憲法は改正しない方が自衛隊の横暴を止められる。 | ショーエイのアタックまんがーワン

ショーエイのアタックまんがーワン

タッグチームLiberteenの漫画キャラクター・ショーエイが届ける、笑えるブログ・ショーエイの小言です。宜しくお願いします。

どうも…ショーエイです。
自衛隊に関してですが…
先ずは、現状でその存在は違憲では有りません。
これは大方の方が理解しているようです。

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180429-00050099-yom-pol

読売新聞のアンケート調査の結果ですが、

憲法改正に賛成と答えた人が51%と言う数字は無視したほうがいいです。

有効回答率65%した上での結果で、「良く解らないけど反対」とした回答は無効にして、

「良く解らないけど賛成」とした回答を有効にするという、

情報上偽ってはいませんをトリックで成立させた感も有るからです。

問題は、この期に及んで拮抗した数値に上げてくる事で、

大衆錯覚で解らない人が大人数の意見に流れる感じを操作する方法にも感じるからです。

 

まあ、政権とマスコミが蜜月関係にある点は警戒する必要性は有ります。

それは朝日新聞でも毎日新聞でも同じです。

 

とは言え、情報を真に受けなければ良いという事で、

信じる信じない以前に、そういう事は無視して、

自分の見解をしっかりと持つ事が大事なのです。

 

ただ、アンケートに76%が「自衛隊は合憲」と考えているという数値がでてたのは驚きで、

正直サバ読んで50%以上でも十分、そういう内容を日本人は把握できていると思える感じなので、

この情報は「期待」した上で憲法を改正または自衛隊の明記に関して反対する持論を述べます。

 

まず、

①合憲という認識が浸透しているのなら、特に明記する必要性は無い。

 

これは上記で記した事で説明は特にする必要はないと思います。

 

②警察の様に横柄な意識を持たせず、謙虚に国民の安全を守る意識でいて貰うために、

現状の状態が望ましい。

 

なぜ自衛隊が謙虚の姿勢で居られのか…

命がけで守ってくれている事は現状評価しますが、

それは彼らの現状の誠実な姿勢に対しての評価も有ります。

しかし、明確に合憲にして国民を自分たちが守っているという意識が先行すると、

残念ながら彼らの今の謙虚さは薄れます。

それは自衛隊上層部の意識に変化が起きる事を意味し、

現状では不祥事が起これば自衛隊批判=自衛隊の違憲意識を呼び起こして解体という流れが

市民レベルで起こる状態が考えられます。

そのため出来るだけ不祥事に繋がらない様に組織を謙虚に纏める意識が自然働くわけです。

これは自然発生した国民による自衛隊へのシビリアンコントロールとも言うべき現象です。

上層部がそういう意識に過敏になるゆえに、その下で活動する隊員にも自然とその意識が伝わっていきます。

それ故に、自衛隊員には現状の謙虚かつ勇敢な姿勢が保たれる様になります。

ところが合憲と明記されて、何の負い目も無い組織に成ると、

彼らの活動を市民レベルでコントロール(存在を脅す感じに)できない状態となり=

警察や他の官僚同様に不祥事が起きてもトカゲの尻尾キリで逃げ切れたり、

国民を命がけで守ってやっているという意識が上層部に先行して現れ、

謙虚さが横柄さに成って来る危険性を与えます。

米軍の全部がそうでは無いとは言っておきますが、

米軍の軍人が色々と沖縄なので問題を起こすのは良くニュースで見かける光景です。

オスプレイの飛行に関しても同様に横柄な行動にも見えます。

それは彼らの一部の意識に米国が日本を守ってやっているからという意識が存在するからです。

自衛隊も同様で、国民を守ってやっているという意識だけが先行すると、

小さな不祥事に関しても謙虚さは無くなり、処分だけで事を済ませる感じに成る訳です。

そういう意識を持たせない、また国民、市民へいい印象を持ってもらうための努力をさせる、

そういうバランスで考えれば、

現状の自衛隊の状態の方がシビリアンコントールが機能しやすいと言えるのです。

ある意味、そこを崩せないから自衛隊上層部も不祥事に関しては神経を尖らせる状態が保たれると言えます。

 

そして違憲か合憲か、国民、市民の目を意識すればこそ、

自衛隊は本当にいい感じで統制できているわけで、

そういう事が寄与してその姿勢が維持されるのだという事を知っておいてもらいたいです。

 

有能な兵法家ならばこの効果の偉大さは痛感するような話で、

戦闘能力の話は別として、日本の自衛隊の統率性の素晴らしさは

この国民とのバランスに有るという事は言えます。

 

③国際貢献は戦闘貢献だけという意識がそもそもオカシイ話で、

災害救助といった活動の方が実際は頻繁に貢献できる。

 

