
どうも・・・ショーエイです。
ホンマでっかTVを見ていた時、脳科学者(評論家)の澤口先生が
「嘘をつけるのは賢い奴」という事を言っていましたが…
まあ、実際はその嘘の質によるという事を付け足すべきかなと思います。
嘘と言うのは、実際は悪質なイメージが有ります。
勿論、その悪質なイメージの嘘は質が悪いという事です。
???
何を言いたいのか不思議に感じる事と思います。
さて、ここで面白いのが時代劇でお馴染みの
水戸黄門であり、暴れん坊将軍を思い浮かべて下さい。
水戸黄門は自分を越後の薬売りとしてます。
暴れん坊将軍は自分を遊び人の徳田新之助としています。
これもある意味設定上は嘘を偽っている訳です。
実は質の良い嘘と言うのは、
その嘘がバレた時に相手に更なる衝撃を与える嘘です。
いわば「能ある鷹は爪を隠す」の意味に近いモノと言えます。
逆に一般的につく嘘は、
質の悪い方で
バレた際に自分を苦境に追いやる嘘に成る訳です。
確かにそれでも騙し切れば賢く見えるかも知れません。
でも、騙し切れる相手ならという事を知らない人が多いのも事実です。
今回、おっさん先生は友人の刑事裁判で
証言台に立って答弁した訳ですが・・・
裁判の鼻っから、友人が無理な嘘で固めている為
すでに検察も裁判官も呆れている状況にあった訳です。
更には担当の国選弁護士ですら対応に困っていた感もあったのです。
正直な見立てとしては情状酌量を勝ち取って、
執行猶予処分を勝ち取る事は出来た訳で、
オッサンは答弁で友人に事実関係をしっかりと整理して
裁判の場で改めて認めるべき事実は認める様に促したのですが…
※証言台で立った人間がこれをやるにはある種のテクニックが要ります。
普通はその流れを証言台で作るのは難しいので
大げさな嘘と捉えてもらっても構いません。(主題にそって注を入れます。)
結局、自分が警察と検察に供述した内容を突き通した為、
辻褄の合わない内容で裁判を終える形と成りました。
判決は後日出ますが、
恐らくは…懲役でしょうね…
嘘を当然のモノとして扱う職種・・・
裁判官や検察官または弁護士に
いくら自分の本心は誰にも解らないからと言って、
辻褄の合わない話をすれば
その内容に信ぴょう性は生じません。
いわば素人が小説を書いても内容が滅茶苦茶に成るのと同じです。
まあ、例えるのなら・・・
下戸(ゲコ)のくせに
酒を盗んで酒を飲んで忘れようとしたなんて話は通らないでしょう。
ましてや証拠として酒(高級酒)を転売していた事実が出てるのに、
今回は売るつもりは有りませんでした…
ここまでくるとバカとしか言いようがない話に成ってきます。
情状酌量を勝ち取るのに
自分の犯行動機を少しでも軽く見せる。
いわば転売して利益を得る目的では無く、
衝動的な犯行でしたと主張したかったのでしょうが、
そもそもそこに辻褄が合わなければ
嘘で固めて反省していない様にしか見えなく成ります。
逆に「生活苦に追い込まれて、生きるためにやむを得ずやりました」
とすれば実際は情状酌量を考慮する材料に成ったと言えます。
一般の人にとっては犯罪は犯罪なので
何が違うのか解らないかも知れませんが、
ポイントは…
社会に出た際に再犯の可能性は有るか無いかに成る訳です。
いわば辻褄の合わない嘘で固めたまま
人は騙せるという状態で社会に出してしまった場合、
また同じことで騙せると思い再犯を犯す。
逆に素直に認めて反省した上で、
人は騙せないという事を認識したのなら、
再犯を犯す衝動にかられた際、
自制を促す心理効果が見込まれます。
こうした点を考慮して情状酌量として認めるか否かの
材料となる訳です。
そこで執行猶予という話で懲役を一時的に免除して
社会活動に再チャレンジできる機会を与えるか否かが、
その犯罪に対する処罰の量刑となる訳です。
さて・・・この呆れた嘘と同じ様な嘘で固めている政治家が居ますよね…
実際に専門的な有識者からすれば明らかなデタラメなのに、
日本国民は何故これを駆除しないのか?
まさか、アホを支持している人たちは
この程度の嘘つきが世界を出し抜く策略家の資質の様に
勘違いしているのでしょうか?
