日本人の大半が宗教に無関心であると言えますが、
それ故に様々な宗教にたいして寛容に成れるのです。
そういう意味で日本人のこうした感性は世界中で理解してもらっても良いかと思います。
その一例にクリスマスを上げると・・・
キリスト教を信仰しているわけでは無いが、
イエス・キリストを歴史上に残る一人の偉大な人物として見る感じで、
その誕生日を世界的なイベント用の記念日として扱う。
イスラム教徒の人からすればクリスマスは他宗教の行事に考えてしまうが、
日本人の感覚では単なる歴史上の偉人が生まれた日で、
別にキリストの誕生をお祝いする日では無いという感覚。
ただ、キリスト教の国と同じような盛り上がりで、
グローバルイベントに参加するという感覚で成立している感じです。
これは正月の初詣も同じ感覚で、
仏教、信教関係なく伝統的なイベント故に盛り上がる日に成っているのです。
他民族化しつつある今日の世界で、
こうした日本人的な感覚で各宗教イベントを捉えるのは大事なのではと思います。
正直、如何なる宗教も本人がその根本的な(哲学上の)教えに殉じていれば、
他宗教のイベントは気にしない方が良いのではという考えにも成ります。
いわばクリスマスに参加したからといって、
キリストを崇拝したと言う意味に捉えず、
歴史上のある種哲学者として偉大な人物となったキリストをお祝いする祭りに、
文化的な後学として参加した感覚であれば良いと思うのです。
無論、逆に従順なキリスト教徒の人からすれば、
アメリカで学校のクリスマス行事を他宗教の子供に配慮して、
クリスマスイベントを中止する決断をしたことで、
問題に成ったというニュースが有りました。
確かにイスラム教徒の子供は参加しずらい点などを考慮すれば、
それはそれで有りという見方も有ります。
ただ、前述でも言った様に
そういう行事を宗教的な意味で扱わず、
教育上はイエス・キリストを歴史上の偉人として扱い、
クリスマスはその偉人の誕生日を祝う日に過ぎないと
国として認識する方へ向かうのが望ましいと思います。
勿論、イスラム教の偉人を祝う日も同様に考える事が出来れば、
人々はより寛容に多くの人の文化、伝統にふれあい、
相互に相手の考えが伝わりやすく成るのではと思います。
彼らが偉大な「神」の存在を考える上で、
その偉大な「神」の存在が争いや分裂を招く事態を敢えて望むと思うか?
それとも争いを無くす事を望むか…
根本的な真意を考え直して
其々でもっと信仰に対して知恵を絞ってほしいモノです。
そうして考えてもらった上で
日本人の宗教に対する無関心さは
寧ろ、全ての宗教に対する寛容さとして
認識してもらえればと思います。