日本はもっと独自に平和利用した部分を特化させるべきという点は過去にも話したと思います。

米軍と戦闘で連携して貢献する必要性は無く、

世界中の国で発生する災害で自衛隊が求められる様な貢献を逆にもっと目指すべきです。

現状、米国で起こる災害は米軍の対応で十分に賄っていますが、

こういう所でも自衛隊は一緒に活動して、

日本の技術を最大限に活用すべきと言えるのです。

そうすれば米国民も日本は平和憲法を維持して

同盟国の米国民を守るためにそういう活動で貢献してくれているという評価を導き出せると言えるのです。

 

戦争では米国が日本を守るが、災害では日本が米国民の為に活動してくれる。

こうしたGive And Takeを安全保障に盛り込むことも大事で、

そうした交渉で世界各国の災害救助に活躍できるような状態を

外交で発展させるべきです。

そうすればこの平和憲法は日本人のアイデンティとして胸を張って主張できるのでは無いでしょうか。

それを考えずに戦争に行くことをだけを考えるのは無策無能で

日本人をブレた平和意識を持つ人種として辱めているだけと言えます。

平和憲法とブレない平和意識があってこそ、

日本人の真の心の強さを証明できるのでは無いでしょうか…

正直、格好悪いのでこういう意識の薄い人たちをボロカスに言っているだけです。

 

④ポピュリズムとして情報に流される状態での憲法改正などは、民主制の機能を危うくする。

 

正直、あれだけ嘘と誤魔化しで乗り切っている現状の自民党に、

国民が全く気付いていないという状態は、その判断力が逆に危ぶまれます。

まあ、こういう風に言えば、

そういう人達は意固地に成って聞く耳を持たないのは解っていますが、

どのみち彼らは何かを理解する事より、

野球の応援と同じでファンに成った相手を追っかける決断しかしません。

 

理系で論理を大事に考える学者の先生や弁護士と話すと

とても話しやすいのですが、

日本の文系の人と話すと、

「理屈に心は無い」「言葉に血が通っていない」とか意味不明な事をよく言います。

まあ、平和を維持する理屈に血が通っていないから、

彼らは戦争する意味すら解っていないんじゃないのかな?

 

勿論、文系と言っても理屈や論理を大事にする人は、

この場合、理系思考と分類して話をしてますが・・

ただ、どうやらこの国は文系思考の人が多いようです。

それ故にパフォーマンスや言葉上で騙しやすく、

それに流され易い国民性ゆえに、かなり危険に感じるのです。

 

適正に日本がどうあるべきか、

そして日本人として何を誇るべきなのか、

そういう事を考えて色々決断をしてもらいたいです。

ハッキリ言って戦略的な話は、北朝鮮が現状韓国と上手くやり、

中国の様に経済活動にシフトチェンジしてしまえば、

軍事的な意味は余計にどうでも良くなる話です。

 

もっと狡猾に頭を使って考えるなら、

TPPを活用してEUとの結びつきを強め、

フランスが持つ常任理事国の拒否権を第三の見識という立場で、

米英、中ロをコントールする立場で考える方が良いのではと思います。

EUとの経済的な結びつきで、

フランスもアメリカ重視からTPP経済圏重視に重点を置く感じになれば、

それは不可能な話ではなく成ります。

その上で米国もTPPに対して謙虚に接する姿勢が自然と植え付けられ、

バランスの取れたグローバリズムが保たれるのではとも思います。

無論、米国がフランスを含むEUに対して謙虚になれば、

流れは現状と変わらない方で保たれるでしょうが、

中ロと経済的に結びつくなどで揺さぶりを掛けつつ、

大国の圧力封じ込める事は可能です。

駆け引きを考えるならそういう相手がTPP経済圏をどう意識するかで勝負を掛けるべきです。

軍事同盟より遥かに効果的です。

 

これからの時代は軍事的な部分より、

経済的な部分がさらに強く結びつきを強め、

それが国の発言権を左右するという事に

そろそろ気づいた方が良いんじゃないのかな?

 

まあ、文系思考の人に言うなれば、

平和憲法捨てて、軍事や軍拡に賛同して、

日本人の放つ「平和」という言葉に

誰が血の通った意味として理解するのだろうか?

 

今度は難しい論理の話です。

ある国に戦争を仕掛ける命令を下した人間の子供を含む家族の命と、

その戦争に巻き込まれて死んだ子供を含む家族の命、

果たして命の価値はどちらが重い?

失う命の数で言えば、戦争に巻き込まれる方が遥かに多いです。

 

さらに策略である国を混乱させ、

別な国に締結した条約を放棄させ

戦争を仕向ける様に誘導する連中の家族の命と、

結果、戦争に成って失う事になるその国の無実な国民の命。

どちらの命の価値が重い?

 

色々な事象で戦争や紛争が発生することは未だに有りますが、

貴方はそれが誰の引き起こしたもので有るのか、

明確に判断出来ていますか?

「誰かがあいつが悪い!!」と言えば、

その原因を適切に究明する事無く、

信じてしまっているのではないですか?