ハッキリ言って嘘で自滅した人間と同レベルでしかないのにね…
では・・・有名な策略家として語られる諸葛亮孔明の話をします。
実は孔明の策略は、嘘は用いないのがそのテクニックです。
これは史実の証言でもある様に、
孔明は奇策を用いないという風に書かれております。
奇策とは・・・嘘で相手を出し抜く策の意味に成る訳ですが…
孔明は前述にも説明したように、
嘘がバレた時のリスクを嫌ったのではと言えます。
いわば嘘である奇策の方を見抜かれた際に、
そこから生じる被害は甚大なものに成るからです。
???
じゃあ、嘘を用いないとはどういう策略?
時代劇の設定と同じ嘘を用います。
いわば…サプライズの方に嘘を仕掛けて、
相手がそのサプライズに入り込むように仕向けて行くのです。
???
例えるなら空城の計・・・
三国志演技では兵隊を故郷に帰して殆ど残って居なかった城の門を開き、
敵を警戒させて追い返したという記述に成ります。
実際にこれでは質の悪い方の嘘に成ってしまいます。
もし相手が騙されなかったら・・・
その策で孔明は命を失う愚か者に成った訳です。
では、質の良い嘘としてこの策が為された場合は・・・
勿論、相手が警戒した通りの結末を用意していたという話です。
いわば兵隊との約束を守って帰しちゃった事実を逆利用して、
城一つ油まみれにして焼き尽くすつもりで誘っていた。
仮に敵が侵入すれば、敵に大打撃を与える代わりに、
城・・・いわば前線の拠点一つ失う事に成る。
できれば今後の為にこの拠点は活かしておきたい。
故に、相手の判断に委ねて、
空城の計として誘い込んだ訳です。
こう説明すると…
敵が侵入してきたら拠点が一個潰れちゃうけど
まあ、仕方ないわな・・・
的な感覚で、
相手が警戒して去ってくれれば、
油まみれにしたものは復旧は可能な訳で、
拠点としての機能をそのまま残せるならラッキー
的な感覚の策に成る訳です。
ある意味・・・孔明先生の場合…
嘘だと思ったら殺すよ…的なやり方なのです…
同じ策士でも
質の悪い嘘を巡らす策略家と、
質の良い嘘・・・
嘘と言うより嘘と思わせる演出を巧みに操る策略家と、
どっちが敵にして怖いか想像してみて下さい。
ただ、残念な事に政治的な話では
ヒトラーや大日本帝国時代の政府の様に
質の悪い嘘でも国民を騙して利用出来てしまうのも事実で、
その民意の質に依存せざるを得ない事は嘆かわしい話です。
まあ、嘘を突き通すまたは嘘に対して白を突き通す・・・
そういう人間は基本信用するべきでは無いと言っておきますが、
この国ではそういう人間が多すぎて、
低俗なレベルで認め合っているのかも知れません。
逆に嘘のつけない奴はバカだと言わんばかりの話もある訳ですが・・・
まあどの嘘も見え見えでバレバレの嘘ばかりなので、
それで誤魔化し切れてると勘違いされてもね…
ある意味戦争にでもなれば、
その低俗な嘘で国民は再び大惨事に巻き込まれて、
再び苦渋を味わうだけの話に成ると思うけど…
だってそんな見え見えの嘘で固めた戦略で
戦争に限らず経済戦争においても勝てると思っているのって話です。
敵は誰も信用しないし騙されもしない話です。

だいたい人の話に対して
嘘か本当かを気にし過ぎなのです。
問題は話の内容にメリットが有るか無いかです。
メリットが有りそうな話なら、
自分で確かめる、または試してみてその効果を探る。
デメリットの話なら自分の状況を再確認して、
嘘だとしても予防線を張っておく。
そうした中で「嘘から出た真」という事に成る事も有るのです。
話の内容を自分で確かめもせずに、
嘘だと信じ込んでチャンスであり情報を逃す、
本当だと信じ込んで騙される。
論理的に可能性を探る労力は惜しんでは成らない事なのに、
そこをツイツイ怠ってしまう・・・またはその探り方を知らないのか…
誰誰が言っている
著名な先生が言っている
これ自体も実際は充てにならない話で、
自分自身が納得するまで探求できなければ、
結局そうした情報も上辺だけのモノに成ってしまうのです。