 

報道で一応「疑惑」としている言葉を

「確証」と捉えて信じてしまっていませんか?

「疑惑」とは証拠が無い憶測上のモノで、

科学の世界でも「仮説」と「定説」では、

全く確証の意味が違っているのと同じです。

 

報道は「疑惑」としていれば憶測で色々書き足しても、

問題のない事な訳で、

それを「確証」として信じてしまうのは読み手の勘違いで、

その勘違いを促すための報道でも有る事を理解しましょう。

 

ポピュリズムはこうした「疑惑」の話に流されて、

「確証」の無い状態で悪者を生み出す社会であることは、

理解して欲しいと思います。

そして「疑惑」が「確証」で有れば、

その時はそこに明確な証拠と根拠が出たという事で、

納得しても恥ずべき話では有りません。

証拠が揃って自分の目で検証した結果、

「ならば納得できる」という姿勢の方が、

人間として適切に判断できると言えます。

 

裁判の渦中に「疑惑」の状態で判決を下すことは「冤罪」を産みます。

故に、「疑わしきは罰せず」という言葉のように、

「確証」の無い事は悪者にせずという事が公平な考えです。

 

それをマスコミも含めて

大衆は「疑惑」のままで悪者を生み出しているのでは無いでしょうか?

 

逆に政治家に対しては「怪しきに(権力を)与えず」で考えるべきです。

政治家は国民の信託を受けてその職に有るわけで、

彼らは犯罪者と違い、逆に「潔白」を証明してその信託にこたえる必要性がある。

それは信託を受けて権力を握る職に有るゆえに、

「疑惑」で生じた信頼を「潔白」によってとりもどすという意味で考えるべきで、

いち犯罪者を裁くのとでは訳が違います。

それをいち犯罪者を裁くように犯罪の「証拠」を求めること自体、

信託を受けて権力を掌握した人間がそれと同レベルで良いのかという話に成ります。

いち犯罪者でも「アリバイ」を証明しなければならなかったり、

証拠を隠蔽しようとする事も有ります。

犯罪者には罪を着せて刑を与える故に、その確証を明確にするのは当然です。

政治家は国民から信頼を受けて権力を与えられるがゆえに、

逆に潔白を証明する立場にあるという違いは認識して欲しいとおもいます。

佐川という隠蔽した「確証」まで出てきているのに、

自民党が「疑惑」のままに有る状態は異常です。

隠蔽可能な状態にある「確証」が出たのなら、

政治家という権力者は自らの「疑惑」を

隠蔽した状態に無い「確証」を提示しなければならないという事です。

いわばそれは色々な「アリバイ」を証明すれば良いのですが、

総理の秘書官も色々な疑惑上の「アリバイ」は証明できない状態に有るのなら、

国民は適正に「クロ」と確定しても良いと思います。

その上で「シロ」ならその証明をしなさいと言う感じで国民が追い込むべき事です。

 

まあ、ここまで論理的に説明しても「矛盾」と指摘するだろう人間も居るので、

明確な違いを言えば、

政治家は「疑惑」で国民に裁かれても、

その時点では犯罪者として罪に問われるわけでは有りません。

その権力を奪われるだけです。

そして彼らが犯罪者として裁かれる際には、

「疑惑」でなく「確証」の下で法によって判断されます。

故に政治家としての信頼を維持して、

その権力を誇示したいのならば

「疑惑」を払しょくする「潔白」を証明するのが当然という違いです。

 

逆に外国の政治に対しては、我々が信託を置いた政治家で無い以上、

外交関係の相手として見るうえでは、

「疑わしきは罰せず」という見方が適正と考えます。

いわば国際社会が経済制裁を課したり、制裁戦争という裁きを与える訳で、

その国に罪を与える行為に成る訳です。

「疑惑」の段階でこのような裁きを現状出来てしまう事は、

「確証」の無い状態で多くの命を犠牲にする意味を持ち、

双方の信頼関係を損ねる事を意味します。

 

もし「疑惑」でなく「確証」の下でさばいているのなら、

その経済制裁はその国民の意識にも理解され、

その国民の意思で修正を計りやすい状態を促せます。

それを「疑惑」の状態で裁く故に、

逆に国家同様にその国民はその制裁に不服を抱き、

反対に対抗する方へ団結を与える行為であることは理解すべきと思います。

 

色々な効果や、相手の状況、

そして何を目的としているのか、

それによって判断は吟味されなければ成らない話で、

誰かの言葉によって流されていく状態は、

常に「疑惑」の段階で決めつけてしまうと言う事が言えます。

 

日本の政治家はアメリカに流されてしまう故に、

その歯止めとして自衛隊の海外派兵は出来ない方が望ましく、

日本の国民もその政治家や「疑惑」の情報に流される故に、

戦争の出来ない状態が今の日本を堅持できる方法なのだという事です。